世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート)新しいカリキュラムとレッスン・スタディ

国際交流基金ジャカルタ日本文化センター(中等教育機関担当)
上野美香

インドネシアは、日本語学習者数が世界で2番目に多い国である、と報告されています。州別の学習者数の推移から、国際交流基金(以下、基金)はスマトラ地域の日本語教育の発展を目指して、2013年7月に日本語専門家(以下、専門家)の派遣を再び開始しました。

スマトラ島は日本の国土全体より少し大きい面積を持つ島です。ここでは、専門家が常駐する西スマトラ州についてご紹介します。

「西スマトラ州では、6万人ちかくの人々が日本語を学んでいます。」

西スマトラ州の日本語教育の現状

ここ西スマトラ州では、3大学、外国語高等専門学校1校、125の中等教育機関などで日本語教育が行われています。規模が大きい中等教育を支えるためには、高等教育機関、日本での研修経験があるインドネシアの方々、在スマトラ日本人の方々との関係が非常に大切だと考えています。日頃から州内・スマトラ島内のネットワークづくりを目指していますが、今回は主な業務である中等教育支援についてお話しようと思います。

高校の先生方によるレッスン・スタディの継続

西スマトラ州の先生方は、それぞれの地域でレッスン・スタディを続けています。参加者全員で授業案を検討(PLAN)し、公開授業(DO)の後、振り返り(SEE)を行う、「わたしたちのレッスン・スタディ」については、2013年度の本報告をご参照ください。

E先生の気づき

授業の様子その1
友達と学び合うAさん(左)

3回目のレッスン・スタディへの参加で、はじめて授業者になったE先生は、振り返り(SEE)のとき、生徒たちの写真を見ておもむろに語り始めました。 「私はAさんに対して、『大人しい生徒』という印象しか持っていませんでした。でも、今回の授業を通じて、とても積極的で友達の理解を助けられる生徒だと知りました。そして、生徒自身が考え、実践し、知識を得られるような自由度を与えれば、他の生徒との協働や相互学習にもつながることを学びました。」と。

新しいカリキュラム

インドネシア中学校・高等学校日本語教師会は、2014年度全国セミナーのテーマに「2013年カリキュラム」を選びました。そこで、わたしたちのレッスン・スタディの中での議論は、新しいカリキュラムを日本語授業においてどのように実践できるのか、という方向に自然と向いていきました。新しいカリキュラムは、学習者中心、一方向(教師と学習者)ではなく双方向(教師・学習者・社会や自然など)の学びあい、受身から自発的な教育手法への改善などを掲げています。

E先生と生徒たちとの学びあい

「今まで授業中、私はいつも文法の説明ばかりしていました。そうしたら、多くの生徒は自分で考えることをしなくなってしまって…でも、レッスン・スタディのDOのとき、生徒が文の法則を自分たちでみつけるってことが起こったんです。」

2回目にE先生が授業者になったとき、公開授業のビデオ録画を自ら申し出ました。振り返り(SEE)の翌々日、「両親とビデオを観ながらもう一度振り返った」と報告してくれたときのE先生のコメントです。その後の実践では、もう一歩新しいカリキュラムへ近づける日本語授業を、とみんなで頭をひねりました。すると、生徒たちの反応も少しずつ変わってきたように思います。ご覧ください、「庭にプールがあります」「居間に大きいテレビがあります」などと、「わたしたちの夢の家」を描いた生徒たちの表情です。

授業の様子その2
作品を見せ合う生徒たち

「大切なことは、生徒が考えたり、自分のアイデアをつかって彼ら自身に気づかせること、そうすれば、やがて社会で生きていくとき、毎日の生活の中で学んだことを生かせるだろうから、新しいカリキュラムはそういうことを目指していると思うから。」生徒が「わたしたちの夢の家」を描いた日、私にそう語ったE先生の笑顔と、授業中の生徒たちの表情が忘れられません。

わたしたちのこれから

レッスン・スタディを始めて半年後、インドネシア政府によって新しいカリキュラムが発表され、一部の学校での施行が始まって約一年が過ぎました。「明日の授業をよりよくするために」レッスン・スタディを継続し、新カリキュラムについて考え続ける過程では、新たな課題にも出会いました。私自身が先生方や生徒たちから学んだこともたくさんあります。先生方の日々の語りからは、教師としての成長を感じることもできます。

新しいカリキュラムの影響を受けて高校では、学習者数減少の懸念もあります。状況に柔軟に対応しながら、これからも生徒たちの間で、先生方と生徒たちの間で、先生方の間で、先生方と専門家の間で、そして専門家間でも学びあえる授業を志して襷をつないでいきます。


アニメ『宇宙兄弟』とともに拓く
インドネシア中等機関の新時代

国際交流基金ジャカルタ日本文化センター(中等教育機関担当)
森林 謙

インドネシアの高校における日本語教育

2012年度日本語教育機関調査結果によれば、インドネシアの日本語学習者数は世界第2位となりました。中等教育機関における日本語学習者数は835,938人、インドネシアの学習者数の95.8%とされています。大多数がいわゆる高校生で占められているのですが、生徒の学習意欲や授業の進め方に関する問題が現場から多く挙げられています。最近では「2013年カリキュラム」にもとづいた授業の在り方や方法に関する戸惑いの声もよく聞かれます。(「2013年カリキュラム」については『世界の日本語教育の現場から』「ジャカルタ日本文化センター2014」をご参照ください)

