採録レポート:トークイベント「ベトナムの団地から考えるコモンズ」

2025年8月8日、「瀬戸内国際芸術祭2025」夏会期中に特設されたベトナムマルシェ(香川県高松市)で、トークイベント「ベトナムの団地から考えるコモンズ」を開催しました(主催:国際交流基金、共催:瀬戸内国際芸術祭2025)。ウェブサイト「ケアの知恵袋:A Living Archive from Asia」のキックオフとなった同イベントには、登壇者としてベトナム・ハノイから建築設計事務所「Kecho Collective」創設者のグエン・マイン・トゥアンさん、インドネシアの首都ジャカルタにある集落「チキニ」をフィールドとする建築家・岡部明子さん、フィリピンのインフォーマル居住区(スラム)で活動・研究を行う社会学者・石岡丈昇さんを迎え、美学者の伊藤亜紗さんのモデレーションのもと、「コモンズ(共有地・共有資源)」をテーマに講演・座談会を行いました。

前半は、「コモンズへの交渉:ハノイのKTT (Khu Tap The)キム・リエンにおける占有とエブリデイ・アーキテクチャ」を主題に、トゥアンさんがベトナムの公共団地KTTの概要と、そこで行われる住民同士の交渉、コモンズの活用事例についてレクチャー。後半はレクチャーの内容を踏まえ、インドネシアやフィリピンにおける「共有」をテーマに議論しました。本稿では、その様子を前半、後半の2パートに分けてお届けします。

(執筆:徳山貴哉)

伊藤:
みなさん、今日はお集まりいただきありがとうございます。このような素晴らしい景色を背景に、この会を開けるのをとても嬉しく思います。

本日のイベントのテーマである「コモンズ」は、日本語だと「共有地」や「共有資源」と訳されることが多いかと思います。日本には伝統的に「入会地」と呼ばれる、特定の誰かのものでもなく、政府や国家のものでもない共同体の土地が存在していました。そこで人々は、薪を取ったり、農作のための肥料を集めたりと、生活に必要な資源を得ていたわけです。こうした「私的所有」でも「国による所有」でもない、その中間の領域こそが「コモンズ」なのではないかと思っています。

マイクを手に話をする女性、背景に海が見えている
モデレーターを務めた伊藤亜紗さん、photo: 国際交流基金

しかし、共有地や共有資源という言葉に含まれる「共有」という語には、あまりとらわれ過ぎないほうがよいのかもしれません。日本語における「共有」は「状態」を指しますが、本当に重要なのは、それがどのように共同で「管理」されているかという点。つまりその共有地/共有資源が、いかにダイナミックに管理され続けられているのかという仕組みにこそ、注目すべきポイントがあると思うのです。

皆さんの中には、「コモンズの悲劇」という言葉を聞いたことがある人もいらっしゃるかもしれません。この有名な議論では、自己利益を優先する人によって資源は独占され、コモンズは必ず崩壊すると主張されてきました。けれど、世界を見渡すと、そうなっていないコモンズもたくさん存在している。そこで悲劇を回避できているのは、共有資源が上手に管理されているからなんです。コモンズと聞くと、みんなが思いやりを持って、他人のために振る舞うような性善説的なイメージを抱かれるかもしれません。もちろん、そうした面もあるかもしれませんが、利害がぶつかり合いそうな人たちが、本格的なコンフリクトに至る前に、うまく衝突を回避して共存していく——そうした知恵こそが、とても興味深いのではないかと思うのです。その意味でも、共有を「状態」として捉えるのではなく、そこに働いている管理の仕組みに目を向けてみたいなと考えています。

とはいえ、先ほど私が使った「管理」という言葉にもまた、少し注意が必要です。管理と聞くと、あるルールが存在して、それに従って人々が行動しているというイメージを持たれるかもしれません。でも、今日みなさんがお聞きする話はそうではありません。よりダイナミックで、その場その場に応じて、より物理的に、身体を——ときに植物をも——使いながら、交渉や調整が行われていく。そうした、ルールではなく、むしろ“動物的” とも言えるものであるはずです。そして、その動物的な振る舞いの中に、共同体が信じている「共有とはなにか」「資源とはなにか」「私たちとはなにか」といった暗黙の理解が、ものすごく濃厚に織り込まれている。今日は、そうした部分に目を向けてみたいなと思います。

