文芸対話プロジェクト“YOMU”作家インタビュー:カリーナ・ロブレス・バーリン × 吉田恭子
2025年秋、京都文学レジデンシーに参加したマレーシアの作家カリーナ・ロブレス・バーリンさん。デビュー長編作『The Accidental Malay』は、バクワ(中国式ポークジャーキー)で知られる一族企業の後継者が、実はムスリムだった——。そんな衝撃の設定から幕を開けます。マレーシア華人として生きてきたヒロインのアイデンティティの揺らぎは、宗教や人種に関する国家政策と人々の生活が繊細に絡み合う、現代マレーシア社会の複雑さと重なり合います。歴史が定めた境界を自らの力で越えようとする一人の女性の物語、その創作の背景について、作家・翻訳家の吉田恭子さんが聞きました。

物語の始まり
吉田: カリーナさんのデビュー作『The Accidental Malay』は、一見すると「ヒロインはどの男性と結ばれるのか?」という古典的なロマンスのように見えますが、実際には現代のマレーシアのジェンダー政治や社会問題を反映した鋭い展開が組み込まれていますね。この物語は、ポークジャーキーで有名な中国系の企業を継ぐジャスミン・レオンという女性実業家が、自分が中国系とマレー系のミックス、つまりマレーシアの法律と慣習の下ではムスリム(イスラム教徒)であることを知るところから始まります。このプロットはどのようにして思いついたのでしょうか。最初のインスピレーションや視点について教えてください。
カリーナ: この物語は私自身とはなんの関係もありませんが、本質的にはすべてが関係しているとも言えます。この物語を通して、マレーシアにおいてマレー人であることの複雑さ、特にその定義にきちんと当てはまらない人々が感じる複雑さを探求したいと思ったのです。私の母は、父と結婚する前、フィリピンでカトリック教徒として生まれ育っているので、私自身もミックスルーツを持っています。ですから、私はいわゆる典型的なマレー人ではありません。コミュニティの少し外側に立っているように感じることがよくあり、その経験からこうした緊張感について書いてみたいと思ったのです。
実際に書き上げるまでには、とても長い時間がかかりました。10年ほど考え続けた末、この物語を「ある日突然、自分が法的にはマレー人であると知らされ、その意味に直面せざるを得なくなった中国系女性」を通して語ることにしました。マレー人として育ち、ずっと葛藤してきた私のような人間について書くのではなく、予想外の角度からこの問題にアプローチしてみたかった。そこで、思い切って考えてみました——最悪のケースって何だろう、と。そして行きついたのは、思いがけず自分がマレー系であると知ることだと思ったのです。そして、そうなって一番困るのは誰かと考えたとき、中国系の、しかもまさに「ハラールではないビジネス」を継ごうとしている人物という設定にたどりつきました。
吉田: 興味深いですね。マレー人の定義はかなり厳格なようですが、日本のような外部の視点から見ると、マレーシアは非常に多民族で多文化な社会であると感じます。
カリーナ: マレーシアには、マレー系、中国系、インド系、ユーラシア系など、さまざまな背景を持っている人々がいます。私たちは多様性に富んだ多民族社会に慣れています。たとえば、朝食にマレー料理、昼食にインド料理、夕食に中華料理を食べることは、マレーシア人にとってごく普通のことです。しかし、マレー人であることに関しては、憲法で明確に定義されています。マレー人と見なされるためには、マレー語を話し、マレーの慣習に従い、そしてムスリムでなければなりません。ムスリムではないマレー人は存在しません。
マレー人がムスリムでない道を選ぼうとする場合は裁判所に申し立てる必要がありますが、私の知る限り、成功した人はいません。社会的な圧力や法的なハードルが非常に高いため、ほとんどの人は、たとえ信仰を厳格に実践していなくとも、そのまま従っています。要するに、本当の意味での選択肢がないのです。マレー人であることは、ムスリムであることを意味するのです。
吉田: 主人公ジャスミンは、マレー系のイスカンダルと中国系のクアンユーという二人の男性の間で選択を迫られます。物語の本筋では表面には出ないですが察せられるのが、イスカンダルの内面的な葛藤です。彼はお酒を飲みますし、その生活は決して伝統的とは言えません。
