文芸対話プロジェクト“YOMU”作家インタビュー:チラット・チャルームセーンヤーコーン × 福冨渉
2025年秋、世界各国から選出された仲間とともに京都文学レジデンシーに参加したタイの作家、チラット・チャルームセーンヤーコーン(サムット・ティータット)さん。1か月にわたる京都滞在後、異文化に身を置いて「書くこと」に向き合った経験をはじめ、作家としての原点、作品に描かれる政治・社会状況、そして新しい世代とタイ文学について、お話を伺いました。インタビュアーは、タイ文学研究者で翻訳家の福冨渉さんです。

「作家であること」に浸った京都滞在
福冨: 本日はよろしくお願いいたします。はじめに、今回京都文学レジデンシーに参加されようと思った理由を聞かせてください。
チラット: 普段はタイの大学で教鞭を取っているため、専業作家として過ごす時間がほとんどありません。作品を書く時間が欲しいという理由で、今回京都文学レジデンシーに応募しました。1か月は短いようですが、自分自身と向き合い、考えやアイディアを作品にするプロセスに集中できる貴重な時間になったと思います。夢のような1か月でした。
レジデンシーに参加して特に感じたのは、日本では作家が名誉ある職業として認識されているということです。タイでは、作家という職業にあまり価値を見出されない場合もあるので、その点に大きな違いを感じました。
福冨: 京都ではどのように過ごされていたのですか。
チラット: まずは京都を知るために、街を歩きながら観光地に行き、嵐山のような有名な観光地を訪れたり、京都の路地を歩き回って人々の暮らしを観察したりしました。そして一日の終わりに、その日に見たことや体験したことを記録するというプロセスを続けていました。
ある日こんなことがありました。バス停でバスを待っていると、高齢の女性がふらふらと近づいてきて、周りの人々に次々と道を尋ねているんです。教えられた通り道路の反対側に渡ればよさそうなのに、その女性はなぜか渡らず、さらに他の人に道を尋ね続けていました。その様子がインスピレーションとなり、このまま「道を渡る」というタイトルの短篇小説が書けるかなと思っています。
福冨: なるほど。もともとチラットさんの作品は、舞台が特定の地域や空間と結びついてないものが多いと思うんですね。タイらしい場所というわけでもなく、架空の国や世界を舞台にして語っている作品が多い。今回の京都という具体的な地域への滞在が、創作の方法論に影響する可能性はあるのでしょうか。
チラット: 作品を書く上で、舞台設定は非常に重要で、まずは場面を中心に構想し、そこに登場人物を配置することが多いです。今回の京都滞在を経ても、物語の中で京都という都市名をはっきり出すことはないと思いますが、滞在した町の特徴を描写することで、読者が京都らしいと感じることはあるかもしれません。ただ、描写した街をチェンマイに似ていると感じる人もいるかもしれませんね。今後も架空の町を使うスタイルは変わらないと思いますが、これまでイメージだけで描いていた街のディテールを、より具体的に描けるようになるのではないかと思います。
作家としての原点
福冨: チラットさんの書くことへの興味やエネルギーは、どこから湧いてくるのでしょうか。そもそも、なぜ「書きたい」と思うようになったのか。チラットさんが作家として歩き始めた、その原点についてお聞かせください。
チラット: ぼくが創作を始めたのは、家族による影響が大きいと思います。ただそれは、「家族が読書家だったから」というようなことでは全くありません。むしろ、家族がどこか不完全だったことが、自分の創作に強く関わっているように思います。たとえば、父を失った経験などがそうです。そうした環境の中で育ったぼくは、子どもの頃から、自分だけの世界に深く入り込んで生きていました。けれど、その内側にたまっていく思いやイメージを、どうやって外へ表現すればいいのか、まったくわからなかったんです。創作という行為は、そんな「内側の世界」を、どうにか外の言葉や形に変えていくための試みだったのだと思います。
ある時、ペンエーグ・ラッタナルアーン監督がインタビューの中で、「人間というものを外に向けて描写し、自分の人間性を外に示すためには文学を読まなければならない」と語っていました。具体的な作家として、タイのチャート・コープチッティ、海外のミラン・クンデラやドストエフスキーといった名前を挙げていたんですね。その言葉を読んだとき、 文学とは何だろう、小説とは何だろう、作家とは何をする人なのだろう、とあらためて考えるようになり、そこで紹介されていた作家たちの作品をひとつずつ読み始めました。タイの作家で言えば、ロン・ウォンサワンの作品にも出会いました。読んでいくうちに、「あ、ここに書かれている世界の方法を使えば、もしかしたら自分自身の経験や感情―これまで抱えてきた傷や痛み、悲しみのようなものを外に出せるのではないか」と感じるようになったんです。そうした気づきが、ぼくが書くことへ向かっていく大きな原点になりました。