前半は、ベトナムの団地「KTT」の例を通じて、コモンズについてトゥアンさんにお話いただきます。そして後半に、インドネシアの事例を岡部さん、フィリピンの事例を石岡さんにお話しいただいたのち、議論を深めていけたらと思います。

レクチャー「コモンズへの交渉:ハノイのKTT (Khu Tap The)キム・リエンにおける占有とエブリデイ・アーキテクチャ」

1. KTTの概要と歴史的背景

インドシナ半島東部に位置し、南シナ海に面するベトナム社会主義共和国。北を中華人民共和国、西をラオス、南西をカンボジアと接するこの国では、共産党による一党制の政治体制が敷かれている。首都ハノイは、人口約880万人、表面積約3360平方キロメートルを有し、現在51の坊と75の社からなる計126の行政単位が存在している。今回の舞台となるのはそのひとつ、キム・リエン坊にある公共団地「KTTキム・リエン」だ。

高所から見下ろした黄色い壁が特徴的な古い団地
KTTキム・リエンの外観

1954年の北ベトナム解放を機に社会主義建設の時代へと突入したベトナムでは、「平等」「団結」「アクセスのしやすさ」といった理念に基づき、ハノイ市の国家公務員向けに住宅政策が打ち出された。その一環として、ソ連で学んだベトナム人建築家たちが、標準化された住居とその周辺に商店、学校、診療所などの生活施設を統合したソビエト型集合住宅モデルを導入する。このモデルは、ベトナム語で「集団地区」を意味する「Khu Tập Thể(KTT)」として国内に定着していく。

Kecho Collectiveの事務所が入るKTTキム・リエンは、1965年に竣工。4階建ての住棟38棟といくつかの公共施設から構成され、総戸数は2,600世帯にのぼる。1人あたりの居住面積は8㎡が基準とされ、当時としては比較的ゆとりのある快適な集団住宅とみなされていた。その後、KTTタイン・コン(1972年)、KTTチュン・トゥ(1975年)、KTTザン・ヴォー(1980年)など、同様の集合住宅がハノイ中心部および郊外に次々と建設される。KTTに共通する特徴として、建物が平行に配置され、それぞれの棟の間には広く開かれたスペースや中庭が確保されている点が挙げられる。採光や通風といった健康的な住環境の設計にも配慮されており、トイレや水道、電気といった設備も1960年代初頭の段階からKTTの各ブロックに備えられていた。

しかし1986年のドイモイ(刷新政策)以降、社会主義体制から市場経済へと移行が進む中で、国内に「私有財産」や「所有」という概念が再びもたらされる。KTTキム・リエンでは、もともと公務員に無償で割り当てられていた住戸が、1994年の政令第61号により住民自身によって購入が可能となった。また、都市部を中心とする急速な人口増加にともない、一世帯あたりの家族構成も拡大。こうした背景から、KTTの住民の間では住まいの拡張やパーソナライズへの欲求が高まり、1980年代後半に入ると、建物の外側へと張り出すような小規模な増築が増えていく。増築部分は、檻のような見た目から「虎の檻(tiger cages)」と呼ばれ、当局は当初この動きを抑制しようとしたが、現実的な必要性の高まりと実態の広がりを受けて、次第に黙認されるようになった。

2. コモンズとしての中庭と植物による空間交渉

ほとんどのKTTには、棟の間に共有スペースである中庭が備わっている。その空間は、洗濯場や運動スペース、鉢植えの植物エリア、コーヒーショップなど、1日のなかで多様な人々に、多様な用途で使われている。

4回ほどの高さのある建物に囲まれた中庭でネットを張って人々がボールゲームをしている
KTTキム・リエンの中庭の様子、photo: Kecho Collective

