世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート)マレーシアの将来を荷う若者たちへの日本語教育

マラヤ大学予備教育部日本留学特別コース
伊達久美子・小林学・関山聡之

マレーシアの将来を荷う若者たちへの日本語教育

伊達 久美子

2020年までの先進国への参入を目指して日々近代化が進んでいるマレーシアは、マレー系・インド系・中華系という多民族国家ならではの異国情緒あふれる魅力的な国です。その首都クアラルンプールにあるマラヤ大学(UM)に予備教育部(PASUM)があり、日本留学特別プログラム(RPKJ/通称AAJ)はそこに付設されたコースです。

AAJ外観
AAJの全貌

AAJは1982年に設置され、今年で34年目を迎えます。1984年に初めて日本に留学した学生数はわずか39名でしたが、その後年によって留学生数の増減はあるものの、現在までの32年間で約3600人の学生が日本の大学へ巣立っていきました。2015年度は2年生(33期生)が100名、1年生(34期生)が105名、教員は国際交流基金派遣の日本語専門家が11名、マレーシア人現地教員が10名で運営されています。

AAJが目指すゴールは、言うまでもなく学生全員が11月に実施されるEJU(日本留学試験)とその後12月に行われるAAJの修了試験に合格し、日本の国公立大学の理工学部に入学することにあります。試験合格を目指して、1年次よりAAJ独自のカリキュラムに沿った授業がまさに時間との戦いの中で実践されていくわけですが、AAJが抱えている問題の一つは、モチベーションがさほど高くない学生も若干ながらいるということです。そんな学生にとって勉強に追われるAAJでの生活はまさしく地獄のような日々となり、成績も低迷する傾向が見られます。そこで、少しでも気分転換ができるようスポーツ大会や日本語スピーチコンテスト、日本の高校生との交流会やホームステイプログラム、先輩の話しを聞く会など、興味深い活動が実施されています。また、少しでもそのような学生に日本の生産技術の高さを理解してもらい興味を持ってもらえるよう、2015年度から新しい企画として、1年生入学時の早い段階で日系企業の工場並びに研究所の見学を実施することにしました。今年度は6月14日に実施されます。毎日朝8時から夕方の6時まで、机に向かってひたすら勉強し続けている学生にとってこの企業見学が学習意欲向上につながるようなよい刺激になることが期待されます。その他にも今年は、教科・日本語科教員によるAAJホームページ制作委員会が設置され、AAJの広報だけでなく卒業生・留学中の先輩・在校生を結ぶ様々な情報交換の場として活用できることで、学習意欲の向上につながるよう現在話し合いが進められているところです。

教員室での打ち合わせ風景の写真
教員室での打ち合わせ風景

AAJのもう一つの課題は、EJUと修了試験終了後の2年生への教育内容の補完です。過去いろいろな取り組みが実施され成果を挙げてきましたが、試験対策中心で十分に準備できなかった「大学の講義を聞くための日本語教育」の更なる充実化を目指して、年明けから修了式が行われる2月上旬までの1か月間、あるいは2月のブレイク期間を活用した新たな取り組みを考えています。

AAJは予備教育機関ではありますが、日本国内においては文部科学省と国際交流基金、マレーシア国内においてはマラヤ大学をはじめ複数の公的機関と関連があるいわば特殊な機関であり、相互理解のためにはどの機関ともコミュニケーションをうまく取っていくことが要となります。難しい面も多々ありますが、マレーシアの未来を担う優秀な若者を育成する教育機関であることを誇りに、日本人教員とマレーシア人教員の協働作業を通して、コースの充実化に向けて奮闘する毎日です。

日馬みらいの架け橋~伊丹北高校との交流会~

小林 学

AAJの学生たちは毎日朝8時から夕方6時まで日本語・物理・数学・化学・英語の5科目の授業を受けなければなりません。そしてそれぞれの授業で宿題・課題・クイズ・テストなどが課され、一定の点数が取れないとやり直しをさせられたり、追試や補講を受けなければならないこともしばしばです。日本留学のためとはいえ、学生の平均睡眠時間は4~5時間。毎日勉強に追われてばかりいると、モチベーションも下がってしまいます。

そんな学生たちの楽しみといえば、時折行われる様々なイベントです。1年時にはマレーシア在住の日本人との交流である「ビジターセッション」、先輩との直接対決も楽しみな「スポーツ大会」、日本に留学した卒業生たちがその経験を後輩たちに話す「先輩の体験を聞く会」、日本文化を体験する「俳句・川柳」コンテスト、「書道」体験などがあります。

中でも伊丹北高校との交流会は1年生がもっとも楽しみにしているイベントです。修学旅行でマレーシアに訪れる伊丹北高校とはもう7年も交流を続けており、お互いにとって一大イベントとなっています。

交流会の前には手紙のやりとりがあり、我々教員は日本式の手紙の書き方を教えます。学生たちは自分の趣味や将来の夢などを日本語で一生懸命に書き、それをきれいに飾りつけて日本に送ります。日本から来た高校生からの返事は、まだ初級を終えたばかりの学生にはかなり難しいものですが、学生たちは普段の学習以上の熱心さで辞書やネットを駆使して解読していきます。我々教師はできるだけ学生の自助努力を尊重し、困ったときのみ手助けをします。

