令和3(2021)年度 国際交流基金賞受賞者

第48回となる2021年度の国際交流基金賞の受賞者が決定しました。今年度は、新型コロナウイルス感染症の拡大により中止となった昨年度の推薦分を含めた101件から、有識者による審査を経て以下の4件の授賞となりました。受賞者による記念関連行事については、決定次第ご案内いたします。

是枝裕和(映画監督)【日本】

授賞理由

是枝裕和氏の写真
(c)藤井保

是枝裕和氏は、日本はもとより世界の映画界を代表する監督の一人である。監督のみならず脚本・編集まで一貫して自ら担当し、市井の人々に寄り添いながら彼らの生活の機微を優しく見つめる一方、育児放棄された子どもたちや、万引きで生計を立てる疑似家族を描いて現代日本の社会のありようを問いかける諸作品は、人間についての深い洞察に満ち、世界各地で高く評価されている。

1962年東京都に生まれた是枝氏は、のちに『海よりもまだ深く』(2016)で描くことになる清瀬市の団地で少年時代を過ごし、母の影響で映画に親しむ。早稲田大学第一文学部に学び、文芸科の卒業論文として創作脚本を執筆している。番組制作会社テレビマンユニオンに入社すると、『しかし… 福祉切り捨ての時代に』(1991)をはじめとするテレビドキュメンタリーのディレクターとして頭角を現す。1995年に劇映画の監督デビュー作『幻の光』でヴェネチア国際映画祭「金のオゼッラ賞」を受賞し、2004年には『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞(柳楽優弥)に輝く。その後も話題作を次々に発表し、2018年に『万引き家族』がカンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞。これは日本人監督として黒澤明・今村昌平らに続く4人目の快挙であった。また、2011年に西川美和監督らとともに制作者集団「分福」を立ち上げ、2014年に早稲田大学基幹理工学部表現工学科教授に着任して映画制作を指導する等、後進の育成にも積極的に取り組んでいる。

是枝氏は早くから映画制作を通じた国際交流に意欲的で、『空気人形』(2009年)では主演に韓国のペ・ドゥナ、撮影に台湾のリー・ピンビンを起用した。近年は、いっそう本格的に取り組み、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジュリエット・ビノシュの二大女優をはじめ多くのフランス人スタッフ・キャストとともに日仏合作『真実』(2019年)を撮り上げ、現在もコロナ禍の困難のなかで日本と韓国をつなぎ、ソン・ガンホ、カン・ドンウォンらの俳優や韓国人スタッフとともに『ブローカー(仮題)』を製作中であり、その完成が期待されている。

このように是枝裕和氏は長年にわたり映画を通じた国際相互理解の推進に大きく貢献してきており、その業績は国際交流基金賞にふさわしい。

宮田まゆみ(笙奏者)【日本】

授賞理由

宮田まゆみ氏の写真

雅楽の伝統楽器、笙演奏の第一人者である宮田まゆみ氏は、1979年より国立劇場の雅楽公演に出演。1983年より笙のリサイタルを開催し、注目を集めてきた。古典雅楽は言うまでもなく、現代音楽界の巨匠であるジョン・ケージ、武満徹、ヘルムート・ラッヘンマン、細川俊夫による新作の世界初演を次々と行う等、雅楽の伝統楽器の可能性を世界に向けて発信してきた。

共演したオーケストラは、サイトウ・キネン・オーケストラ、NHK交響楽団をはじめ、ニューヨーク・フィルハーモニック、ベルリン・ドイツ交響楽団、バンベルク交響楽団、リヨン国立管弦楽団、BBC交響楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ベルギー王立歌劇場管弦楽団等枚挙にいとまない。また、ザルツブルク、ウィーン・モデルン、ルツェルン、ドナウ・エッシンゲン、タングルウッド等、各国の著名な音楽祭にも出演を果たしてきた。さらに1998年に開催された長野五輪冬季大会開会式での「君が代」演奏でも大きな注目を集めた。

ドイツの作曲家ヘルムート・ラッヘンマンのオペラ「マッチ売りの少女」では重要なソリストとして抜擢され、ドイツのハンブルクでの世界初演を皮切りにフランス、オーストリア、スイス、アルゼンチンを周り、チェコ出身のコンテンポラリー・ダンスの振付家イリ・キリアンとの共演でも世界中で笙の魅力を伝えた。

また、宮田まゆみ氏は基金賞受賞作曲家である武満徹 (1993 年受賞) と細川俊夫 (2018 年受賞) の多くの作品で初演・共演を世界中で重ねてきた。彼らの創作活動にも多大な影響を及ぼすと共に、長年にわたり雅楽の伝統楽器「笙」を通じた国際相互理解の促進に貢献してきており、その業績は国際交流基金賞にふさわしい。

ハノイ国家大学外国語大学日本言語文化学部 / ハノイ貿易大学日本語学部 / ハノイ大学日本語学部【ベトナム】

授賞理由

ハノイ国家大学外国語大学日本言語文化学部の写真
ハノイ国家大学外国語大学日本言語文化学部
(「ULIS Japan Day」イベント)
ハノイ貿易大学日本語学部の写真
ハノイ貿易大学日本語学部
ハノイ大学日本語学部の写真
ハノイ大学日本語学部

ベトナムにおける近年の日本語教育の発展には、目を見張るものがある。国際交流基金の2018年度日本語教育機関調査によると、学習者数で世界第6位であり、3年前の2015年度調査と比べると2.7倍、機関数では3.7倍の伸びを見せており、学習者の増加数は世界一であった。また、日本語能力試験(JLPT)の受験者数は、初めて実施された1996年には319人であったが、22年後の2018年には69,843人となり、219倍の急拡大を遂げている。