たとえばKTTキム・リエンの中庭の場合、早朝には高齢者が散歩や運動のために使用し、その後は会社員や住民たちが朝や昼休みにコーヒーを飲みに訪れる。放課後には子どもたちが遊具で遊び、夕方にはレストランなどの営業が始まる。多くの場合、これらの活動が同時並行で行われ、にぎやかな雰囲気が感じられることが多い。また、同じ中庭のエリアでも、昼間はコーヒーショップ、夜はレストランとして活用されるなど、時間帯に応じて空間の用途が切り替わる。中庭の周囲には、壁面を利用した簡易なヘアサロン、可動式の家具で果物を販売する屋台、街路樹のまわりに設けられた小さなキオスクなど、さまざまな「都市の装置(urban devices)」も見られる。こうしたサービスは、当初の住宅計画に含まれていなかった日常のニーズを満たす手段となっており、結果的に、人々が集まり、社会的な空間が自然と育まれるアドホックなコミュニティ・インフラとして機能している。

昼間の中庭の風景木々がありパラソルやテントを貼って人々がくつろいでいる
木々の間に吊り下げられたランプで明るく照らされた夜の中庭
KTTキム・リエンの中庭の様子(昼と夜)、photo: Kecho Collective

KTTキム・リエンを訪れると、共用部分に置かれた多くの鉢植えの植物たちが、豊かな緑の風景をかたちづくっていることがわかる。これらの植物は住民たちの所有物だが、しばしば玄関前のスペースを超えて、共用部分にまで広がっている。なぜ共用部に植木鉢を置くのか。ある住民は「玄関前に原付バイクを駐車されたくないから」と説明する。また、他の住民は、共用階段の裏手にある空間に植物を置き、現在その場所を彼女の夫の診療所として使用している。つまり彼らは、鉢植えの植物を介して空間を“占有”し、自身の生活スペースを拡張したのである。しかし、植栽を通じたこうした占有行為も、「公共空間の美化」という役割を果たしていることから、住民たちの間で受け入れられる場合が多い。

棚や地面に植木鉢やプランター等が所狭しと並び、上からも吊り下げられている
共有部分を占有する植木鉢の植物たち、photo: Kecho Collective

スタッフや学生とともに団地内の中庭スペースでワークショップを複数回開催してきたが、これらの活動も住民たちに許容されている。ただし、エリアの住民代表の同意や他の活動との衝突を避けるような配慮は必要であり、コーヒーショップで飲み物を購入するなど、その空間で提供されている他のサービスを利用することも大切なエチケットとなっている。

3. 虎の檻(Tiger Cage)

KTTの外観に見られる即興的な建築は、住民たちが現実的なニーズに応えるために、既存の空間を柔軟に変容させた結果である。なかでも目を引くのが「虎の檻」だ。その形式は、ロッジア(屋根付きのバルコニー)から中二階、完全な部屋に至るまで、さまざまな段階が見られる。増築の目的も、追加の寝室や台所、ダイニング、小さな庭、自転車置き場、洗濯スペース、物干し場など実に多様だ。なかには、虎の檻の中にさらに副次的な機能空間が入り込んでいる場合もあり、複層的な構造が形成されている。

団地の各階層の住居の中層上層の部屋の窓側から、巨大なバルコニーのように、ケージのような構築物が突き出している
虎の檻と呼ばれる構築物のバリエーションで違う建物の写真が四点横に並んでいる。
さまざまな虎の檻の事例、photo: Kecho Collective

虎の檻の増築にあたっては、同じ階の隣人や上下階の住人に話を通して合意を得た後、当局の都市環境部門にリフォーム許可を申請する。もっとも、当局が許可するのは室内リフォームに限られており、虎の檻のような外部への拡張は制度上認可されていない。そのため、住民は「室内リフォーム」という名目で申請書を提出するが、実際には当局も住民も、その背後にある増築の意図を理解しているのが実情である。

虎の檻の工事は法的には違法とされるため、たとえ隣人とのトラブルがなくとも、短期間で一気に進められることが多い。なかには、隣人の同意を得られなかった場合に、祝祭日の連休中に工事を強行するケースもある。

2024年春にKTTを訪れた建築家・隈研吾は、虎の檻という即興的なレイヤーと中庭の自然が交錯する光景を「『宙に浮かぶ庭』『雲のような構造体』のようだ」と表現した。虎の檻は、単なる建築的な逸脱や例外ではなく、暮らしそのものをめぐる絶え間ない交渉の軌跡である。KTTの住民たちは、行政だけなく、隣人や物理的な空間の制約、資金や材料といったリソースとも向き合いながら、自分たちの暮らしのかたちを作り出しているのだ。