カリーナ: カリーナ:ええ、そうですね。ただ、都市部では、イスカンダルのようにマレー人でありながら、「これが自分の生き方だ。波風を立てるつもりはないけれど、やりたいことはやるんだ」と考える人に出会うことは珍しくありません。もちろん、時代とともに状況は変わりました。たとえば父の友人たちと比較すると、今ではそれがよく分かります。私が子どもだった1970年代から比べると、現在ではお酒を飲むマレー人は少なくなり、より厳格に規範を守るようになりました。時間の経過とともに、人々は保守的になったのです。私が若かった頃、ヒジャブを着けている女性はほとんどいませんでしたが、1980年代には一般的になりました。

吉田: 私自身、その視覚的な変化を目の当たりにしました。世界的に進むイスラム化の流れの一環と言えますよね。
カリーナ: そうです。マレーシアでは1980年代にイスラム化が推し進められました。
作品が映し出すマレーシア社会
吉田: この小説に対するマレーシア国内の反応はいかがでしたか。
カリーナ: 好き嫌いが真っ二つに分かれていますね!反応はさまざまです。こうした対話を望んでいる人たちは支持してくれますし、勇気があると言ってくれます。一方で、より保守的で右派的なマレー人の中には、憤慨し、私がマレー性を攻撃していると非難する人もいます。本が英語で出版されたことで、余計な誤解や批判を受けにくいのが救いですね。この本がマレー語で出版されたら、しばらくどこかへ長期休暇に出かけなきゃいけなくなるかもしれません(笑)。こういうことに過敏に反応する人たちもいますからね。
吉田: 一度本が世に出てしまえば、その後の成り行きはコントロールできませんから、とても度胸のいることですよね。つまり、議論や対話のテーマは提示しつつも、一定の枠組みの中で進めたいという意図があったのでしょうか。
カリーナ: マレー系ではなく中国系の女性を主人公にしたことで、より自由に書くことができました。もしマレー系の女性が主人公だったら、彼女の選択はもっと物議を醸していたと思います。多少の逃げ道が残されている——それが、物語をこのようなかたちで書いた理由のひとつかもしれません。もちろん、マレーの定義そのものについて考えてほしいという意図はありましたが、このアプローチを取ることで、ある特定の衝突を避けることができたと思います。
吉田: この小説は国家的な問題を扱いつつも、いわゆる国民文学の枠にきっちりと収まるものではないような気がします。英文学の広い伝統——求婚や恋愛を軸にした小説群——の流れの中にありつつ、近年見られるキャリアと恋愛の両立に揺れる独身女性を描くジャンルにもぴったり当てはまっています。
カリーナ: そうですね、その点は自分としてもはっきりしています。私は純文学作家ではありませんし、そうなろうとも思っていません。たとえば、ピカドール社の編集者と話したとき、この本をどう分類するのか尋ねたんです。彼女によると、“アップマーケット”小説だと。プロットは比較的商業寄りだけれど、文章は文芸寄り、その両方にまたがる作品だと言っていました。この、どちらにも属する立ち位置こそが、私が一番心地よくいられる場所なんです。
吉田: この小説を読んで、ヤスミン・アフマド監督のマレーシア映画『細い目』を思い出しました。
カリーナ: 深刻なテーマを扱いながら、とても商業的な手法で描いているという点では似ているかもしれませんね。異民族間の物語であり、静かな対立や緊張が背景にあるという点でも。
吉田: マレーシアには、異民族間の物語はほかにもたくさんあるのでしょうか。
カリーナ: 本来はもっとあるべきなのでしょう。でも、現実の世界にはあふれていますよ。そういえば、『The Accidental Malay』を出版した後に、とても微笑ましい出来事がありました。読者の方々が私のところへ来て、「この人が私のイスカンダルです」とパートナーを紹介してくれるんですよ。私の本を読んでくださったなら、それがどういう意味かお分かりですよね(笑)。つまり、マレー系の彼氏を持つ女の子だったり、中国系の彼氏がいるマレー系の女の子だったりするわけです。そしてみんな決まって、「私のイスカンダルです」と言うのですが、なぜか「私のクアンユーです」という人はいなかったですね!

