日本語教育通信 にほんごハローワーク 第9回

にほんごハローワーク

第9回 ベトナムの将来に備えて日本の医療を学ぶ レ ティ キム ウエさん。看護師。AHPネットワーク協同組合のベトナム人看護師要請支援事業のプログラムにより2000年1月来日。2003年、千葉県立鶴舞看護専門学校卒。同校の入学から卒業まで日本人と同じ看護教育を受け、2003年に看護師国家試験に合格。同4月に医療法人社団さつき会袖ヶ浦さつき台病院にて勤務開始。心療内科、外科の研修を経て、現在は精神科の認知症治療病棟に勤務中。ベトナム、ハタイ出身。

第9回 ベトナムの将来に備えて日本の医療を学ぶ

Q1:現在、どんなお仕事をされていますか。

 介護施設や在宅では介護できない終末期*1にある認知症*2の 患者さんを対象とする病棟に勤務しています。外科から移ってきて1か月が過ぎました。日本では平均寿命が伸びているので、将来は外科や内科の患者さんでも認知症になるケースが増えるといわれています。そのため、勤務先の病院では、外科や内科に勤めている看護師に認知症看護の経験をするよう勧めています。私も将来に役立つと思い、この病棟での勤務を希望しました。外科や内科では患者さんの治療が主な仕事でしたが、現在は介護の対応が多く、患者さんが毎日を無事に過ごせる ことが課題です。まだ慣れていないので大変です。

Q2:日本で看護師になるまでの経緯を教えてください。

 高校の頃、地理の授業で日本を知り、「日本ってすごい国だな」と思いました。日本には天然資源がほとんどないのに、努力して国を作っていると思ったからです。来日のきっかけは大学受験の時にやってきました。私はハノイ医科大学の医学部を受験しましたが、合格するにはほんの少しだけ点数が足りませんでした。このような医学部の受験生を対象とした日本の看護学校への留学プログラムがあることを知り、留学を決めました。

 留学準備のため、まずハノイのAHP日本語センターで1年5か月過ごしました。はじめの半年あまりは、留学条件だった日本語能力試験2級の取得を目標に勉強し、85%の生徒が300点以上で合格しました。私たち4期生からは1級合格者も出ました。その後は日本語で看護学校の受験科目(国語、英語、数学、化学)の授業を受けました。日本語センターでの授業は月曜日から土曜日まで、朝8時から夕方4時過ぎまであり、帰ってからも宿題がありましたから、1日 10時間以上勉強しましたし、テストの連続でした。大変厳しく、あの頃にはもう戻りたくないですが、目標をきちんと持って勉強できたので大切な思い出です。

 日本に来てからは日本人と同じ条件で看護学校の入学試験を受けて合格し、入学後も日本人と同じ授業を受けました。40人のクラスの中で、外国人は私1人でした。2年の後半からは病院で実習を受けます。患者さんとの話し合いや看護計画はとても楽しかったのですが、実習後に毎回提出しなければならないレポートは一番大変な課題でした。看護師の業務では毎日引き継ぎのための書類を書くのが重要な仕事なので、こうして書く練習をしました。

 私が学校に通っていた頃は手書きのレポートをコピーして学校と実習先の病院に提出する必要がありました。私は学生寮で生活していましたが、寮にコピー機はなく、学校のコピー機は夜7時頃から朝まで使えません。そのため、レポートを書き上げるのが夜中になるときには、山の中にある学生寮から4~5km離れた最寄りのコンビニまで自転車でコピーをとりに行くこともありました。

 実習が終わると、国家試験の受験準備期間が3か月程度ありました。学校の図書館だと他の学生がいて集中できないので、市立図書館に通って勉強し、国家試験に合格しました。

Q3:患者さんとのコミュニケーションで苦労したのはどんなことですか。

レ ティ キム ウエさんの写真

 現在の病院で外科に勤務し始めた頃は、終末期やがんの患者さんの隣にいて、ただ共に過ごすことが励ましにつながる、ということが理解できませんでした。でも全く話してくれなかった方が、亡くなる直前に「キムさんがいてくれてよかった」と言ってくださったこともあり、今ではそれが看護師の役割の一つと思えるようになりました。もちろん、もし何かあったときに日本語で伝えられるという安心感をもっていただくために、専門用語の日本語が十分に理解できる必要があります。