緑の葉が茂る大きな木々の間から、虎の檻が見えている
中庭の自然と交錯する虎の檻 、photo: Baptiste Fontvielle

建築家として、また研究者として、Kecho Collectiveの活動を通じて目指すのは、虎の檻のような「インフォーマルなものをフォーマルにする」ことではない。むしろ、現実に根ざし、人々の暮らしに耳を澄ませ、寄り添う実践として、建築そのものを捉え直すことにある。今後も、KTTでのフィールドワークを通じて、ベトナムの人々がいかに空間を占有し、交渉し、時に抵抗しながらケアを実践しているかを記録しながら、今回のような対話を「コモンズの生命力」に関心をもつ建築家、研究者、コミュニティの人々へと広げていきたいと考えている。

座談会:ベトナム、インドネシア、フィリピンの事例を通して「所有」と「共有」を考える

伊藤:
トゥアンさん、非常に興味深いお話をありがとうございました。私も一度、KTTを訪れたことがあるのですが、そのときに感じたのは、非常に「合理的な場所」だということでした。たとえば、中庭が時間帯によって異なる用途で使われている点。日本では、「自分のものではないものを勝手に使ってはいけない」という意識が強く、ある空間や資源を使う場合、「それが誰のものなのか?」という私的所有権の確認がまず求められます。しかし、所有者が使っていない時間はその資源が放置されているわけですから、実際は合理的ではないのかもしれません。対して、KTTの中庭のような例は、その瞬間、その場所を必要な人が、必要な方法で使うという「時間ごとに分けられた所有権」のあり方。ニーズがあるからこそ、有限な資源をいかにうまく使うのかという知恵が生まれているのかなと思いました。

さてここからは、今のトゥアンさんのお話を受けて、岡部さん、石岡さんのお二人のフィールドから、それぞれ質問・コメントをいただけたらと思います。

岡部:
こんにちは。岡部明子と申します。トゥアンさんのお話を聞いて、今私たちが感じている「息苦しさ」に気付かされたという方も多いかもしれません。KTTの事例は遠い話のように聞こえますが、実は日本でも、ほんの60〜70年前までは自分の家に手を入れるのは珍しいことではありませんでした。私はいま、生まれた頃に父親が建てた家に住んでいますが、これまでに6回ほど増改築しています。それも「タンスを買ったけれど置き場がないから増築しよう」といった理由からでした。本来、増改築は人間が行うごく自然な行為。それが日本では簡単にはできないがゆえに、私たちは一種の「息苦しさ」を感じているのではないかと思うんです。

マイクを持った女性がプラスチックの椅子に座って話している。
登壇者の岡部明子さん、photo: 国際交流基金

今日は、2つの論点を出したいと思います。まずひとつが、今述べた「居住の自律」についてです。先日、建築家ジョン・F・C・ターナーが1976年に出した著書『ハウジング・バイ・ピープル』を翻訳したのですが、この本でターナーは、住まいの改変は人々の生きる権利であると説いています。当時、スラムは人間が住むには不適切な場所であり、一掃してより“質の高い”近代的な住宅を整備することが政府の責任だとされていました。それに対してターナーは、スラムをクリアランスするのではなく、自分の手で住まいをコントロールできる自律的な住宅こそが重要であると唱え、後に国連や世界銀行の住宅政策に大きな影響を与えます。私たちは今、とても機能的には豊かな住宅に住めるようになっていますが、ターナーの指摘を踏まえると、「商品としての住宅」を選ばされているだけとも言えますよね。

