2年間の米国派遣を終えて
カストロ・バレー・ハイ・スクール
辻野 美穂子
カストロバレー高校の日本語クラス
2年間のカストロバレー高校での経験は、日本語教師としても、一教育者としても私を成長させてくれた、かけがえのないものとなりました。私のアシスタントティーチャー(以下、AT)としての主な業務は日々の授業の計画、準備、実施、テストの作成、採点、プロダクトの評価、成績入力などをリードティーチャー(以下、LT)と二分して行うことでした。ATとして任されていた仕事には、リーディング教材の選出、生徒の漢字ノートのチェックなどがありました。2レベル混同クラスで1レベルずつ教えることはありましたが、それ以外では大抵チームティーチングで、授業はいつも2人で教えているという感覚でした。
クラスでの私の一番の役割は、本当に基本的なことですが、常に生徒に日本語で接する存在であることだったと思います。私が話す際は生徒も分かる言葉を使わなければならないため、リスニング力も鍛えられたと思いますし、日本語しか話さない私に、生徒も日本語で話してくれました。「今まであの子は日本語で話したことがない」とLTが言う生徒でも、私には日本語で話してくれるということがよくあり、そのような生徒の変化は純粋に嬉しく思いました。
日本語クラス外で
日本語のクラス外で印象に残っているのは、スペイン語のクラスに日本人として何度か訪問させてもらったことです。カリフォルニアには継承語としてスペイン語を話す人々が多く、スペイン語コースを取っている生徒でも、元からスペイン語ができるという生徒は少なくありません。極端に言えば、その生徒達はせっかく外国語を履修したにもかかわらず、新しい言語や新しい文化を学ぶことなくスペイン語コースを終えてしまいます。そこで少しでも外国人と触れ合うように、そして外国(日本)に興味を持ってもらえるようにという目的で、スペイン語の先生が私をクラスに招待してくれました。行ったことは、質疑応答やちょっとした文化紹介など本当に些細なことでしたが、この経験を通して自分は日本語コースを取っている生徒だけの先生なのではなく、カストロバレー高校の教師なんだという実感が湧くようになりました。その後、スペイン語を取り終えた高校3年生が最後の1年に日本語を履修してくれたり、何人かの生徒がスペイン語コースにいたけれど、やっぱり日本語が取りたいとコースを変えて履修してくれたりしました。それがこの訪問の影響だったとしたら、教師として彼らの視野を広げるのに少しでも貢献できたことを幸せに思います。
日米若者交流
私の赴任前からカストロバレー高校では、LTの日本での元職場である英語教室の生徒さん方と年に何回か手紙交換をしていました。手紙だけでも生徒はとても嬉しそうにしていましたが、スカイプで実際に話したり、ビデオレターを送ったりするのはどうかと提案しました。スカイプは時差の関係で実現が難しかったのですが、ビデオレターを送り合うことになりました。生徒は初めは恥ずかしそうにしていたものの、スピーチを考えるところから実際にビデオを撮るところまで、普段の授業では見たことがないくらい真剣に取り組んでいました。ビデオで実際に自分のペンパルを見る、また自分もペンパルに見られるということで、存在を近くに感じられ、生徒の「早く返事がしたい!返事をもらいたい!自分は日本にペンパルがいるんだ!」という気持ちが強くなったように思います。そして私たち教師が管理して手紙を送り合う期間を終えた後も、手紙を書いていた生徒もおり、とても微笑ましく思いました。
今後派遣される方へ
自分が挑戦してみたいことなどは積極的に提案・挑戦していくことが大切だと思います。LTのやり方を受け入れて合わせていくこともATとして必要なことではありますが、受身の姿勢でばかりいてもATとしては成長のない日々、LTにとっては変化のない日々で終わってしまい、お互いの2年間がもったいなく終わってしまいます。LTに合わせるところ、新しいアイディアを提供するところ、すれ違いのないようによく話し合うことで、充実した日々が送れるのだと思います。せっかく外国である日本から派遣されたのだから、学校にも生徒にも「新しいことを持ち込んでやる!」という気持ちで頑張ってみてほしいと思います。そうして何よりも自分のために有意義な日々を作っていっていただきたいです。
私は今後、日本で日本語教師を続けるつもりです。私もアメリカで学んだことを生かして、挑戦する努力を忘れない教師になりたいと考えています。