日本語教育通信 にほんごハローワーク 第6回

にほんごハローワーク

第6回 語学の上達のためには目的を作ること フレディ・アルミホスさん 1979年エクアドル共和国生まれ。1999年9月来日。2000年4月拓殖大学留学生別科入学、2001年同大学政経学部政治学科入学、2005年3月卒業。2005年4月よりミヤリサン製薬会社に勤務。座右の銘は「毎日死ぬほど生きること」

第6回 語学の上達のためには目的を作ること

Q1:現在のお仕事について教えてください。

フレディ・アルミホスさんの写真2  プロバイオテクスを使った整腸剤を研究開発・製造している製薬会社で働いています。歴史のある会社です。所属する部署は、「事業戦略部」と言って、去年、私が入社したときに海外へのビジネスを広げる目的で作られた新しい部署です。メンバーは部長を含めて4人。国際ビジネスのデベロップメントを考え、さらに国内ではどうするかを検討し、事業戦略を立てています。
 部署のメンバーは私以外は日本人で、全員英語ができます。でも実際に英語を使う機会が少ないので、部署の中ではできるだけ英語で話すことになっています。他の部署の人たちとはすべて日本語で話します。そうしなければ、私が日本語を忘れてしまいますから(笑)。
 朝、会社に着くと、まずインターネットで日本と海外のニュースを読み、関係のある情報がないかチェックします。部長に調べてほしいと言われていること以外にも、大切だと思うニュースを探します。スペイン語、日本語、英語以外にも、ポルトガル語、フランス語、イタリア語のニュースから情報を集めることもあります。
 事業戦略部ができてから、社員全員に、毎月、提案書を出してもらうきまりができました。会社にプラスになるアイデアを集めて検討し、実行するための方法を事業戦略部が中心になって考えます。今のところ、工場のユニフォームとスリッパを新しくすること、インターネットの回線を早くすることなどが実行されました。しかし、すぐにできることばかりではありません。会社のシステムを変えることにもなるので、私たちの部署だけではなく、すべての部署を見ながら考えなければなりません。
 ほかに、会社のホームページを新しくすることを任されています。社長から入れてほしい内容を聞いているので、それを大事にしながら、私のアイデアで材料を集めているところです。すべての材料を用意して、ウェブを作る会社にお願いするところまでが私の仕事で、この10月には出来上がる予定です。ホームページで使う写真やビデオも私が撮っています。札幌や仙台、福岡、大阪などあちこちにある営業センターへ行って撮影するのですが、自分で計画を立てて、好きなようにさせてもらっています。はじめて行く街もあって、楽しんでやっています。夜は営業センターの人が食事に連れて行ってくれるので、そこでコミュニケーションをとったりもします。お酒を飲むと、会議中よりも仕事の話が盛り上がるようですね。日本人には特別な仕事の仕方があるような気がします。

Q2:なぜ日本に来ることになったのですか?

 4、5歳の頃、毎晩のように不思議な夢を見たんです。私は刀を持ち、誰かの前にひざまづいているんです。私の前には赤い着物を着た女性が立っていました。笑われるかもしれませんが、リーインカーネーションだと思ったんですね。その頃から、いつかどこか遠い国に行くことになるだろうと、いつも思っていたんです。エクアドルの世界地図で見るとアジアが一番遠くになります。最初は中国だと思って、ブルース・リーに憧れたこともありました(笑)。漢字にもひかれましたね。意味は分からなかったのですが、中国製品のラベルに書いてある文字をまねして、よく学校の黒板に書いて遊んでいました。8、9歳になると、今度は「侍」に憧れたんですね。エクアドルでは黒澤明監督の映画『七人の侍』が有名でしたし、日本はとても不思議な国に思えて、いつか行きたいと思うようになりました。
 日本の大学へ行くことを決めたのは、15歳の頃だったと思います。その頃は宇宙飛行士になりたいという夢を持っていて、大学で宇宙工学を勉強しようと思っていました。まわりからは、宇宙飛行士になるならアメリカへ行く方が早いと言われましたが、どうしても日本へ行きたかったのですね。エクアドルの日本大使館で日本の大学を調べて、東京大学の宇宙工学部が有名なことを知り、決心しました。日本へ行けば、宇宙工学だけではなく、日本の文化も言葉も勉強できる。一石二鳥だと考えたのです。

Q3:日本へ来るためにどんな準備をしましたか?