もうひとつが、「コモンズというみんなの資源が最初に存在するのか、あるいはコモニング(共有する)という関わっていく行為が先にあってコモンズが生まれるのか」ということです。私は2010年から、インドネシアの首都ジャカルタの中心部にあるチキニという集落を研究フィールドとしています。ここは1900年代前半から人々が勝手に住み出した、いわゆる都市カンプン (マレー語/インドネシア語で、一定地域の家屋の集合体・集落を指す)と呼ばれる場所です。5000人ほどが住んでいる非常に高密度な集落で、ここで私の学生たちは、コミュニティと共に建築の実践を十数年続けています。たとえば、「子どもたちの勉強スペースが少ない」という親世代からの要望を受けて、インドネシア大学の学生たちと地元の大工さん、コミュニティの人々と一緒に、火災後放置されていた土地に、2013年、みんなの勉強部屋を建てたことがあります。話し合いの段階では、多くの住民が賛同するのですが、いざ建設が動き出すと「ここは自分の土地だ」と主張する人が必ず現れます。それも1人ではなく、2人、3人と。私たちも関わってここで毎週移動図書館をしていたときはよかったのですが、やがて運営をコミュニティに委ね、コミュニティ内の力関係が変わり、リーダーが失脚したことで、対抗勢力の人たちがそのスペースを占拠するというようなこともありました。「日々使っていなければスペースがなくなる」という日々の緊張関係、空間を巡る交渉という点は、トゥアンさんのお話と共通する部分かなと思います。

伊藤:
日々使っていなければスペースがなくなる——まさにコモニングに通ずるお話ですね。石岡さん、続けてお願いいたします。

石岡:
石岡丈昇と言います。僕は社会学を専門にしていて、フィリピンの首都マニラのスクオッターについて研究しています。スクオッターとは、座る/しゃがむを意味するスクワット(squat)に由来する言葉で、「私的所有権をもたない土地に定住する人びと、およびその集住地域」を指します。先ほど話に上がったカンポンも、ある意味スクオッターと捉えられるかもしれません。僕が調査しているマニラのスクオッターは、1960~70年代の都市化と共に自然発生したもので、カンポンと同じく高密度なため、夕飯の匂いなども共有されてしまう。それゆえ、通りがかった人が挨拶すると、儀礼的に「ご飯食べた?」と声をかけて、一緒に食事をとるといったことが起こるんです。

しかし、昨今の再開発に伴い、こうした人々は再居住地へと移されつつあります。政府が整備する再居住地は整然としていますが、そのせいで室内に直射日光が入り込み、とても暑くなるんです。スクオッターは、一見乱雑で不衛生に見えるものの、そのおかげで日陰がたくさん生まれている。東南アジアの暑い気候では、この日陰の存在がとても重要なんです。再居住地ではこうした理由から、家の前部分を増改築するケースも多く見られます。法律上は違法ですが、人々の間で黙認されているという点は虎の檻とも共通していますね。他にも、国有地にバスケットボールコートを作り、さまざまな政治家と交渉しながら設備をアップグレードしていくといった事例もあります。

夜の海を前に、椅子に座り片手を広げて集まった人々に向かってマイクをもって話す男性。
登壇者の石岡丈昇さん、photo: 国際交流基金

今日のトゥアンさんの話を聞いて、2つ質問があります。1つ目が、KTTの時間的な変化についてです。フィリピンのスクオッターでは、たとえば洗濯場だった場所が、半年や一年後には鶏が飼われるスペースになったり、観葉植物が置かれる場所になったりと、外観は変わらずとも時間の経過とともに内部空間が日々変化しています。今回のレクチャーのタイトルも「エブリデイ・アーキテクチャ」でしたが、KTT内部における時間的な変化について詳しくお聞きしたいです。

そしてもう一つが、家のメンテナンスについてです。スクオッターでは、屋根などに安価な素材を使っているため、台風などで壊れることも珍しくありません。日本に住む我々からすると、「壊れる」ことは良くない出来事のように感じられますが、フィリピンの事例を見ると、必ずしもネガティブなことではないようにも思えるんです。というのも、住民たちは家が壊れると、業者に頼むのではなく皆で協力して修理を始めるので、逆に人間関係が作り出されていくからです。今私たちは、たとえばiPhoneが壊れたらAppleストアに持っていくというように、修理する権利を持たない製品に囲まれています。それは言い換えれば「修理する力を失う」とも捉えられるでしょう。その点、フィリピンのスクオッターでは、修理することを通じて人間関係や飽きのこない空間を作ることにつながっている。そうした観点から、KTTにおけるメンテナンスの実態についても聞いてみたいなと思いました。