これらの発展の背景には、良好な日越関係の下での日本との経済交流、文化交流の拡大、それに伴う日系企業の進出や日本での就職の機会の増加等があり、そのことが、最近の初等・中等教育における第一外国語としての日本語教育の開始をはじめとした制度の再整備等によい影響をもたらしている。

このような発展の礎となってきたのが、今回の授賞対象であるハノイ国家大学外国語大学、ハノイ貿易大学、ハノイ大学(旧ハノイ外国語大学)の三校である。ハノイ貿易大学では、1961年に日本語教育を開始、経済、外交・行政分野の人材を育成してきた。その後、1973年に開始したハノイ大学では通訳・翻訳分野を中心に有為な人材を輩出し、2010年には日本語専攻の修士課程を設置している。さらに1992年日本語教育を開始したハノイ国家大学外国語大学はベトナム唯一の初等・中等の正規教師を養成できる日本語教師養成コースを有し、2009年にベトナムで最初の修士課程を設置している。三校が育んだ優秀な人材は、年月をかけて日越両国間の強い絆を創り上げてきた。同時に、連携してベトナムの初等・中等教育における日本語教育の拡大に貢献してきた。

さらに、日本語教育の機運が高まった2017年、これらの三校が協力してイニシアティブをとり、全国の日本語教育実施大学等と協議しベトナム初の全国組織である「ベトナム日本語・日本語教育学会」の発足を現実のものとし、ホーチミン市やフエ市で学会主催のワークショップを開催し、活発な学会活動を展開している。

このように長年にわたりベトナムにおける日本語教育を支え、優秀な人材育成、国際相互理解の促進に貢献してきており、その業績は国際交流基金賞にふさわしい。

イルメラ・日地谷=キルシュネライト(ベルリン自由大学教授)【ドイツ】

授賞理由

イルメラ・日地谷=キルシュネライト氏の写真
(c) Pablo Castagnola

イルメラ・日地谷=キルシュネライト教授は、ドイツのみならず広くヨーロッパを代表する日本文学研究者、文芸批評家、翻訳者である。1975年にボーフム大学にて文学博士号取得後、一橋大学社会学部助教授、トリーア大学日本学科教授を経て、1991年から長らくベルリン自由大学日本学科教授を務めた。その間、ドイツ日本研究所所長、ヨーロッパ日本研究協会会長を歴任した他、ベルリン・ブランデンブルク学士院、ヨーロッパ学士院の会員に選ばれた。1992年にゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞、1995年ドイツ連邦功労十字賞、さらに2001年オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞を受賞する等、輝かしいキャリアを歩んだ。

出世作となった博士論文(1976)では、三島由紀夫『鏡子の家』を、三島の他の作品のみならず、文学を構成する様々なサブシステムと関連づけ、構造主義的に再解釈し論じた。また、その名を高めた教授資格論文(1981年公刊)は、私小説という日本文学に独特な文学形式を取り扱い、単なる自伝的な私事の吐露を超えて、著者=読者=文壇の間に成り立つ「文学的コミュニケーション過程」の表出として描いた。いずれも、文学作品を社会文化的なシステムの中に位置づけるものである。

教授が研究において、一貫して意識してきたのは異質性と普遍性の微妙なバランスである。『エキゾチックの終焉』(1988)で見られるように、教授は日本に関する安易なクリシェの流布を容赦しない。また、女流文学といわれるジャンルにも関心を抱き、石牟礼道子をはじめ多くの日本の女性文学者との交流の中で、その先進性と普遍性を見出していく。そこから、たとえば河野多恵子らが1960年代から描いていた性の倒錯に、世界史的な意味を見出す作業が展開された。他方、教授の卓抜した手腕は、日本の私小説や日記といった文学形式の異文化性、異質性をどこまでも他者にわかる普遍的な言葉で紡ぎ、他文化と接続して見せるところにある。その意味で教授は一流の翻訳家でもある。

教授は、長らくベルリン自由大学において後進の指導に当たり、多くの研究者を育ててきた。俳句から盆栽、日本食に至るまで、広く日本文化の紹介にも尽力する一方、東日本大震災の際に典型的に表れたように、日本理解の歪みの是正のためには論壇の最前線にも立つことを厭わず、日独、日欧の相互理解・友好親善にも大きく寄与してきたといえる。長年にわたるこれらの業績により、国際交流基金賞の授与にふさわしい人物といえる。

【略歴】
1948年生まれ。一橋大学助教授、トリーア大学教授を経て、1991年ベルリン自由大学日本学科教授。ドイツ日本研究所所長(1996-2004)、ベルリン自由大学フリードリヒ・シュレーゲル文学研究大学院長(2010-2015)を歴任。ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞(1992)、ドイツ連邦功労十字賞(1995)、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞(2001)、旭日中綬章(2011)ほか受賞多数。著作に『〈女流〉放談――昭和を生きた女性作家たち』(編、2018、岩波書店)、『私小説:自己暴露の儀式』(1992、平凡社)『和独大辞典』(Großes japanisch-deutsches Wörterbuch全3巻、共編、2006-2021)等。

[お問い合わせ]

国際交流基金(JF
広報部
電話:03-5369-6075 ファックス:03-5369-6044
Eメール:kikinsho@jpf.go.jp
(メールを送る際は、全角@マークを半角に変更してください。)

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