このことがきっかけとなり、自分でも書き始めるようになりました。といっても、どこかで創作の方法を学んだわけではありません。とにかく書いてみて、まずは身近な友人に読んでもらうことから始めたんです。「これならいけるかもしれない」という自信が少しだけ生まれて、思い切って出版社にも原稿を送ってみました。もちろん、最初はどこからも出版してもらえませんでした。送った原稿はことごとく断られ続けて、何年も拒否されっぱなしで。それでも書き続けて、ようやく最初の出版にこぎつけることができました。
実際に作品を書き始めたのはおそらく16歳か17歳くらいだったと思います。その頃読んでいた日本文学で特に強く印象に残っているのが、芥川龍之介の作品でした。ちょうどその時期、タイでは日本文学の翻訳がすごく流行っていて、さまざまなジャンルの作品が紹介されていたので、かたっぱしから読んでいくなかで芥川の作品に出会ったんです。暗くダークな雰囲気、生と死のあいだに漂うような世界、善と悪の境界が揺らぐ感じ―そういったスタイルは、自分が当時読んだ芥川の翻訳作品から強く影響を受けていると実感します。
福冨: それが高校生の頃ですね。チラットさんは、もともとCA(キャビン・アテンダント)として世界中を飛び回っていたわけですよね。創作をすることと、いわゆる“キラキラした”CAという仕事は、正直あまり結びつかない印象もあるのですが……そのあたりはいかがでしょうか。
チラット: 大学ではコミュニケーションアーツ学部で広告を学びました。卒業後は文章を書く仕事に就きたいと思っていたので、雑誌や新聞、記者の仕事など、とにかく書くことに関わる仕事に応募しましたが、なかなか採用されませんでした。ある時、最後に応募した新聞社に、大学時代に書いた小説のサンプルを送ったところ編集長から、「この作品は創作として読むととても共感できる。しかし、記者としての能力とは別のスキルだと思う。本当に作家を目指すなら、もっと旅をして、生活の経験を積むべきだ」とアドバイスしてくれたのです。自分にとって目を開かされる体験でした。これをきっかけに、各国を旅してさまざまな国や文化に触れ、その経験を作品に生かしていこうと決めました。だから、CAの時代の経験は、直接・間接的にいまの自分に大きな影響を与えていますね。異なる環境や文化の感覚が、作品の雰囲気や描写に反映されるようになったのは、旅先で受けたインスピレーションが大きかったと思います。
福冨: これまでに短篇集を3冊刊行されていますが、最初の1冊(写真左)は大学を卒業した直後に出されたのですか。
チラット: 大学を卒業して、仕事を探していたころです。当時、キッティポン・サッカーノンという作家兼編集者の方が運営していた出版社ヌン(タイ語で「1」の意味)が原稿を募集していたので送ったところ、出版に至ったのが最初の1冊でした。2冊目(写真右)は、CAとして働き始めてから書いたものです。ずっと、仕事をしながら資金をためて、いつか自分の望むかたちで作品を出版したいと思っていました。デザインや装丁、内容もすべて自分の思うとおりに出版したいと。そこで、自分の小さな出版社、グルムピムを立ち上げました。