トゥアン:
岡部先生、石岡先生、ありがとうございます。石岡先生のひとつ目の質問、「時間的な変化」についてですが、私たちもそれは非常に重視しています。先日、私のゼミ生14名と一緒にKTTを回り、32箇所の平面図を書いたのですが、本来ならば平面図だけでなく、朝・昼・晩といった時間軸での変化も記録すべきだと考えています。時間的な変化を細かく見ていくと、日々生じる変化もあれば、季節のような繰り返される変化もあるかもしません。前半でも触れたように、KTTの共有スペースでは、朝にはフォーのお店、昼は別の飲食店、夜はまた別のサービスが提供されています。しかしある日、朝私にフォーを持ってきてくれた店員が、夜には違うお店の店員になっていたことがあったんです! これは時間的な変化だけでなく、人の移動という観点でも興味深い事例と言えるかもしれません。

2つ目のご質問、「修理」についてですが、KTTでは、虎の檻を含めた修理は基本的に業者に依頼しています。これは、住民が経済的にある程度余裕があることに加え、KTTにはそれぞれ小規模修理業者が存在し、料金も手頃なため依頼しやすいという理由からです。一方で、石岡さんがご指摘された「修理する力」の必要性も強く感じています。私たちがコミュニティ向けに竹細工のワークショップを開いているのは、住民の修理の能力を高めることで、コミュニティに貢献できると思ったからです。

プラスチックの椅子に座りマイクを手に静かに話す男性
第一部のレクチャーも担当した、登壇者のグエン・マイン・トゥアンさん、
photo: Shintaro Miyawaki

伊藤:
ありがとうございます。東京という都市で生活し、岡部先生がおっしゃったような「息苦しさ」を感じている私のような身からすると、今日のお話は非常に開放感があり、「人間だった私」を思い出すような、元気をもらえる内容だったと感じています。ただ一方で、それを「素晴らしい」と言ってしまうことにも強い抵抗があります。絶え間なく変わっていく/安定しないというのは、裏を返せば、常に緊張状態にあり、周囲の空気や状況を読みながら過ごさなければいけない、安心できない状況とも言えます。そして、その状況には終わりがない。自分の家を自分で作り、コントロールしていたとしても、実際には「そこに住まざるを得ない」というもっと大きなコンテクストも存在している。そうした構造を踏まえると、手放しに賞賛することには躊躇いがあります。そこで私からの最後の質問は、「今日聞いたコモンズに関する知恵をどのように受け取り、生かしていけばいいのか?」ということです。お一人ずつ、おうかがいできたらと思います。

石岡:
東京で生活していると、あらゆる場面に「グリーン車」のような仕組みが増えてきている印象を受けます。たとえば、満員電車に乗るときに追加料金を払えば、列に並ばずに「自分のスペース」を買い取ることができる。あるいは、使う頻度が少なくても、友人が遊びに来たときのために、駐車場のワンロットを確保しておくといったこともあるかもしれません。こうした仕組みは、今日話してきたような交渉や不確実性への“疲れ”——並んだり、交渉したり、座れるかどうかを不安に感じたり——をお金で解決するものだと言えます。しかし、「確保安心権」を販売するビジネスが増えていくと、「スペースを確保できるお金を持った人」と、「日々座れるかわからず、置いていかれてしまう人」という格差が生まれてしまう。この話に明確な結論はありませんが、交渉やコモンズに付随する普遍的な課題が浮き彫りになっているようにも感じました。

背景に海の見える会場の様子。人々が集まり、前に数人の登壇者やスタッフが発言している
会場の様子。イベントはベトナムマルシェ内の特設スペースにて開催された
photo: Shintaro Miyawaki

岡部:
今日のお話の中に、「交渉することの方が合理的」「(コモンズを)有効に使える」という意見があったかと思うのですが、私はその点にも注意が必要だと思っています。たしかに、今日紹介されたような事例から学び、ルール化することで、硬直化した制度の中にある無駄を省けるかもしれません。しかしその結果、社会からさらに隙間が失われ、より息苦しく、疲弊するような状況が生まれるのではないかと思うんです。大切なのは、ある種馬鹿げた交渉を続けることを「疲弊」と捉えるか、それとも「楽しめるもの」と見るのか、その違いなのかもしれません。人間は結局、冗長な仕組みの中で、非常に複雑な人間関係を作って交渉することしかできないけれど、それだけだとあまりにも疲れてしまう。なので、何かコントロールできる小さなものをつくる。それが美しい。インドネシアの人がチキニを訪れると「なんてピースフルなカンプンなんだ」とおっしゃるんですよね。構造的にままならない世界的状況がありながらも、ミクロコスモスとして安心して生きられる空間がある。そこでは“馬鹿げた”交渉に明け暮れているんですけど——そんな生き方もありではないかと思っています。