アニメ『宇宙兄弟』の可能性

宇宙兄弟ポスター
©小山宙哉・講談社/読売テレビ・A-1 Pictures
2013年ジャカルタ日本文化センター主催イベント時の広報

このような問題を踏まえ、赴任以来インドネシアにおける日本語教育の在り方や可能性を高校の先生方とこれまで模索、実践してきましたが、今回はその過程で出会ったアニメ『宇宙兄弟』を素材とした授業についてご紹介したいと思います。当時(現在でも)、学習意欲の問題が顕在化する一方で、授業は生徒が語彙や文型覚えることに終始しがちで、コミュニケーションといってもただ会話例をリピートしたりするような授業が多く、教師研修でもそのような授業の型を覚えることが中心でした。このような授業では、生徒が自身について語る機会もなく、日本語を学ぶ意味が実感できないわけですから、学習意欲が高まらないのも当然かもしれません。

『宇宙兄弟』の日本語教育への活用に至ったきっかけは、一緒に日本語教育の在り方の検討や実践の模索中だったN教諭が『宇宙兄弟』のイベント(2013年3月国際交流基金ジャカルタ日本文化センター主催)に参加したことがきっかけでした。「生徒が楽しく日本語を学ぶには?」「生徒にとって意味のあることとは?」生徒が興味関心を持ったことを土台にし、互いに表現し合う授業の検討や模索をしていたとき、イベントに参加したN教諭が『宇宙兄弟』のテーマや内容の持つ可能性に気づいたのです。このように当時の状況や流れを振り返ると、『宇宙兄弟』との出会いは偶然であっても、授業への活用に至ったのは必然だったと思います。

「夢」をテーマにした授業の試み

アニメ『宇宙兄弟』を素材とした授業は2013年4月にM教諭の勤務校で実験的にスタートし、その後2014年6月現在までジャカルタ首都圏をはじめ、バンテン州、東ジャワ州の高校などでも行ってきました。この授業におけるテーマは「夢」です。互いの「夢」をもとに、クラスメートとのやりとりを通して、生徒自身の在り方の振り返りや捉え直しを図ることを目指したものです。大まかな授業の流れは以下の通りです。

①ワークシート配布、名前、誕生日、小学生時代と現在(高校生)の将来の夢を記入

②『宇宙兄弟』視聴、内容確認、質疑応答

③日本語での表現例(語彙・文型)提示

④それぞれの夢、計画・準備についてやりとり、発表・共有

授業に対する反応

生徒の様子の写真
生徒の様子

当初、高校の日本語授業でアニメを使うことに対して先生の間に抵抗感が全くなかったわけではありません。しかし、生徒の反応や様子の変化をきっかけに、作品の内容や授業の目的や意義が理解されるようになるにつれ、自分の授業でも使ってみたいという声が多くなっていきました。また、授業に対する生徒のコメントには、『宇宙兄弟』というアニメ作品のおもしろさや高い評価はもちろんのこと、教室内で互いの「夢」を日本語で発表し合い、理由や目的についてやりとりすることの楽しさや興味深さもよく挙げられています。自分について語ること、表現すること、そして、それらをもとにしたやりとりには個々の生徒にとっての「意味」が生じるからこそ、楽しい、おもしろいという実感が伴った感想につながるような気がします。従来の授業では、指名された生徒以外は授業にほとんど参加していないようなことがよく見受けられましたが、それは練習のための練習であり、実際の生徒個々の日常とは無縁の教科書上の仮想世界でのやりとりにすぎなかったからではないかと思います。

可能性、今後への期待

実践を重ねていく中で、これまで気づかなかったインドネシアの状況も見えてくるようになりました。それは、ニートの問題です。日本でもすでに社会問題化していますが、インドネシアでも少しずつニートが増えてきているようです。このような背景も、「夢」をテーマにした授業が当初の予想以上に意義のあるものとして受け止められる一因であるように思います。

そして、2013年カリキュラムの理解と実践の一例としての役割も果たすようになりました。さらに、実践例として紹介してきた「夢」をテーマにした授業以外にも、「食事」「挨拶」「家族」「約束」等作品中の様々なトピックやテーマからも多様な授業デザインが可能です。実践紹介の過程で「わたしならこう使う」「これをトピックにしたい」という反応もあり、それぞれの現場の状況、目的、時間に応じた様々なデザインが実践されつつあります。今後の多様な展開に期待したいと思います。

※使用するアニメ『宇宙兄弟』は国際交流基金ジャカルタ日本文化センターのイベント時(2013年)に公開された第一話・第二話(インドネシア語字幕付き)で、読売テレビ放送株式会社から使用許可を得ているものです。

派遣先機関の情報
派遣先機関名称
The Japan Foundation, Jakarta
派遣先機関の位置付け
及び業務内容
ジャカルタ日本文化センターには2名の中等教育機関担当の日本語専門家を配置しており、それぞれジャカルタ首都圏地区、バリ・スマトラ・スラウェシ地区を担当している。ジャカルタ首都圏地区担当は、ジャカルタ首都圏地区を対象として、バリ・スマトラ・スラウェシ地域担当は、同地域及びその他支援が必要と思われる地域を対象として、主として以下の様な業務を行っている。
  • 学校訪問(配属校を含む)による授業参加・教授法指導
  • 教師会支援(教師会の運営や勉強会・研修のサポート)
  • 教育文化省語学教員研修所との協同による研修実施
  • 日本語教育関係の現状把握やネットワークづくり

課題は、日本語教育の在り方の模索・共有、学習意欲、高等教育機関との連携などである。
所在地 Summitmas Ⅰ, Lantai 2-3, Jl. Jend Sudirman Kav. 61-62, Jakarta
国際交流基金からの派遣者数 専門家:2名
国際交流基金からの派遣開始年 2013年
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