米国若手日本語教員(J-LEAP) 11期生 年次報告書
日本人人口比率0.1%以下 アイオワ州での日米架け橋活動記

ジョン・エフ・ケネディ・ハイ・スクール
藪内 志帆

トウモロコシのイメージが強いアイオワ州ってどんな場所?

アイオワ州は約145,746平方キロメートルの面積を持ち、2021年の人口は約319万人です。州都はデモインで、他にもシーダーラピッズやダベンポートなどが主要都市です。人種構成は約91%が白人、約3%が黒人、約2%がアジア人で、白人のうちドイツ系が約36%を占めます。アイオワ州は大統領選挙で最初に党員集会が行われることから、選挙時にはとても注目される州の一つです。また農業が主要経済基盤となっており、大豆、トウモロコシ、家畜飼育が盛んで、工業や製造業も食品加工、機械、化学などで発展しています。
文化的には、農村的な雰囲気と親しみやすい人々が特徴で、街の一歩外に出ると多くの農場や農村地域が広がっています。ステートフェアなどの文化的なイベントやフェスティバルが盛んで、音楽やアートなどが楽しめます。チェコの街並みやドイツの雰囲気を味わえる村があり、アメリカにいながらヨーロッパの文化を感じられることも特徴と言えます。 アイオワ州の日本語教育は7つの高校と5つの大学で行われており、主に州都デモインやシーダーラピッズなどの都市部に集中しています。特にアニメの影響による日本文化への興味が学習動機となっています。主要都市では毎年アジアンフェスティバルなどのイベントが行われており、日本文化への関心を深める機会が提供されています。

やってみようを支える風土の高校で日々チャレンジ!

私の派遣先機関であるケネディ高校はアイオワ州で2番目に大きい都市である、シーダーラピッズに立地しています。ケネディ高校では「to be uncommon」をミッションに掲げており、校内の至る所にその文字が見られ、生徒の挑戦を応援する雰囲気があります。全体で約150人の教師、約1,800人の生徒が在籍しており、クラブ活動や学校イベントに積極的に参加する生徒が多いです。日本語クラスは全6クラスでJapanese 1からAPAdvanced Placement:大学の単位にもなる上級レベルのクラス)クラスまであります。毎年約100名の生徒が選択しており、教師1人が在籍しています。授業はAdventureという教材に沿って行っており、1学期に3ユニットを目安に、教室のスマートボードや各生徒が保有しているクロームブックを使用しながら授業を進めています。
アシスタント業務としては、主に各ユニットのGoogleスライドの作成を行っています。リードティーチャー(以下「LT」という。)は今までスマートボードとハンドアウトのみを使用して授業を進行していたため、1からスライドを作成し、試行錯誤しながら1年間で約20ユニット分のスライドを作成しました。また日本の姉妹校の生徒が訪問した際には、その期間のアクティビティのアイデアを積極的に出し、当日は授業のリードを行いました。教授経験がない私にとっては全てが新しいことだらけですが、学校とLTの挑戦を応援する風土のもと日々新しいことにチャレンジしています。

授業外でも日米の架け橋になるために積極的に行動!

私は1年間で主にジャパントリップの引率、日本語クラブの運営リード、文化紹介イベントへの登壇を経験しました。
姉妹校への訪問を含む全14日間のジャパントリップでは、計14名の生徒を引率し、成田(姉妹校)、東京、広島、京都を訪れました。石油価格の高騰などの理由から、今まで使用していた旅行会社と予算が合わなかったため、旅行代理店の選定から当日の調整まで全て行いました。コスト削減のため、旅行代理店には飛行機及びホテルの手配のみを依頼し、特に観光のパートでは新幹線予約や当日のスケジュール管理、予算の調整まで全て一人で担当しました。
また、毎週火曜日の放課後に日本語クラブを1時間開催しました。日本語クラスを選択していない生徒が参加することもあったため、主に英語で文化紹介アクティビティを行いました。例えば、日本の昔遊びではけん玉やダルマ落としの体験、バレンタインデーにはデコチョコ作りのアクティビティを行いました。その他バーチャル旅行と題して、YouTubeGoogleマップを使用して様々な観光地を旅するようなアクティビティ、また全校に呼びかけて書道体験なども開催しました。
さらに、派遣校及び学区内の他の学校の先生や生徒約50名が参加した「世界の文化紹介イベント」に、登壇者として参加しました。世界中のさまざまな国にルーツを持つ生徒が登壇するなか、私は唯一教師として登壇し、主に日本の文化やトリビアなどを紹介しました。

人と人の繋がりからアメリカと日本の繋がりへ

私は派遣先都市での1年間を通して、人との繋がりの重要性や教師としての多様性への向き合い方等を学びました。長期で海外に滞在することが初めてであったため、当初は生活面での不安も多くありました。しかしホストファミリーや同僚、地域の人から常に支えられ、車の度重なる修理、引越し、豪雪等、さまざまな困難を乗り越えることができました。見返りを求めず誰かのために行動することが当たり前な人々と多く関わり、私もそんな方たちのようになりたいと心から思うようになりました。
また、学校生活では生徒たちの多様性と、教師として接する難しさを感じることがありました。特に学期を跨いでジェンダーや名前を変更する生徒が複数おり、その考えに順応することに正直時間を要しました。しかしそれらに向き合い、多様な考え方に理解を深められたことは非常に価値のある経験で学びになりました。
2年目には、地域コミュニティに日本の魅力を広めるため、地域イベントの開催・参加、日本語クラス以外の授業とのコラボレーション、また知見を広げるための他校訪問、教師会への参加等を積極的に行いたいと考えています。2年目もさらに多くの人々と繋がり、豊かな経験を積むことで教師としてだけではなく、人として成長します。そして私の本プログラム参加の目的である世界(アメリカ)と日本の架け橋になりたいと思う人を一人でも増やしていきたいです。

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