 働いて留学のお金をためました。16、17歳の頃は午前中は高校で勉強し、午後は市役所で働いて、夜6時から10時まではパソコンの勉強をするために専門学校へ通っていました。専門学校が終わると、ラジオの深夜番組を持っていたのでラジオ局へ行き、その後にまた別の仕事をするという生活でした。ほかにも、全国の学生運動のリーダーもしていたので寝る時間がないほど忙しかったです。
 私が7歳のときに両親が離婚して、それからはひとりで住んでいました。父と母のどちらに付くかと聞かれましたが、離婚に反対だったので、どちらにも付きたくなかったんですね。父からたくさんお金をもらったのですが、子供ですから3年ほどで全部使ってしまいました(笑)。ちょうどその頃に都会を出て小さな村で暮らす機会があって、初めて自分の国の現実を知りました。村にはテレビが1台しかなく、家には水道もトイレもなくて、子供達は裸足なのです。それから少しずつ政治に関心を持つようになり、15歳で全国学生運動のリーダーになりました。国会の前でスピーチをしたり、学生を集めてデモをしたこともあります。
 朝から夜中まで、本当にたくさんのことをしていましたが、文化の違う国で暮らすにはストレスにも耐えられるようにならなければいけないと思っていたので、つらいとは思いませんでした。いくら忙しくても頭の中を整理できるようにと練習のつもりもありました。
 出発の1週間前に、日本へ行くことを母に言ったのですが、それほど驚かなかったようです。母は、「世界に出ていろんなものを見て、とにかく人生を楽しんで、そして、大人になったらエクアドルに戻って何かをやればいい」と言ってくれました。

Q4:日本語は、どのようにして勉強したのですか?

フレディ・アルミホスさんの写真1  日本に来る前は、日本語は挨拶くらいしかできませんでした。
 日本に着いた翌日に、東京タワーの前にある「東京日本語センター」という学校に入学して、それから日本語の勉強を始めました。その日のことは今でも覚えています。下宿先の人が学校までの行き方を書いてくれて、なんとか学校へ行くことはできたのですが、帰りが問題でした。下宿のある駅までは戻れたのですが、どの家が私の下宿かがどうしても思い出せず、近くを2時間ほど歩き回ったことを覚えています(笑)。
 語学学校へ行きだしてからは朝7時頃に家を出て、9時から4時まで学校で日本語を勉強しました。学校までの電車の中では、日本人が話しているのをいつも注意して聞いていましたね。下宿先では、夕飯を食べた後、家族と一緒に毎晩1時間くらいテレビを見ていました。最初はまったく意味が分からなかったのですが、とにかく日本語に慣れることが大切だと思ったのです。その後、夜9時から朝5時まで漢字の練習をしました。100字くらいの漢字の音読み、訓読みを声に出して読みながら、それぞれ10回ずつ書きました。100字の中から一番難しかった10字を選んで、それをまた1500回ずつ書いて覚えました。そんなことを3カ月くらい続けました。まとめて寝るのは日曜日の朝6時からだいたい12時まで。それ以上寝ると体が痛くなるんです。
 もともと寝なくても平気だったのですが、これほど寝なくなったのは、東京大学を受験しようと決心してからです。ある人に、「日本の学生は東京大学に入るために毎日20時間勉強している、だからあなたには無理でしょう」と言われ、「では私は24時間勉強します」と思わず答えてしまったのです(笑)。口にしたら、実行しないと気がすまないので、本当に毎日24時間近く勉強しました。漢字も3カ月でほとんど覚えてしまいました。最近はパソコンを使うので、少しずつ忘れてきてはいるんですけれども(笑)。
 来日して4カ月目に試験があり、国語の試験は合格したのですが、数学を落とし、結局、東京大学に入ることはできませんでした。拓殖大学の留学生別科に入学し、翌年、推薦で同じ大学の政治経済学部に入りました。宇宙飛行士になることも夢でしたが、政治と経済の勉強をしてエクアドルをよくすることができたら、私個人の夢よりもずっと大きなことだと考えて、それでいいと思ったのですね。