この物語は、周囲に馴染めないと感じながらもそれを口に出せずにいるマレー系の人たちや、宗教、セクシュアリティ、あるいはその他のさまざまな理由で自分の居場所がないと感じている人たちの心に響くのだと思います。この本が届くべき人たちに届く一方で、嫌う人たちもいるわけですが、それは想定内のことです。
キャリアと創作活動
吉田: 主人公が若い女性ではないという点もすごくいいです。彼女は40代ですよね。
カリーナ: その通りです。彼女はまさに巨大企業帝国を継ごうとしている身ですから、25歳の若い女性ではないほうが、むしろ理にかなっています。また、生物学的な年齢についても考慮しました。母親になれる最後のチャンスかもしれない年齢の女性を描くことで、物語はよりドラマチックになったと思います。その意味で残された時間は長くないですが、同時に25歳の時にはできなかったことが、今の彼女にはできるのです。
吉田: 50代で初の長編小説を出版されたご自身の物語とも重なります。作家にとってのシンデレラ・ストーリーですよね。
カリーナ: 30代の頃に短編小説を出版したことはありますが、アンソロジーの一部でした。その後、14年ほど前に会社勤めを辞め、ランカウイに移り住んだとき、ようやく本格的に執筆活動を始めようと思ったのです。小さなビジネスを切り盛りしながらでも書けるだろうと、ちょっと甘く考えていたんですが、もちろんうまくいかず、結局書けなかった。ようやくこの小説を書き上げることができたのは、コロナ禍の最中でした。ですから『The Accidental Malay』は、言ってみればコロナ禍の落とし子なんです。世界がスローダウンしたあの時期に、私は「死ぬまでにやりたいことリスト」に掲げてきたことを実行に移そうと決意しました。
吉田: 若い頃から書き続けてこられた一方で、並行して企業人としてのキャリアも築かれてきたわけですね。そうした生活の中で、執筆活動はどのような位置を占めていたのでしょうか。最初から作家になりたいと思っていたのですか。
カリーナ: 創作活動は長年の夢でした。私が若かった頃はインターネットもまだ出始めで、マレーシアには創作のためのリソースもそれほど多くありませんでした。小さな執筆グループはいくつか存在していましたが、今の若い作家が手にしている機会とは比べものになりません。マレーシアの出版シーンは限られていて、アンソロジーも少なく、チャンスも多くありませんでした。一度に2、3冊のアンソロジーを出版したことがあるくらいで。20代、30代の頃というのは、チャンスが少ないと、書くことの優先順位は下がってしまうものです。こうして私は自分のキャリアを築くことに専念し、しばらくの間創作活動から離れていました。
吉田: 企業広報のお仕事をされていましたよね。このような仕事に興味があったのですか。
カリーナ: もともとはジャーナリストになりたかったのですが、ジャーナリストはあまり稼げないということに気づいて。お金持ちになる必要はありませんが、貧乏は嫌です(笑)。ですから、執筆活動を続けられ、なおかつお金にも困らない、広報の道へ進むことにしたのです。
キャリアを通じて、スピーチ原稿や年次報告書、プレスリリースなど、さまざまな種類の文章を書いてきました。こうした経験のおかげで、自分の創作物に対して過度に神経質にならなくなりました。つまり、編集されることに慣れていますから、編集者の方々ともスムーズに仕事ができますし、ビジネスの世界にいたおかげで、作品をどう売っていくかという商業的な側面も理解しています。作家の中には理想主義的な人もいますが、私は作品の市場性が重要であることを理解しています。
