報告『語りはじめた文化 ― カンボジア、芸術の最前線から』
耐えがたい悲劇からの回復プロセスとして、そして人々の生活の向上と国の発展を促す力として、文化と芸術はカンボジアで重要な役割を果たしてきました。2025年夏、国際交流基金「文化人短期招へい事業」により、カンボジア創造産業振興協会(CICADA)エグゼクティブ・ディレクターのソー・ピナさんが来日。トークイベントに登壇し、カンボジアの文化セクターの現況、芸術関係者が直面する課題、そして作家・詩人としての活動について語りました。当日の聞き手は、横浜トリエンナーレ組織委員会総合ディレクター補佐の帆足亜紀さんにおつとめいただきました。 事業概要と登壇者の略歴についてはこちらの概要ページをご覧ください。

文化と芸術の復興の歩み
この写真(*1)に写っているのは、「カンボジアン・リビング・アーツ」の創設者であり、ポル・ポト派による虐殺のサバイバーでもあるアン・チョーン・ポンドさんです。カンボジアの内戦による大量虐殺は1975年に始まり、ポル・ポト派が崩壊する1979年まで続きました。アンさんは、フルート奏者の名匠イェウン・ミクさんからフルートを習うことでこの時代を生き延びました。彼はポル・ポト派のプロパガンダ活動に利用されたのですが、それによって命をつなぐことができたのです。悲劇の時代が終わった後、アンさんはアメリカへ移住し、そこで約20年間暮らしました。カンボジアに戻って恩師イェウンさんと再会した際、わずかに生き残った名匠たちが、健康を害し、極度の貧困に苦しんでいることを知ったのです。

*1 写真右:アン・チョーン・ポンドさん
クメール・ルージュの時代に、知識人、学者、芸術家の90%が殺されたと言われており、虐殺を生き延びたのはわずか10%程度でした。そして、彼らは特別な使命を背負って生き残ったのです。生き残った芸術家たちは、自分たちがいなくなればカンボジアの芸術と文化が消滅してしまうという恐怖を抱えて暮らしていました。そのため、どんなに厳しい生活状況にあっても、伝統文化を存続させるために各地を巡り、芸術を教え、知識を継承し続けました。私にとって彼らは目に見えない守護者—カンボジア芸術の「知られざる英雄たち」なのです。
そんな名匠たちを貧困から救うために、アンさんは、伝統文化を若い世代に継承する「マスター育成プログラム」を創設しました。このプログラムはその後、「カンボジアン・リビング・アーツ」の創設へと発展し、現在では国内最大級の芸術団体の一つとなっています。
今日、国内各地で行われているさまざまな支援プログラムは、文化芸術省をはじめとする行政機関とともに、カンボジアの芸術の保存・復興・記録に取り組み続けています。芸術分野が成長する中、名匠が若い世代へ技術・技能を継承する一方で、若手芸術家たち自身も独自の芸術リーダーとして台頭しつつあります。そのため、若い世代の芸術家たちがその可能性を発揮できるよう支援するプログラムを整備し、若手リーダーの創造的表現力を育むことも同時に求められています。いまカンボジアでは、現代アートが大きな可能性を秘めており、これを受けてカンボジア政府は、クリエイティブ産業の発展に向けた政策づくりに力を注ぎ始めています。
しかし、芸術的自由は依然として制限されており、市場の機会も乏しいままです。アーティストが作品を創作したり上演したりできるギャラリーや劇場といった文化的インフラは、極めて限られています。残念ながら、教育制度も依然として脆弱と言えます。それでもなお、カンボジアの芸術・文化の実践者たちは、わずかな資源の中でも努力を続け、たくましく活動しています。