Q5:日本語を勉強していて面白いと思ったことは?
日本語を学ぶ人へのアドバイスはありますか?

 漢字を覚えるのが面白かったです。絵のようできれいですし、今でも大好きです。それぞれの意味がイメージしやすくて、私には覚えやすかったような気がします。
 日本に住むなら、漢字を覚えた方がいいですね。仕事の面でも、いろんな面でも役に立ちますから。「郷に入っては郷に従え」です。それから発音が難しいのでよく聴くこと。毎日書くこと。間違えてもいいからしゃべること。短い言葉でいいから相手に伝えること。努力を積み重ねることが大切です。
 いろいろな言語を勉強したいという人がいますが、上達するにはその先の目的がないと難しいと思います。私は好きなもの、欲しいものを手に入れたいといつも思っている野心家で、目的があるから手抜きをしません。そのために日本語を勉強しつづけることもできるのだと思います。夢を持つことですね。

Q6:仕事以外にはどんなことをしていますか?

 タレント事務所に所属していて、CMや映画などにもときどき出演しています。事務所で演技のための講習会があるのですが、侍のかつらをかぶり刀を持って時代劇の練習をしたときに、先生から「本物の侍みたいだ」と褒められました。嬉しかったですね。
 他には、高校や大学、大使館などで行われるさまざまなイベントに、エクアドル人代表としてできる限り参加しています。イベントではスペイン語やダンス、料理、サッカーを教えることや、ラテンアメリカの文化について講演することもあります。今年になって、東京のエクアドル人協会の副会長になりました。そこでも年に2、3回はイベントがあり、週末はいつも何かしら予定が入っています。
 仕事でもいろいろな人たちと知り合いますが、仕事のためだけとは思っていません。プライベートなネットワークも広がるのです。別のイベントに誘われて、個人的に参加することで、逆に仕事のための新しい情報を得ることもあります。どこからが仕事でどこからがプライベートなのか分からなくなることもあります。どちらも好きだからこそ、できるのでしょう。
 漢字の勉強をしなくなってからは、夜中に絵を描いています。毎年どこかの展覧会に出しています。この夏は、神奈川県民ホールギャラリーで行われた「南米からの熱い風」という展覧会に作品を出しました。就職してからは出張が多くて、なかなか絵を描く時間がないのが残念です。

Q7:今後の展望は?

 少なくとも10年は今の会社で仕事を続けようと思っています。同時にタレント活動も続けたいし、いずれは自分の会社も作りたい。たとえば、エクアドル風のバーやエクアドル料理のレストランも開きたいと思っています。そして、お金を貯めて帰国し、45歳でエクアドルの大統領選挙に出ることが目標です。
 エクアドルには、いろいろな民族がいて、いろいろな考え方や宗教があります。民族や国が持っている資源が上手く利用されていないのが残念です。全人口の10パーセントの人たちが「エクアドルの所有者」と言われ、50パーセントの人たちはいくら働いてもお金が足りない生活をしています。平等な生活をするためには、何かを変えなければならない。それを実現する人が現われるのを待っていたら、100歳になっても現われないかもしれません。だから、自分で何かをしようと思うのです。
 大統領になれなくても、ビジネスマンとして、エクアドルに帰って企業をおこし、国のために何かできればいいですね。今やっていることや日本で学んだことはすべて取り入れたい。たとえば、時間を大切に使う文化や時間を守る文化。とても素晴らしい文化だと思っています。

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