さらに学生は当日に向け、マレーシアの文化を紹介するために伝統的な衣装や遊具、お菓子を用意したり、教室をカラフルに飾りつけたりして準備をします。

伊丹北高校との交流会の様子
日馬みらいの架け橋~伊丹北高校との交流会~
日本の高校生にナシ・レマッの食べ方を
教える学生たち

こうして向かえた当日、最初はよそよそしかった学生たちも次第に打ち解けていきます。日本の高校生たちは日本のアニメや漫画のイラストを持参したり、AAJの学生たちのために日本のクイズを用意してくれたりと盛り上げてくれます。一方マラヤ大学の学生たちもマレーシアの踊りや武道を披露したり、マレーシアのお菓子や料理を振舞ったりと、できる限りの”おもてなし”をします。

半日だけの限られた時間ですが最後は名残惜しそうに写真を撮ったり連絡先を交換したりする姿が印象的です。

AAJの学生たちは「日本留学」という明確な目標を持っています。我々日本語専門家は限られた期間で、学生に日本留学試験(EJU)を受けさせるだけの日本語力を養成しなければなりません。しかしそんな中でも学生たちには日本の文化やマナー、勉強の仕方や自立精神、コミュニケーションやプレゼン能力といったものも身につけてもらいたいと思っています。

こうしたイベントを通して学生たちのモチベーションが上がり、また日々の学習に励んでくれることを願っています。

「みんなで日本へ行こう!」 ・・・学生の心根

関山 聡之

AAJの学生は皆が「日本の大学で学びたい」という志を持って入学してくるわけではありません。家庭の経済的な理由で、奨学金が受けられるAAJなどのコース以外の選択肢を持たない学生も少なくなく、家族の期待を小さい背中に背負っています。そんな10代の若者たちが、仲間と助け合いながら日々奮闘しています。

家族のために・・・

卒業した2年生には、兄弟が9人いるという学生もいました。これを聞いて驚かない日本人はいないでしょう。すべての学生の家族構成がそうではないにしても、平均4人から5人兄弟であることは容易に想像がつくはずです。マレーシアの学費も安くはありません。奨学金制度を活用せずに、子女を大学まで通わすことができる家庭はまだ多くはないのです。

AAJには、高校時代に成績優秀であり、かつ家族の期待を一身に背負った若者が毎年入学してきます。両親、兄弟たちの負担を減らすため、必ず日本へ行くという不退転の決意を持ち、親元を離れ首都クアラルンプールに出てきます。

大学では寮生活が待っています。そこでの生活を通して、学生たちは互いに助け合い、絆を深めていきます。日々の授業、試験、追試などを共に乗り越え、日本行きを目指し、EJUと修了試験に臨みます。

“全員合格”が持つ意味

1月某日。コース修了を来月に控えた2年生たちが緊張の日を迎えました。日本行きの切符を手に入れられたのかどうか。掲示板に貼りだされる紙が彼らの運命を決めます。

日本人の私たちにも高校・大学受験などにおいて、掲示板に自分の受験番号を探し、一喜一憂した経験はあることでしょう。しかし、それと彼らの異なる点は、これが最初で最後の機会であるということなのです。

この日、学生は授業どころではありませんでした。はやる気持ちを抑え時間が過ぎるのをひたすら待ち、夕方。その時がやってきました。掲示板に向かう大学の職員が、薄いですが重みのある紙を持っています。学生たちは三々五々に掲示板へと歩き出しました。そこに、笑顔はありませんでした。

掲示板の前には、学生たちが集まってきました。しかし、合格発表にありがちな歓声は上がりませんでした。自分の名前を探すのに時間がかかっていたのでしょうか。いいえ、彼らは、全員が合格したかということを気にかけていたのです。苦楽を共にした、いわば戦友が一人も漏れずに日本へ行くということが、彼らにとって譲れないことだったのです。自分のことよりも、仲間のこと。他人の気持ちを量れる若者たちなのです。

やがて、大歓声が上がりました。全員が合格したのです。友人と抱き合って喜びを爆発させる者。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになる者。アスリートのように雄叫びを上げる者。喜びの表現は素直な彼ららしいものでした。

先輩に続け!新2年生の闘い

休み時間も惜しんで勉学に励む2年生達の様子
休み時間も惜しんで勉学に励む2年生達

それから、2か月が過ぎ、新2年生は最後の年を迎えました。先輩たちの様子を見ていたのでしょうか。みんなで日本に行きたいと口をそろえます。授業の合間の休み時間も無駄にする者はいません。今日も、語彙クイズを前に語彙リストを見ている者、数学の宿題をしている者、化学の追試のために前の試験の答えを一生懸命覚えている者それぞれです。先輩たちが通ってきた道。去年と同じ風景がそこにはあります。

[お問い合わせ]

国際交流基金(ジャパンファウンデーション)
文化事業部 欧州・中東・アフリカチーム 担当:中島、永田
電話:03-5369-6063
Eメールアドレス:Q_europe_mideast_africa@jpf.go.jp
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