平成29(2017)年 受賞者

アレクサンドラ・モンロー(ソロモン・R・グッゲンハイム美術館アジア美術上級キュレーター/グローバル美術上級アドバイザー)[米国]

授賞理由

アレクサンドラ・モンロー氏の写真
Photo by John Bigelow Taylor

アレクサンドラ・モンロー氏は、戦後から現代までの日本美術を美術史の一貫した立場から実証的に研究し、展覧会を企画してきた。

1994年に横浜美術館のゲスト・キュレーターとして企画した「戦後日本の前衛美術:空へ叫び」展は、日本の戦後美術史を新たに再構築し、戦後から現代にわたる重要な美術運動を幅広く文化的、政治的、国際的文脈で包括的に論じた画期的な展覧会であり、1994-95年にアメリカを巡回し高く評価された。同展とその図録は、モンロー氏の日本文化への深い知識と理解に基づき、欧米中心の視点に偏ることなく日本の前衛美術を自立的なものとして海外に示すものであり、「具体」や「ネオ・ダダ」、「もの派」、そしてより若い世代の日本の現代美術家たちの国際的な評価を高めることに大きく貢献した。

1989年以降、「草間彌生」回顧展(1989)、「森山大道:Stray Dog」展(1999)、「Yesオノ・ヨーコ」展(2000)、村上隆企画「リトル・ボーイ:爆発する日本のサブカルチャー・アート」展(2005)、「具体:素晴らしい遊び場」展(2013)など戦後から現代までの日本美術を個別に取り上げる展覧会を企画また共同組織し、自身も寄稿して学術的研究に裏付けられた図録を出版している。これらの書籍は展覧会後もその内容を英語圏に紹介し、グローバルな近現代美術史における日本美術の理解を深める役割を果たしている。

また、2009年にグッゲンハイム美術館で開催した「第三の心:アメリカ人アーティストが見つめたアジア、1860-1989」展は、日本、およびアジアの美術、文学、思想が19世紀以降のアメリカ美術に与えた影響について明らかにした展覧会であり、全米人文科学基金から第一回長官特別賞を受賞している。

モンロー氏は長年にわたり革新的な展覧会を通じて国際相互理解の促進に貢献してきた。今後益々の活躍を期待して国際交流基金賞を授与する。

特別協力:ANA

フレデリック・L・ショット(作家、翻訳家、通訳者) [米国]

授賞理由

フレデリック・L・ショット氏の写真

フレデリック・ショット氏は40年にわたり活躍してきたライター・翻訳家で、マンガ評論と翻訳のパイオニアである。

1970年、日本留学中にストーリーマンガに熱中し、1977~8年に数人の友人と一緒に手塚治虫の「火の鳥」の一部を翻訳した。出版に結びつくことはなかったが、手塚氏との12年にわたる親交を培う契機となり、1983年のショット氏の最初の著作『Manga! Manga! The World of Japanese Comics』に手塚氏が序文を寄せた。

当時ストーリーマンガは、日本では発展していたが、海外の読者は日本語を駆使できないと読むことができなかった。ショット氏はこのような状況下、同著の中で、日本のマンガについての豊富な情報だけでなく、およそ100ページにのぼるマンガの翻訳をも読者に提供した。こうした未知の文化について教えるだけでなく、その文化での体験を人々と共有する姿勢は21世紀のインターネットに支えられた参加型文化においてもショット氏のキャリアを特徴づけるものである。つまり、この新たな環境においても、ショット氏はマンガを読む人と読まない人の間、手塚作品のような古典を評価する人としない人の間につながりを作っているのである。

マンガの紹介で世界的に知られている一方で、幕末にアメリカの興行師によって作られた日本の曲芸団を調査した『Professor Risley and the Imperial Japanese Troupe』など、ショット氏は過小評価されていた表現分野にも関心を寄せてきた。 ショット氏は、1904年から1924年の間アメリカで過ごした4人の日本人青年を描いた『漫画四人書生』(木山義喬著1931年)を1998年に英訳したが、この作品は再び話題を呼び今やカリフォルニアで人気のあるミュージカルとなっている。

このようにショット氏は多面的な文化交流へ貢献してきた。今後益々の活躍を期待して国際交流基金賞を授与する。

特別協力:ANA

アンドレイ・べケシュ(リュブリャナ大学名誉教授(日本研究))[スロベニア]

授賞理由

アンドレイ・べケシュ氏の写真

アンドレイ・ベケシュ氏はリュブリャナ大学を拠点として、スロベニアにおける日本語教育・日本研究を長年にわたり牽引してきた。欧州の日本研究団体とも積極的に交流し、日本語教育・日本語研究を中心とする日本研究者の欧州広域ネットワーキングにおいて中心的役割を果たしてきた。2014年に開催された第14回EAJS(ヨーロッパ日本研究協会)においては国際会議実行委員長を務め、日本語教育や日本語学の位置づけをさらに確固たるものとした。

ベケシュ氏と日本との深い関わりは、1972年大阪外国語大学留学生別科入学に始まる。大阪大学理学研究科に進むが、次第に日本語の面白さに魅せられ、日本研究の道に入った。1986年筑波大学より博士論文「テクストとシンタクス」により博士号を授与されスロベニアに帰国したが、1990年に再来日し、筑波大学で日本語教育および日本語研究に携わる。

1995年にスロベニアに戻り、リュブリャナ大学文学部に新設されたアジア・アフリカ研究学科の初代学科長に任命され、以後スロベニアの日本研究の発展、人材の育成に尽力した。2010年には筑波大学大学院および留学生センター教授に就任し、日本研究者の育成や留学生教育に力を注いだ。2013年に再びリュブリャナ大学に戻って日本研究を担当し、スロベニアの日本語学および日本語教育の第一人者として活躍し、日本の大学においても講演活動を続けている。

日本語研究に関する業績は、文法研究、言語対照研究、テクスト・談話研究など多岐にわたる。また、日本語学習から専門的日本研究につなげることを目的とした読解教材『日本語学習者のための日本研究シリーズ』を、日本の日本語教育関係者と共同開発するなど新たな取り組みも始めている。

このようにベケシュ氏は長年にわたり日本語教育・日本研究を通して国際相互理解の促進に貢献してきている。日本とスロベニア、日本と欧州を架橋する研究者・教育者として、今後益々の活躍を期待して国際交流基金賞を授与する。

[お問い合わせ]

国際交流基金(ジャパンファウンデーション)
コミュニケーションセンター
電話:03-5369-6075 ファックス:03-5369-6044

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