CICADA—その役割と挑戦
カンボジアでは、政策決定にたずさわるのは政府の仕事で、芸術家には関係ないと考える人が多く、芸術家と政策参加との間には大きなギャップが存在します。コロナ禍では多くの芸術家が職を失い、生活の糧も絶たれる深刻な状況に陥りました。この状況を受けて、芸術関連団体を代表する6人のリーダーたちが集まり、芸術コミュニティを支援する方法を模索しました。コロナ禍において、観光業界は団結して政府に請願を提出し、迅速な支援を受けることができました。これは、観光ガイド協会やホテル従業員協会など、多くの団体が業界を支援していたためです。その結果、観光業従事者は月額約40ドルの経済的支援を受けることができました。金額は少額ではありましたが、まったく支援を受けられなかった芸術家たちよりはましな状況でした。
カンボジアの文化・芸術団体の多くはインフォーマルセクターであり、芸術分野を代表する公式な組織が存在しなかったことから、私たちは「カンボジア創造産業振興協会(CICADA/Creative Industry of Cambodia Association for Development and Advocacy)」という団体を設立することにしました。名称の由来は、一日中鳴き続けるセミ(cicada)です。声をひとつにして忍耐強く発信し続けるセミは、芸術家の才能と粘り強さを象徴していると思うからです。CICADAの目標は、研究事業や能力開発プログラムを通じて、国の文化・芸術政策に影響を与えていくことです。具体的には、芸術家や非正規・フリーランスで活動する実践者に、文化政策とはなにか、その内容、権利、受けられる支援、どのようにしてその制度の恩恵を受けられるかなどを伝えていきます。

また、文化創造産業(CCI)で働く人々の労働環境の改善に焦点を当て、社会保障の確立、公正な収入、知的財産権の適切な実施の推進も目指しています。芸術家や非正規・フリーランスの実践者を、搾取や嫌がらせから守るための政策づくりも進めています。芸術活動に従事する100人にヒアリングを行い、文化芸術省に対してCCIの定義案を提案しましたが、これはまだ公式には採用されていません。
政府・行政機関の役割の重複についても見直しを求めています。現状では19の省庁や国家評議会がそれぞれ個別にCCI分野に関わっており、関係省庁が多すぎるために、芸術家がどこに支援を求めるべきかわかりにくくなっています。芸術家が未来の変化に対応できるよう技術育成に投資するとともに、先住民族や少数民族コミュニティを対象に含めることも訴えています。
この写真(*2)は、私たちが地方を訪問し、ワークショップを開催したときの様子です。ワークショップでは、社会的保護へのアクセス方法、知的財産権の登録方法、適切な契約の結び方に関する情報を記載したチラシを配布し、芸術家たちがアート活動を通じて安全に自己表現できるよう、表現の自由についても話し合いました。政府関係者との、国際的な公共政策についての意見交換にも積極的に関わっています。CICADA に所属する152のメンバーの大半は地方に拠点を置いており、複雑なデータが多い長い報告書は理解されにくいことから、彼らが負担なく読めるように、簡潔で視覚的にわかりやすい数字を提示することを心がけています。

※2 CICADAによる地方ワークショップの様子
CICADA の抱える課題のひとつは、CCIが非常に大きく複雑な分野であり、同時に新しい概念でもあるという点です。CICADA にはフルタイムのスタッフが2名しかいません。私たちがどれだけ努力しても、この体制での影響力には限界があります。また、アートコミュニティ内には信頼をめぐる課題もあります。同業者の中には、私たちがどれほど効果的に活動できるのか様子見の人たちもいます。さらにCICADAは市民社会組織として登録されているため、政府は必ずしも私たちを「友好的な存在」と見なしてはいない場合があります。
もう一つの大きな課題は、CCI 全体を正しく把握するための信頼できるデータが不足していることです。これにより、政策立案には時間がかかること、そして、私たちが目指しているのは芸術業界全体の共同の利益であり、必ずしも個々の芸術家にすぐに還元されるものではないことを理解してもらうのが難しくなっています。