たとえば、この本を書き上げた当初、まずは欧米のエージェントに送ることも考えました。ですが、マレーシアは小さな国ですし、物語がとてもローカルで特殊だということもあって、あまり関心を持ってもらえないだろうと思ったんです。私の小説は、欧米の「マレーシア文学はこうあるべき」という固定観念には当てはまらないんです。私はいつも周囲に、「欧米の大手出版社から本を出したいなら、小説の内容には日本の占領、第二次世界大戦、幽霊という3つの要素のうちどれかが必要!」と言っています(笑)。この3つの要素があれば、欧米の出版社の扉は開かれやすくなります。ですが、私の小説にはそのどれもありません。現代の物語ですからね。
そこで、自分なりに期限を決めて挑戦することにしました。その期限までにエージェントが見つからなければ、エピグラム・ブックスに原稿を渡して、とにかく出版して次に進もうと決めたのです。かなり現実的な判断をしたと思います。売り込むのが難しいことは最初から覚悟していましたが、そのうえで明確なビジョンを持って臨みました。

吉田: この小説のもうひとつの魅力は、ビジネスや政治の描写がとてもリアルで、ときにかなりシビアな点です。企業での経験に対する、ささやかな復讐のような気持ちはあったのでしょうか。
カリーナ: いえ、特にそういうことはありません。企業で働いていた日々にわだかまりはまったくないんです。辞めたことも、自分で決めたことでしたし、むしろ幸せな気分でした。犬を連れて島に移住したのも100%自分の選択で、誰に強制されたわけでもありません。
中心を離れた場所から
吉田: なぜ島に移住しようと思ったのですか。
カリーナ: クアラルンプールにはうんざりしていましたし、政治にも嫌気が差していたんです。最後の職場は、政府系の機関である証券取引所でした。そこから先、私のような人間にどんなキャリアの道筋があるのか、と考えてしまって。都会から移るにはランカウイがちょうどいいと思いました。国際空港があって交通の便もいいですしね。観光地の島で地元の人ばかりではないため、少なくともランカウイでは、私のような人間も、それほど変わり者として浮かないんです。
吉田: それを聞いて、京都文学レジデンシーのオープニング・フォーラムを思い出しました。テーマは「熊も抱きしめる」でしたよね。今年は日本で熊の被害が多かったこともあり、熊が、他者との対峙や人と人との隔たりの比喩として使われていましたね。その中でご自身を熊に例えていたのが印象的でしたが、それについてもう少し詳しく話してくださいますか。
カリーナ: 自分は部外者で、完全には馴染めていない存在だということです。その感覚は、マレー人でありながら、「マレーらしさ」に完全にはまりきっていない自分のアイデンティティの問題にさかのぼるのだろうと思います。私はずっと、人間の服を着た熊のように感じてきました。中にいるのは熊なんだと。
若い頃はそれが問題だとは感じていませんでしたが、年を重ねるにつれ、自分は他の人たちとは違うのだと理解するようになりました。でも、それで良かったのです。私の父もまた、典型的なマレー人ではありませんでしたから。30代で政治活動家になり、一時は政治犯として拘留されたこともありました。ですから、私はいわゆる普通の家庭環境では育ちませんでした。うちの家族には反骨精神が流れていて、私はそのことを誇りに思っています。
ランカウイは伝統的に漁師や稲作農家を中心とした農耕社会です。現在は観光が主要産業で、年間およそ200万人もの観光客が訪れます。ですが、民族的に見れば、今もなおマレー系が圧倒的多数を占めるコミュニティです。私もマレー人ですが島の出身ではないので、島の人は私に完全な同調を期待しません。私のことを都会から来た人だと見てくれるので、その分気が楽です。
吉田: 島の若者たちと活動していると伺いました。
カリーナ: ランカウイに住み始めて数年経った頃、島の若者たちが芸術に触れる機会がほとんどないことに気づきました。そこで、物語の冒頭の「むかしむかし」を意味するSuatukalaというコミュニティ活動を始めました。目的は、若者たちが自分の物語を語る力を育て、その語りを後押しすることです。クアラルンプールから演劇、写真、スポークン・ワード、視覚芸術などの分野で活躍する専門家を招いて、地元の子どもたちのためにワークショップを開催しています。ランカウイの子どもたちは、クアラルンプールの子どもたちほど課外活動の機会がないため、その格差を少しでも埋めたいと思っています。演劇コンクールには、毎年50〜60人の子どもたちが参加しています。過去3年間の参加者と観客数を合わせて考えると、10年間で延べ1,000人近くの人々に活動を届けてきました。