 患者さんと大切な関係が築けた思い出もあります。外科の病棟で、がんの患者さんに名前を覚えていただけるような長いお付き合いができました。手術後には麻酔が醒めたかどうか確認するために看護師がお名前を呼ぶのですが、ほとんどの方のお返事は「はーい」などというただのあいづちです。でもその方は「ああ、キムちゃん、来てくれたんだね」といってくださいました。些細なことですが、とてもうれしい経験でした。この方は私が結婚のためにベトナムに一時帰国するときに終末期を迎えられ、本当は私の結婚式にお祝いの手紙が届くよう書くおつもりだったそうですが、帰国前にお祝いの手紙を手渡してくださいました。
私が日本に戻ると亡くなられていました。

Q4:いずれ帰国されるご予定ですが、日本で身につけたことをどのように生かしたいとお考えですか。

 ベトナムと比べれば日本の医療現場は先に進んでいます。今、日本で起きている問題の多くは、いずれベトナムでも起こるでしょう。高齢化はその一つの典型です。ですから日本の経験を帰国後すぐに生かせなくても、いずれは使えるときが来ると思っています。また日本で行われている治療法の多くは、一つには機器不足のためにベトナムではまだ受けられませんが、今後必要な機器が導入されれば、扱える看護師が必要になります。もっと勉強や経験をして看護指導の仕事ができるようになりたいとも思っています。

Q5:日本とベトナムの違いをどんなところに感じますか。

 ベトナムでは思ったことをすぐに口に出せますが、日本では細かく周囲に合わせるよう常に注意している必要があります。例えば誰かと食事をしているときも、「おいしい?」と聞かれたら、自分の感想を言おうとはせず、「おいしい」と答えれば問題ないのですが、正直に「全然味がない」などと言ってしまうと印象が悪くなります。もちろん親しい先輩や同僚にはこのような気遣いは不要ですし、相手も本当の考えを言ってくれます。

 日本の医療の基本的な考え方は「サービス」を提供するという考え方です。でもベトナムではサービス提供までには達しておらず、病気に対して必要な治療をしている状態です。設備、スタッフの専門知識などが不足しています。

Q6:ご自身でベトナムのどのようなところを変えていきたいですか。

 技術的なことは勉強すればすぐ身につくので、私はベトナムの看護師の考えと態度を変えていく必要があると思っています。日本では、看護師は患者さんに一番近い話し相手になるべきだと考えられていますが、ベトナムの看護師は患者さんに声をかけたり、辛いときに癒したりすることができず、攻撃的な言い方をすることさえあります。患者さんの家族のマナーにも問題があります。日本では患者さんの家族でも一言声をかけてから病室に入りますが、ベトナムでは大勢の患者さんの家族が何も言わずに、入ってはいけない状況の病室に入ってくることがあります。こういうこともあって看護師の対応が荒くなるのだと思いますが、看護師が誘導しなければ状況は良くならないと思います。

Q7:日本語の勉強について、もう少し詳しく教えてください。

 日本語能力試験2級に合格すると、知らないことばでも辞書などで調べずに自然に意味がわかるようになりました。でも手紙の書き方やきちんとした敬語については、すぐには表現が出てきません。日本人の学生は先生にきちんとした敬語を使わないので、学生時代は私たちもそれに合わせて敬語を使わずに過ごしたのですが、病院では医師や患者さんに敬語を使わなければなりません。日本の学生は3年間敬語を使わなくてもすぐに敬語を使えますが、私は忘れているので勉強し直さなければなりませんでした。

 よく医療の専門用語を覚えるのは難しいですか、と質問されますが、私にとっては一般のことばも専門用語も、新しく覚えなければならない外国語であることに変わりはありません。難しいのは確かですが、日本語を勉強すればあまり問題なく覚えられますし、むしろ専門用語のほうが調べやすいと思います。私が専門用語より難しいと思うのは、例えば標準語以外の地方のことばです。地方の病院で勤める時は方言を覚える必要があります。私の勤める病院では病棟で方言を使う必要はありませんが、スタッフには関西出身者が多くいます。

Q8:日本語を勉強中の方々へ励ましのメッセージをお願いします。

 目標があれば何でもできます。日本語は難しいですが、勉強すればやさしいと思えるようになります。例えば発音はとても覚えやすいです。いずれは英語圏の医療機関へ短期研修に行きたいので、今、私は英語を勉強していますが、日本語より英語のほうが難しいことばだと思います。

  1. 1 医師によって治る見込みがないという診断を下され、数週間から数ヶ月で死亡すると予期される状態になった時期
  2. 2 普通に社会生活を送ってきた人が、主に老年期に脳や身体の疾患が原因で、記憶・判断力などに障害がおこり、普通の社会生活をおくることが困難になる状態。

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