1冊目『9つの短篇』(写真左/ヌン、2009年)、2冊目『意味が消える前に』(写真右/グルムピム、2013年)、3冊目『状況いまだ異常なし』(写真中央/サーモン、2019年)。『9つの短篇』は本名のチラット名義で出版
日常の声色で、社会の不条理を描く
福冨: 最初と2冊目の短篇集は、作品の雰囲気が似通っている気がします。
チラット: はじめの2冊の短篇集には、子どもの頃の体験がかなり反映されています。舞台も、タイの地方の農村や田舎を連想させる場所が多いです。執筆の方法としては、あらかじめプロットを作って書くのではなく、まず舞台や雰囲気から入り、そこから物語がどう展開するかを見ながら書いていくスタイルでした。書いている時は、生者と死者の間にいる存在が物語を紡いでいるという感覚です。プロットやテーマ、問いかけを重視するわけではありません。言葉遣いや物語の雰囲気、リズムも、その感覚に寄せています。結果として、物語は明確なプロットに沿って進むわけではなく、そのままのあいまいな雰囲気で物語を包み、結末もその余韻を残すかたちで終わる、という書き方をしていました。
少し話がそれますが、日本語に翻訳された自分の作品は、当然ながら自分では読むことができません。ですが、先日京都文学レジデンシーのクロージングイベントで、自分の作品を日本語で朗読してもらう機会がありました。その時にぼくの作品を担当してくれた永方佑樹さんの、息を吐くようなリズムでの朗読が自分の作品にとても合っていて、まさに自分が書くときに意識していたリズムが、翻訳されてもちゃんと伝わっていることを実感できたんです。
福冨: 3冊目の作品(写真中央)では、だんだんと明確な政治性やテーマ性が現れてきた印象があります。この変化はどのように生まれたのでしょうか。ご自身の中で意識的なものだったのでしょうか。
チラット: 3冊目の短編集は、たしか2014年から2019年の間に執筆したもので、出版社サーモンから刊行されました。タイトルは『状況いまだ異常なし』です。自分の作品に対する考え方や、使う言葉の選び方が大きく変わった時期でした。その背景には、2010年頃からのタイの政治的混乱や、2014年の軍事クーデターなど、自分が目にしてきた政治状況の影響があります。日常の小さな出来事や家族の経験を描きながらも、社会の不条理や政治的暴力といった当時の政治状況をどう絡めて表現できるかを意識しました。例えば、社会全体の行き詰まりや、何も語れない閉塞感といったものを、個人的な経験と重ね合わせて描いています。
短編集のタイトル『状況いまだ異常なし』も、皮肉や風刺の意味を込めています。実際には政治的にも個人的にも異常な状況の中で、あえて「異常なし」と普通の声色で書くことで、日常と非日常、人生の異常さを示しています。この風刺や皮肉を込めた書き方が、自分の作風における重要な転換点になったと考えています。
福冨: 3冊目の短篇集に「ふつうのくに」という架空の国がでてきますね。この設定を使おうと思ったのはなぜでしょうか。
チラット: この作品集では、それぞれ異なる時間軸や場所で書かれている短篇を、架空の国という設定でつなぐことを最初から決めていました。ただ当初は、架空の国に「おかしなくに」という直接的な名前を付けていました。
通常、短篇集のタイトルは、収録作品のタイトルを使うことが多いのですが、このときは出版社側から、短篇集のタイトルを再検討しようと提案がありました。編集者とあれこれ議論するうちに、そもそも自分の作品は奇妙で異常な出来事が多いのだから、皮肉や逆説的な効果をねらって、作品全体をつなぐものとしての「おかしなくに」を「ふつうのくに」に変更しようということになったんです。そのうえで、短篇集としてのタイトルも、『状況いまだ異常なし』となりました。
架空の国を設定することで、タイ社会に限らず、他国や地域で起こっているさまざまな政治・社会状況とも重ね合わせられるような作品になったかなと思っています。

福冨: 3冊目の短編集の中で、一番初めに書いた作品はどれになるのでしょうか。
チラット: 短篇集の最初の作品、「海のひと」ですね。おそらく2013年に書き始めたもので、ほかの著名な現代作家たちと参加したアンソロジーに所収されました。ウティット・へーマムーンさん、編集者・作家のスチャート・サワッシーさん、70年代から活躍した女性作家のシーダオルアンさんなど、多くの作家が集まりました。参加作家たちがシーダオルアンさんの書いた短篇の続きを書く、というのが基本コンセプトのアンソロジーでした。そのうえで参加作家に一つずつキーワードが与えられて、そこから「海のひと」を書きました。この作品で初めて日本を舞台に使い、京都文学レジデンシーのクロージングイベントでも朗読されました。
「海のひと」は、大阪のりんくうタウンで見た風景が作品のインスピレーションとなっています。雨上がりの夕焼け時の街の風景が印象的で。地面に水がたまり、街灯が灯り、空は赤く、海は灰色で……と、何とも言えない光景でした。最初は写真を撮ろうと思ったものの、写真では表現できない感覚をメモとして残し、それが作品に繋がりました。
物語は、故郷の政治的混乱で追放された女性が、別の土地で働きながら死んでいく様子を描いています。その過程で、彼女は人魚になるという夢を抱きます。その死が、まるで人魚のように、故郷を離れたまま漂っている存在として描かれています。場所を失い、行く場所もなく、最終的には海に沈んでいくという象徴的な描写です。
今後の創作活動と新世代の文学
福冨: 作品のなかに「人魚」という日本語が出てくるので、なんでだろうとずっと思っていたんですが、今、理由がわかりました。この作品が、チラットさんの転換点となった短篇集の、いわばスタート地点になったということですね。今後も、政治社会的なテーマを、人々の日常の小さな出来事と繋げるアプローチを続けていかれるのでしょうか。