子どもたちの変化、特に演劇を通じた変化には目を見張るものがあります。短期間のうちに、見違えるほど変わるのです。毎年、教師や子どもたちから感想が寄せられますが、一番内気だった子が遂げる大きな成長には、いつも驚かされます。あれほどの変化を見ると、本当に毎年やりがいを感じます。こうした経験がどれほどの力を持ち、子どもに与えうる影響を思うと、いっそう意味のある活動であると感じます。
吉田: ご自身の子ども時代についても教えてください。幼い頃から英文学に親しまれていたのですか。どんな作品を読まれていたのでしょうか。
カリーナ: 私が子どもの頃、他言語で書かれた文学に触れる機会はそう多くはありませんでした。私の母はフィリピン出身なので、家では英語を話していました。母は後にマレー語も流暢に話すようになりましたが、私が子どもの頃の家庭内言語は英語でした。ですから、いわゆる古典作品を多く読みました。『黒馬物語』や『ハイジ』などです。なぜか、『ハイジ』がお気に入りで、大好きでした。
吉田: 『ハイジ』の日本のアニメ版は観ましたか。私の世代の日本人女性の精神形成にすごく影響を与えた作品なんですよ(笑)。ぜひ観ていただきたいです!このアニメ版は、高畑勲さんと宮崎駿さんの初期の作品の一つなのですが、それもぜひお勧めしたい理由です。
カリーナ: スイスの山で暮らす少女が日本人女性の精神を形作ったとは!とても興味をそそられますね。ほかにも、イーニッド・ブライトンの作品などをよく読みました。両親が読書家だったので、大きくなってからは父の本を借りて読んでいました。

以前は趣味で、拙い詩や短編小説を書いていました。ずっとやりたかったことなので、楽しかったですね。この年齢になってもよく言うのですが、書くことを仕事だとは考えていませんし、これからもそうなることはないでしょう。私にとって書くことは天職のようなもので、生活を支える手段にはしたくないんです。そうすることで、純粋に書く喜びのために、そして本当に書きたいと思うものだけを書き続けられますから。願わくは、これをあと20年は続けたいですね。書くことは私にとって遊びの時間のようなものです。たとえ15年後に膝が悪くなっていても、きっと楽しめると思っています。
白人中心の出版界の価値判断についても、気にしなくなりました。売りやすくするために、彼らの読者層に合わせて物語を歪める——そういうことはしないと決めています。
京都で書き始めた、次の物語
吉田: 次の小説について教えてください。
カリーナ: 京都文学レジデンシーに応募したとき、「もし受かったら2作目を書き始めよう」と自分に言い聞かせました。そして実際、ここに来てすぐ書き始めました。今は1万語ほど書き進めたところで、スタートを切るには十分な手応えを感じています。
次回作の仮題は『Bird, Water, Stone』で、この物語は、じゃんけんの「グー、チョキ、パー」のダイナミクスから着想を得ました。じゃんけんのそれぞれの要素が、犠牲者であると同時に加害者でもあるというダイナミクスを、3人の登場人物を通して描きたいと思っています。物語は、マレー系の女性アーティスト、年配の日本人エンジニア、そして年配の韓国人エンジニアを中心に展開します。物語の舞台に選んだのは、今とはまったく異なる空気が流れていた1990年代のマレーシアです。1990年代の金融危機は私たちを大きく形作った出来事であり、モチーフとしてツインタワーを使うのはとても象徴的です。私はあのタワーが建設されていく姿を目の当たりにした世代ですし、当時の好景気の恩恵をたくさん受けました。ツインタワーは日本と韓国がそれぞれ建設したので、そのつながりも小説に反映させたいと思っています。