現代カンボジアの文学的風景
私は作家・詩人、出版人としても活動しているので、この機会に自分自身の文学の歩みについてもお話ししたいと思います。オーストラリアで修士号を取得後2013年に帰国したとき、カンボジア社会で女性たちが依然として抑圧的な伝統的規範に苦しんでいる姿を目の当たりにしました。それがきっかけとなり、女性の同僚と協力しながら、現代カンボジア社会で自分の選んだ道を強く生きる女性たちについて書きたいと思うようになりました。
実際に本の出版にこぎつけるまでには2年かかりました。2015年に同僚とともに独立系出版社カンプ・メラ(KME/Kampu-Mera Editions)を共同設立し、ようやく最初の一冊を出版したのです。私たちは、カンボジアの出版業界が倫理的で専門性の高いセクターとなるよう、リードしていく存在になりたいと思っています。カンプ・メラでの出版活動のほかに、文学フェスティバルの開催、パネルディスカッションの企画、作家を目指す人のためのクリエイティブ・ライティング講座の実施など、文学コミュニティ全体を支援すると同時に、ジェンダー平等や創作の自由を訴える活動も行っています。

私が手掛けた最新の短篇集には25人の作家が参加しています。多くの作家にとって初めての出版であり、自分の名前が印刷されたページを見たときの喜びや誇りが、表情からはっきり伝わってきました。人生で意味のあることを成し遂げたと感じているのが、よくわかりました。そんな姿を見ると、私も前に進み続けようという気持ちが湧いてきます。

近年、カンボジアの現代文学はとてもよい方向に発展しています。それを示す一つの指標がカンボジア・ブックフェアの開催で、2023年には約20万人もの来場者を記録し、本当に感動的な成果でした。フェア期間中、あるブースでは1万冊もの本が売れるなど、読書や自国の文学への関心が高まっていることがはっきりと示されたと思います。現在、国内には3つの代表的な文学イベントがあります。カンボジア・ブックフェア、ナショナル・リーディング・デー、そして私が2017年に創設したクメール文学フェスティバルです。文学フェスティバルは、それ以来毎年開催されてきました。カンボジアでは、ロマンス小説(恋愛小説)が依然として最も人気のあるジャンルです。
文学分野は、CCI業界全体と同じく、大部分がインフォーマルセクターです。出版社、作家、編集者など文学コミュニティに関わる人々の多くは、公的な資金がないため、自費で活動を続けています。文化政策の中でも文学は優先度が低く、著作権の保護もまだ十分ではありません。翻訳文学は少しずつ増えているものの、まだ限られています。芸術文化への投資を増やしていくためにも、知的財産保護の強化は喫緊の課題と言えるでしょう。また、表現の自由を確保し、政府関係者のクリエイティブ産業分野に対する姿勢をよりポジティブな方向へ変えていくことも不可欠です。これは私の個人的な見解ではなく、国の文化政策にも明示されている内容です。
未来に向けて
表現の自由がいかに繊細で難しい問題か、私たちは十分に理解しています。カンボジアの芸術家たちは、ある考えや作品を表現する際に、自己検閲を行うか、少なくとも一度立ち止まって考える傾向にあります。残念ではありますが、理解はできます。これはカンボジアに限らないことだと思いますが、芸術家というのは自分なりに制度のなかをうまく泳ぎ、工夫しながら活動することを学んでいると思います。彼らと話すとき、私たちは「表現の自由」と言う代わりに、「創作の自由」と言い換えることにしています。そうすることで、制度や制約に配慮しながらも重要な問題について語り合うことができるのです。
一部の政府関係者はいまだに自分たちを「親」、芸術家を「子ども」と見なす傾向があり、これは国の芸術政策に深く浸透している伝統的な考え方と言えます。しかし、時間をかけることでCICADA の活動は、芸術コミュニティだけでなく域内でも認知されるようになってきました。文化芸術省も、私たちの活動を意義のあるものとして認識しており、相互尊重や協力の機運が生まれています。こうした前向きな関係性やエネルギーが、私の活動のモチベーションとなっています。今後、カンボジアの芸術文化の多様性を真に反映した、より包括的な文化政策が実現することを望んでいます。(了)

JFライブラリーを訪問し、カンプ・メラの作品を手にするソー・ピナさん
※ソー・ピナさんの著書に、ポル・ポト政権下の政治犯収容所で亡くなった女性の半生を描いた長編小説『ボパナ』(カンプ・メラ、2019年/未邦訳)ほか。邦訳された短篇4作品が、『現代カンボジア短篇集 2』に所収されている(公益財団法人大同生命国際文化基金、2023年/岡田知子さん 編訳、調邦行さん訳)。