米国若手日本語教員(J-LEAP) 7期生 総合報告書
アラスカでの挑戦を終えて

サンド・レイク・エレメンタリー
河野 充博

アシスタントティーチャーとしての成長

教室内にリードティーチャー(以下、LT)とアシスタントティーチャー(以下、AT)がいるということは、言わば先生が二人いるということであり、これは学習者にとって理想的な環境だと言えます。そしてこの環境は駆け出しの新米教師であった私にとっても、日本語教師としての経験を積む上で理想的な環境でした。私のLTは、「間違えても大丈夫だから、何事にも怯まず挑戦してほしい」という考えの持ち主だったため、赴任当初から教室内外で様々な仕事を任せてくれました。お正月ユニットの考案、新しいアクティビティで使う教材の作成、理科の授業で使うノートの翻訳など、全てが新鮮でやりがいがありました。困難な作業もありましたが、LTの協力もあり、みるみるうちに成長し、数々の仕事を効率よくこなせるようになりました。
私が最も自己の成長を感じた経験があります。それは、「日本とアメリカの学校比較」という授業を、日本語イマージョンで学ぶ1年生だけではなく、英語クラスの生徒たちにも行ったことです。いつもとは教える相手も違い、教える際に使う言語も違ったため、授業の前はどうなるか不安でした。しかし、普段教室で使っているクラスルームマネージメントのスキルをフル活用し、生徒たちを惹きつける授業ができました。この経験を通して、今まで自分が積み重ねてきたスキルを用いれば、どんな相手にも教えられるという自信が身につきました。

アラスカで磨いた太鼓スキル

サンドレイク小学校には「友達太鼓」と呼ばれる太鼓クラブがあります。友達太鼓では、小学生から高校生、ひいては大人まで、あらゆる年代の生徒が集まって楽しく太鼓を叩いています。私は、日本にいるときは太鼓を演奏する機会などなく未経験だったのですが、せっかく派遣先にクラブがあるのだから、これを機に太鼓を習ってみんなに大和魂を見せつけてやろうと、意気込んで友達太鼓に参加しました。
友達太鼓の大人用クラスは、興味のある人なら誰でも参加できるため、小学生の保護者から地域住民まで様々なメンバーがおり、彼らとの何気ない会話も太鼓クラスの楽しみのひとつでした。このように書くと、本当にただ楽しく、のんびりと太鼓を叩いていたように思われるかもしれませんが、実のところ友達太鼓はかなり本格的な太鼓教室で、ぼうっとしていて間違えれば先生から怒号が飛ぶという光景が当たり前でした。そのため、みんなクラスについていこうと必死でした。
また、友達太鼓は地域で催し物が開かれるたびにパフォーマンスを披露しており、私自身も一年間太鼓を習ったあと、「SAKURA祭り」というイベントにて、公の場で初のパフォーマンスを披露しました。1年生の教え子たちが、ステージに向かって最前列に座っていたため、彼らに見守られる中でのパフォーマンスはとても緊張しましたが、忘れられない思い出になりました。

「楽しい」を生む仕事

LTと私がサンドレイク小学校で働く際に最も心掛けていたことが、生徒が楽しく学べる授業を作ることです。小学校1年生が外国語である日本語を勉強することは決して簡単なことではありません。飽き易く集中力が続かない彼らが、少しでも日本語や日本文化に関心を示してくれるように工夫を凝らし、日本の授業にはないゲームを取り入れたり、あっと驚くような教材を使ったりしました。試行錯誤をする毎日でしたが、生徒たちが「日本語のクラスだいすき!」と言って見せてくれる満面の笑みが仕事をする活力になっていました。日々の努力の成果か、「日本に行きたい」と言う生徒が増え、実際に休みの間に日本に遊びに行った生徒もいました。
私は学校外で、英語教室やスペイン語教室に通っていました。特に英語教室には、世界各国から来ている人たちが集まっており、そこには小さな「世界」がありました。教室では自文化ついて紹介する機会が多く、日本について尋ねてくる生徒もたくさんいました。彼らの話を聞くことは、異文化理解を深めることにも繋がりました。英語を勉強しながら日本文化を広めるとともに、自身の国際的な視野まで広げられたことは思ってもみない収穫でした。

常に挑戦者であれ

見知らぬ地アラスカでの二年間は毎日が挑戦の日々でした。また、何をするにも新鮮に感じられ、パジャマを着て教壇に立つ、スピーチコンテストの審査員、凍った湖でのスケートなど日本では出来ないような数多くの経験を得ることができました。挑戦を続けていると、時には壁にぶつかり、折れてしまいそうになるときがあると思います。そんなときは周りを頼ってください。私はアラスカ滞在中、何人もの人から「もっと甘えていいんだよ」という言葉をかけてもらいました。そして、そんな彼らが支えてくれたおかげで幾多の困難に立ち向かうことができました。
壁を乗り越えたときにしか見えない景色が必ずあるはずです。J-LEAPのようなプログラムに参加する方たちには、その景色を見ることを決して諦めないで、常に挑戦者であり続けてほしいと思います。
J-LEAPでの活動を通して日本語教育を支える様々な人たちに出会ったことで、私の日本語教育観はガラッと変わりました。教室の中で日本語を教えることだけに留まらず、色々な形で日本語教育に関わっていく方法があると知った今、プログラムを通して培った挑戦する姿勢を忘れず、何らかの形で日本語教育に関わり、貢献していきたいと考えています。

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