両国は、どちらが先にタワーを完成させるか、互いに競い合っていました。マレーシア政府が一刻も早い完成を求めていたため、先に完成させた方にはボーナスが支給されることになっていました。ある時点を超えて遅延が発生すると、政府に1日70万ドルの損失が出てしまう状況だったのです。ツインタワーは1996年に完成しましたが、正式にオープンしたのは1999年でした。マレーシアが、世界一高いビルを持つ国であると世界に宣言された、まさにその直後にアジア金融危機が襲ったのです。この劇的なタイミングは、まるでドラマのようでした。作家として、書かずにはいられない題材だと思いました。
吉田: 半ば歴史的な題材であり、特に結果がわかっているという視点から、どのように執筆を進めているのですか。
カリーナ: そうですね。この小説は、すべてを作り話にするわけにはいかず、考慮すべきタイムラインがあるため、執筆に時間がかかっています。書いた情報の正確性を確認するために、何度も手を止めてチェックしています。厳密に言えば、これは歴史小説です。1990年代はもう25年以上も前のことですから、すでに歴史の一部なのです。
吉田: 1960年代後半に第二次世界大戦を書くようなものですね!
カリーナ: そのとおりです。当時の私たちの国は、今とは違ったんです。日本、韓国、マレーシアが当時の経済状況によってどう形作られ、いまどう変わってきたのかを反映させながら、出身国の異なる3人のキャラクターを、それぞれの国を象徴する存在として描きだしています。
吉田: 京都文学レジデンシーに参加され、ほかの作家との交流はいかがでしたか。
カリーナ: ご一緒したメンバーが本当に皆さん優しく、温かく、フレンドリーな方ばかりで、とても幸運だったと感じています。7人の中に、わがままな人が一人もいなかったのは驚きでした―作家にはそういうタイプがときどきいますから。すべての人と十分に交流したわけではありませんが、会えば文学や本、出版の話など、興味深い話題で盛り上がり、素晴らしい時間が過ごせました。京都に到着したその瞬間から会話が始まり、それが毎日、一か月間続きました。
イタリア人の詩人、フランチェスコ・オットネッロと多くの時間を過ごし、詩人というのは本当に独特であることに気づきました。その言葉を聞いていると、木が別の何かに見えたり、ただの石が魅力的に思えたりと、同じ景色がまったく別のものに見えてくるのです。自分とは違うタイプの作家と交流し、彼の視点を通して世界を見ることは、とても楽しいものでした。二人にとって初めての京都の景色もあり、より特別な経験になりました。
吉田: 『The Accidental Malay』が日本語に翻訳される予定はありますか。
カリーナ: 私の知る限りまだありませんが、韓国語訳の権利は売れました。18か月以内に出版される予定です。次の小説には日本人の登場人物も出てきますし、いつか日本の翻訳家の方が関心を持ってくださるとうれしいですね。

写真:佐藤基
プロフィール

カリーナ・ロブレス・バーリン
マレーシアの小説家。長編小説 『The Accidental Malay』(Epigram Books、2022/Picador、2024)が2022年エピグラム・ブックス・フィクション賞を受賞したほか、シンガポール・ブック・アワード(フィクション部門)の最終候補にも選ばれる。短編がさまざまなアンソロジーに収録されている。現在マレーシア、ランカウイ在住。

吉田恭子
京都大学人間・環境学研究科教授。ウィスコンシン大学ミルウォーキー校英文科でクリエイティヴ・ライティングを専攻、アメリカの文芸誌を中心に英語で小説を発表している。著書に短編集 『Disorientalism』(Vagabond Press、2014年)など。日本現代詩の英訳、現代アメリカ小説の日本語訳も行っている。京都文学レジデンシー実行委員会代表。