チラット: 今後の自分の作風についてですが、おそらく今回の京都での滞在を経て、大きく変わっていくのではと思います。今は、これまで語ったことのない物語を語りたいという強い欲求を感じていて、昔ながらのスタイルから離れたいと考えています。滞在中に自分の古い作品集を読み返し、当時はこんな風に書いていたんだなと思ったりしました。
これからは、例えば3冊目の短篇集のように、激動の政治状況については語らないかもしれませんが、日常の中で起こる小さな出来事にもっと焦点を当てていくのではないかと思っています。舞台も、今までにないような新しいものになるかもしれません。読者にとっては斬新に感じるものになるかもしれませんが、どう変化するかはまだはっきりとは分かりません。ぼく自身の意図としては、これまでの作品から一歩外れた創造をしていきたいと思っているのです。自分の影から逃げ続けること、それが作家としての道だと思っています。
福冨: 現在チラットさんは、大学の教員として次の世代を指導する立場にありますね。
チラット: 自分が学生を指導する立場になってから、作品作りに対するアプローチが大きく変わりました。以前は、自分の作品に対する読者の反応やフィードバックについてあまり考えず、自分一人で創作を進めていたのですが、学生の創作過程を見たり、作品にコメントしたりすることで、他者との対話が自分に大きな影響を与えるようになりました。
新世代の学生たちは独自の考え方や創作スタイルを持っており、ぼくたちの世代とはまた違った方法で物事を考え、作品を創り出しています。教員としての交流を通じて、互いに影響し合いながら、新しい方法や可能性を見出せることに気づきました。
批評家として批評を書く際には、作品をいったん分解して分析し、その結果をもとに批評を作り出します。ただ、自分の作品に対しては、そのような批評的なアプローチをとることができなかったんですね。今では、学生の作品を分析し、その視点を自分の作品に持ち帰る過程が、創作に新しい視点をもたらしてくれるようになりました。ただ、自分の中で新しい方法を模索しながら書くようになったので、以前よりも創作に時間がかかるようになりましたね。

