米国若手日本語教員(J-LEAP) 11期生 年次報告書
米国で日本語教師としての幅と可能性を広げた1年

ロックポート・タウンシップ・ハイ・スクール
小野田 英明

アメリカ経済を支える巨大都市シカゴを抱えるイリノイ州!

イリノイ州はアメリカ中西部に位置し、アメリカ第3の都市シカゴを中心に発展してきました。州都はスプリングフィールドで、奴隷解放宣言を成し遂げたエイブラハム・リンカーンが大統領就任前に活躍していた場所です。面積は日本の北海道と九州を合わせたほどで、夏は湿度が高く蒸し暑いのに対し、冬は強風に加え零下になるほど寒さが厳しいです。シカゴはWindy Cityの異名もあり、風が非常に強いのが特徴です。イリノイ州の人口は約1200万人で、人種の割合は白人が約65%と最も高く、アジア系は約4%で、平均的なアメリカの縮図と言われています。歴史的に有名な1871年の「シカゴ大火」はアメリカ史上最大の災害と言われ、当時シカゴ市内の大半が焼け野原になりました。シカゴはアメリカ経済の中心であるだけでなく、芸術やスポーツなど見どころが多く、アメリカの最先端が集まります。イリノイ州は経済や文化だけでなく、教育にも力を入れています。イリノイ州で日本語プログラムがある高校はあまり多くありませんが、州全体の日本語学習者は年々増加しています。さらに、2025年より全公立高校で外国語学習が必須になるため、今後若年層の日本語学習者のさらなる増加が見込まれています。一方で、日本語教員の高齢化と後継者不足により日本語プログラムを閉鎖する学校も増えているのが現状です。学生が日本語を履修するきっかけとしてはアニメや漫画などのポップカルチャーをはじめ、日本文化や言語への興味関心が高いようです。また、K-POPの影響で、アジアに興味が湧いて日本語学習に取り組んでいる学生も増えています。日本へ旅行に行きたい、日本で働いてみたいという目標のもとで学生は日本語学習を頑張っています。

伝統を重んじ、ITを積極的に取り入れる州内屈指のマンモス高校!

私の派遣されているロックポート・タウンシップ・ハイ・スクールは、シカゴ市内から車で30分ほどの郊外にあるロックポートという町にあります。ロックポート市は歴史ある町で、近くには運河が流れ、シカゴを発展させるのに大きく貢献した町と言われています。学校は閑静な住宅地にあり、1910年に創立されました。学生数は約4,000人、教職員数は約500人と州内でも大規模な公立高校です。学生は約70%が白人で、約20%がヒスパニック系、アジア系はわずか約2%で、日本にルーツを持つ学生はほとんどいません。学生はスペイン語、フランス語、ドイツ語、アメリカ手話、日本語を選択科目として最低2年間履修することができます。日本語を履修する学生は約160人で、教員は1人です。Japanese 1~3とAdvanced Placement(大学の単位にもなる上級レベルのクラス。以下「AP」という。)クラスがあり、Japanese 3とAPは合同で授業を行っています。教材は基本的にリードティーチャー(以下「LT」という。)の自作のもので、さまざまな教材を参考にしながら学生のレベルに合わせて考えています。コロナ以降、全生徒が学校からChromebookを支給されているので、授業をはじめ定期試験や成績、宿題等で、ITを積極的に活用しています。日本の高校生と交流する機会も豊富で、Japanese 2ではペンパルプロジェクト、Japanese 3とAPの合同クラスではKIZUNAプログラム(JICAのアジア地域と北米地域の青少年交流プログラム)を通して、インターネット上で積極的に日本の高校生と異文化交流を行っています。また、授業では書道や折り紙などの文化体験や年中行事の紹介、課外活動として料理体験(お好み焼き作り)や日系スーパーへの遠足など、学生がアメリカで日本文化に触れる機会を積極的に設けています。

教室の垣根を越えて、コミュニティーに日本を発信!

派遣校では毎年、外国語を履修している学生を対象に成績優秀者を表彰し、National Honors Society(全米優等生協会)への加入を祝うInduction ceremonyという外国語学部の式典があります。この式典では毎年ゲストスピーカーを招き、「なぜ外国語学習が必要なのか」をテーマにスピーチがあります。今年は私のLTの推薦のもと、派遣校では日本人で初めてスピーチをさせていただく機会を頂き、日本から持参した袴を履いてスピーチに臨みました。日本語を履修する学生だけでなく、他言語を学習する学生やその保護者など大勢を前に、英語でのスピーチはとても緊張しましたが、これまでの自身の海外経験や外国語学習に対する考察を踏まえながら、コミュニティーに向けて日本語や日本文化について発信することができました。学校長や学部長をはじめ、学生や保護者からとても素晴らしいスピーチだったという言葉をたくさん頂き、とても嬉しかったです。
学校外での活動として、同じロックポート市にある近隣の中学校で行われた国際文化イベントに参加しました。これはさまざまな国籍の人々が各ブースで地元の子どもたちやコミュニティーに文化紹介をするイベントです。私とLTは日本語を履修している学生とともに日本ブースを出展し、コミュニティーに向けて折り紙やけん玉、書道体験を行いました。子どもから大人まで、今まで日本文化に触れる機会がなかった地域の方々に日本文化を楽しんでもらうだけでなく、将来ロックポート・タウンシップ・ハイ・スクールに進学する子どもたちに日本語プログラムを紹介する良い機会にもなりました。その他にも、ロックポート市の地元新聞社に派遣校の日本語プログラムやJ-LEAPについて取材を受けるなど、教室だけでなくコミュニティーにも日本を発信する機会に恵まれる1年となりました。

感謝の気持ちを日米の架け橋に変えて

1年目は、環境を柔軟に受け入れ慣れることと、LTや学生と信頼関係を築き、アメリカの高校で一人の教師としての土台を固めることに注力しました。日本で日本語教師としての経験があった私にとって、アメリカの教育現場で求められる指導方法と方針の違いに戸惑い、もがくことも多々ありましたが、LTをはじめ、ホストファミリーや学校の同僚、アメリカの友人など多くの人々に支えられ、学び多き1年目を過ごすことができました。この1年でLTとは何でも話し合える関係を築くことができ、強固な信頼関係のもとで協力して、よりよいクラスを一緒に作り上げています。私のLTは教師として20年以上のキャリアを持ち、非常にエネルギッシュな方で、学生や日本語教育に対する情熱が常に教室に溢れています。私にとってはLTとしてだけでなく、アメリカの素晴らしい一人の教育者として毎日学ぶことがたくさんあり、一緒に働かせていただけていることに日々感謝しています。2年目もたくさんのことをLTから吸収しつつ、学生が楽しく日本語を学べるカリキュラムや今後も長く使える教材や試験を作成し、日本語プログラムのさらなる発展に貢献したいです。また、ロックポート・タウンシップ・ハイ・スクールでは、2024年から日本の高校との短期交換留学プログラムが始まります。学校やコミュニティーに日本の高校生を初めて受け入れるにあたって、2年目は日米双方の学生のサポートを積極的に行いたいです。また、コミュニティーで初めて大規模な日本文化イベントを企画しており、学校だけでなく、コミュニティーの方々にも日本文化を知ってもらえるような新たな機会と伝統を、LTと協力して作り上げたいと思います。

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