トゥアン:
私の場合、置かれている状況が異なるからかもしれませんが、正直なところ、自分が住んでいる集合住宅に対して不安を感じたことはありません。今にも崩壊しそうだなと日々感じていますが、住民たちが知恵を出し合い、大きな共鳴を生み出しているおかげで、その一線はまだ超えてはいない。そうして今日まで崩壊せずに続いているという事実があるからこそ、不安がないのかもしれません。

岡部:
不安を感じていないというのは、本当にそうなんだと思います。私の学生は、チキニにいく前は、「デング熱になるかもしれない」「就活に影響してしまう」と不安を抱えて現地に向かいます。でも一度行ってしまえば、「ここならお金がなくても2週間は生きていける。でも、日本に帰ると生きていけない」なんて言うようになる。現地がすっかり気に入って、自らの結婚パーティーを開いてコミュニティに祝ってもらった学生が二組もいたほどです。不安なんて簡単にひっくり返るものだと、私自身実感しました。

伊藤:
さっきまですごく綺麗な月が出ていたのですが、急に雨が降ってきてしまいましたね。(登壇者から、同じ傘の中に入ってというジェスチャーを受ける)ありがとうございます。すごい、コモンズ、共有ですね。いろいろなお話がありましたが、ここで会場の皆さんからもご質問をお受けできればと思います。

質問者:
僕もフィリピンに一年ほど住んでいたことがあるのですが、おっしゃる通り、私的所有が弱く、コモンズ的なものやグレーゾーンが非常に多いと感じました。岡部先生が触れていたように、日本も70年前までは同じような状況だったのかと思うと、フィリピンもベトナムも経済発展が進むにつれて、コモンズやグレーゾーンが失われていくのは必然なのかもしれませんね。そしてそれらが失われる前に、その価値に気づくことは難しいのだと今日のお話を聞いて思いました。

石岡:
ありがとうございます。フィリピンのお話なので、私からお答えしますね。フォーマルな仕組みが整っていったとしても、インフォーマルなものが完全になくなることはないと思います。むしろ、フォーマルな仕組みが出来上がると同時に、その隙間にインフォーマルな空間が生まれることすらあるのではないかと。たとえば今のマニラの都市開発では、空中に高速道路や鉄道、スカイウェイを作るインフラプロジェクトが増えているのですが、その結果、高架下というスペースが生まれて、一時的にキッチンとして使われるような事例も見られたりします。もちろん取り締まりもあるのですが、何かが動くことで別の空間が生まれるというダイナミズムは面白いなと感じます。

伊藤:
変化していくというのは、その都度、新しい資源が見出されていくことでもありますよね。私の大学の同僚である建築家・塚本由晴さんは、「人的資源」の「人」を最後に持ってきて、「資源的人」という言葉をおっしゃっています。人的資源は、社会のシステムを強化する人間を生み出すということですが、そうではなく、まさに高架下のスペースのような隙間を見つけて、それを資源だと感じられる感覚を持つ「資源的人」を育てることが、人間として生き生きと生きていくうえで重要であり、大学として取り組むべきことではないかと説いておられて、非常に感銘を受けました。今日のお話も、まさにその考えに通ずるものがあったように思います。

登壇者が傘の下でくっついていく会となりましたが(笑)、皆さん、長時間にわたってお付き合いいただきありがとうございました。登壇者のトゥアンさん、岡部さん、石岡さん、そして通訳のミーさんとフォンさん、この場をとてもいい会にしてくださり、本当にありがとうございました。

傘の下に寄り添いながら話をする登壇者たち
傘の下のスペースを“共有”する登壇者たち、photo: Shintaro Miyawaki
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