福冨: 現代タイ文学、特に新しい作家たちについて、どのように感じておられますか。
チラット: この2、3年で、タイの文学は国内外で注目を集めています。特に新世代の作家たちによる影響が大きいと感じています。ぼく自身は、そういう変化の途中の世代だと思っているのですが。以前は作家として認められるために、まずは雑誌や本に短編を発表し、それがまとまってひとつの作品として出版される必要がありました。しかし今の世代は、作品の発表の場が広がり、自費出版も簡単にできるようになり、作家になるハードルが下がったように思います。
社会自体が開かれ、文化や性に関する自由度も増してきています。もちろん政治的な抑圧は依然として存在しますが、作家や読者の新しい層が形成され、文学の広がりが生まれている時代だと思います。以前は、特定の編集者や出版社から出版された本のみが「良い文学」とされていましたが、今では新しい読者と作家が直接つながることができ、従来の権威主義にとらわれない形で文学が発展しています。 また、現在では性やLGBTQをテーマにした作品、ミステリーなどの新しいジャンルが増えています。逆に、社会的、政治的テーマを直接扱ったシリアスな作品はやや減少しているものの、それでもまだ存在している。現代の読者は自分の生活と政治状況が常に繋がっている世代であり、そのため、LGBTQをテーマにした作品にも政治的、社会的な要素が自然に組み込まれていることが多いのです。もはや政治小説、性に関する文学といったジャンル分けがあまり意味を持たない時代が来ている。この数年でタイの文学は大きな変化を遂げ、新しい希望に満ちた時代を迎えているのですね。ぼくはその中で、特に若い世代に大きな期待を抱いています。
福冨: 最後に、文学の創作環境について伺いたいと思います。文学に対する政府の支援や、オンラインプラットフォームなどの変化についてはどう見ていらっしゃいますか。
チラット: 今、作家にとってのチャンスはぼくの時代に比べてはるかに増えていると思います。少なくとも一部の政府機関や団体が文学という芸術に関心を持ち始めている点は良いことだと思います。これまでの政府や公的機関による支援は、映画、絵画といったいわゆる「アート」とでも呼ばれる分野が中心でしたが、文学にも注目し芸術全体への支援が増えてきたことはポジティブな変化です。
例えば、タイに最近できた「タッカ(THACCA/Thailand Creative Culture Agency)」という公的機関があります。この組織は特定のジャンルに限定せず、様々な芸術分野を統合的に支援しています。これ自体が作家にとって希望の光であり、特に文学に関しては、作品が生まれる過程全体を支援する仕組みが整いつつあるのです。翻訳も含めて、創作の初期段階から最後の出版までを支援する仕組みがあることで、自分も視野を広げ、これまで考えたことがなかった国際的な発信の可能性を考え始めています。
とはいえ、残念ながら、こうした組織の多くは政府に依存しているため、政権が変わるとその活動にも影響が出る可能性があります。これを避けるためには、韓国のように中立的な立場の第三者機関としての位置づけを確立し、政権が変わってもその支援組織が存続し続ける状況を作ることが重要だと感じています。
クリエイティブ・ライティングを教える立場となり、学生たちの作品を評価したりコメントしたりする機会が増えるなかで、新しいオンラインの創作プラットフォームや、プラットフォームの変化に伴う表現の方法を目にするようになりました。例えばチャット形式で書かれた文学のようなものです。オンラインのプラットフォームは、新しい世代の作家にとって表現の選択肢の一つとなり、作品のスタイルにも影響を与えていると思います。
個人的には、そういった新しいスタイルに夢中になるわけではありませんが、もちろんそれを否定するわけでもありません。新しい表現方法が生まれてきたこと自体は重要だと思っています。一方で、作家としてのキャリアを続ける上で、新たな視点を得たい、あるいは創造的な方法を変えたいと思ったときに、どうするのだろうと考えることはあります。最終的に、紙の本として作品をまとめるプロセスは依然として重要であり、次のステップに進むためには、やはり本という形が必要なのではないかと思います。

2025年11月19日 国際交流基金にて
文中写真 (c)佐藤基
Profile

チラット・チャルームセーンヤーコーン(筆名 サムット・ティータット)
1984年生まれ。作家・批評家。タイ語による短編集に『9つの短篇』(ヌン、2009年)、『意味が消える前に』(グルムピム、2013年)、『状況いまだ異常なし』(サーモン、2019年)など。作品は英語や日本語にも翻訳されている。タイの文芸批評賞ブンルア・テーパヤスワン賞を3度受賞。バンコクのチュラーロンコーン大学文学部比較文学科で教鞭をとるほか、複数の文学賞の選考委員会に名を連ねている。2025年の京都文学レジデンシーに選出され、国際交流基金ASEAN文芸フェローとして参加。
- ※邦訳作品に「ほんとうの死」(『はじめてのタイ文学2025』)、「古い家」(『東南アジア文学』第11号)、「ある従業員の夏休み」(一部掲載)など。いずれも福冨渉さん訳。現在、短篇集『状況いまだ異常なし』の作品を中心とした邦訳短篇集の翻訳作業が進行中。

写真:相馬ミナ
福冨渉(ふくとみ・しょう)
1986年東京都生まれ。タイ語翻訳・通訳者、タイ文学研究者。青山学院大学地球社会共生学部などで非常勤講師。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社)、共著に『タイドラマにときめきながら覚える きほんのタイ語フレーズ』(KADOKAWA)、訳書にプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)、ウティット・ヘーマムーン『プラータナー:憑依のポートレート』(河出書房新社)、Prapt『The Miracle of Teddy Bear』(U-NEXT)など。2016年よりタイの現代作家の作品を翻訳紹介するZINE「はじめてのタイ文学」シリーズを制作・発行。近年はタイ俳優の来日イベント通訳やMCなども務める。
福冨渉 / Sho fukutomi