米国若手日本語教員(J-LEAP) 7期生 総合報告書
アメリカの小学校での2年間を終えて

ダンズモア・エレメンタリー・スクール
多田 都

2人の先生の教室

私はこの2年間、ロサンゼルスの郊外の小学校で、日英イマージョンプログラムのアシスタントティーチャー(以下、AT)として2年生のクラスで活動しました。日本語だけではなく算数や理科などの教科も日本語で教えるので、日本の小学校の先生のような立場です。リードティーチャー(以下、LT)と、授業のリード(実際に教えること)、授業のアシスタント(生徒の学習態度指導、学習サポート)、レッスンプラン作り、教材作り、採点などの業務を、教科や単元ごとに分担して行いました。
実際に現場に立ってみて感じたのは、教室に2人先生がいるということが生徒にとって学びやすい環境作りに役立っているということです。イマージョンクラスでは日本語が母語・継承語の子も、第二言語として日本語を学ぶ子も同じクラスで勉強するため、生徒の日本語レベルはバラバラ。先生が2人いることで、1人が授業を進める間にもう1人がついていけていない生徒を個別にサポートできますし、ケンカが起きても授業を中断することなく生徒と話ができます。日本語も他の教科も基礎を固めないといけない時期、生徒たちの学習環境を整え、より「わかる・できる」の気持ちを育むことができたのではないかと思います。
私にとっても、「イマージョン」の「小学校」というアメリカにおいても数の限られた日本語教育の現場で働けたことは、本当に貴重な経験となりました。この2年間で年少者日本語教育に興味を持ち、今後日本でも関わっていきたいと思える分野を見つけられたことは、大きな収穫です。

続・“大人の”先生になる

1年目に引き続き、私の派遣先の小学校と、同じ学区内で日本語プログラムを持つもう一つの小学校の保護者を対象に、週一回夜間クラスを開講しました。参加してくださったのは「自分も日本語を勉強して、子どもが学校で何を学んでいるのかもっと知りたい、子どもの学習のサポートをしたい」という保護者方です。ひらがなやカタカナ、基本的な文法事項をおさえながら、家庭や学校で使えそうな会話やフレーズを中心に授業をしました。英語を使いながら授業をすること、大人の目線から出てくる日本語への疑問、大人と子供の授業ペースの違いなど、普段の学校業務からだけでは得られない発見があり、私もこのクラスを通してたくさん学ぶことができました。また、保護者の方々がクラスを開いてほしいと言ってくださりそれに応えられたこと、忙しい中仕事後に参加してくださったこと、このクラスがあって良かったと言ってもらえたことは励みと自信になりました。イマージョンの小学校、特に低学年においては、家庭での理解やサポートなくして生徒の学習は成り立ちません。自分の子が学んでいることが、どんな言葉でどんな難しさがあるのか、どんな文化や背景を含んでいるのか、ということを考えるきっかけを作れたかなと思っています。

海の向こうの友達

私の担当していた2年生の生徒たちは、沖縄の小学生と交流をしました。実際に会ったり話したりすることはできませんでしたが、お互い自己紹介や学校紹介を送ったり、授業で取り組んだプロジェクトを見てフィードバックを返したり、日本語で歌った歌のビデオを見てもらったりしました。沖縄からサプライズで生徒一人一人にしおりのプレゼントを貰った時には皆とても喜び、何かお返しをしたいという意見が自発的に出るほどで、予定になかったお礼のメッセージカードを一人一枚作成することになりました。普段学校でしか日本語を使わないという子供もいる中、自分のコミュニティの外の、歳が近い海の向こうの友達と日本語で交流できたことは、私たちが想像していたよりも生徒にとって刺激的で良い経験になったようでした。生徒50人分のプロジェクトの準備や取りまとめの作業は、意外と大変で手間がかかるものではありましたが、LTにも「先生が2人いなければこのような形での交流はできなかった」と言っていただけました。何より生徒たちが楽しんでいたので、この交流のサポートをすることができ私自身もとても嬉しかったです。

これから海外で日本語教育に携わる皆さんへ

はじめは生活や仕事に慣れることで精いっぱいだと思いますが、無理はせず、でも自分のできることをきっちりこなしていってほしいです。アメリカは本当に大きく、日本の比ではないくらいの多様性がありました。それは働く地域や学校にも当てはまることで、学校の数だけ日本語教育の事情は様々、自分が期待していたものとは違うかもしれません。しかし、できることを探し、やってみたいことにチャレンジし、そこの日本語教育や文化交流がより良いものになるよう、LTや周りの人とのコミュニケーションを大切に頑張っていただけたらと思います。大きなイベントや新しい取り組みでなくても、地味な業務でも、それは地域や学校の日本語教育を支えているはずです。
また、日本のことを伝えるだけではなく、その国・地域のことを知り、吸収し、時には発信するのも、海外で日本語教育に携わる人の大事な仕事の一つだと思います。私は2年間、言葉・生活・考え方など、あらゆる面で「違うもの」に触れました。受け入れられることも、ちょっとそれは・・・と思うことも両方あったのですが、そのどれもが私の視野を広げてくれ、異文化の「消化力」を高めてくれたように感じます。仕事はもちろんですがプライベートの時間も大切に楽しんで、異文化の海を泳いでほしいです。私も今回の経験を糧に、今後も何らかの形で日本語教育に、特に年少者の日本語教育に携わっていけたらと思っています。

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