米国若手日本語教員(J-LEAP) 7期生 総合報告書
アメリカで過ごした2年間

クランフォード・ハイ・スクール/ヒルサイドアベニュー・スクール
木村 ゆい

アシスタントティーチャーとしてこの2年間で出来たこと

学校に唯一いる日本語ネイティブスピーカーとして学生との交流や、授業で使う教材作りをアシストできた事はアシスタントティーチャー(以下、AT)として2年間活動出来たとても大きな成果だったと思います。私のリードティーチャー(以下、LT)は特定の教科書を使用しておらず、教材を自己作成していました。教材をチェックし、自然な日本語、日常で使われている日本語を授業で使うことが出来たのは、ネイティブスピーカーならではの事だったと感じます。
学生との交流に関しては、日本語を勉強していても日本人と接したことがない学生が大半で、直に日本の文化を伝える事が出来たことがとても嬉しかったことです。LTも語学教育には文化紹介も必要だと考える方だったので、文化紹介を出来る機会が多く、学生もとても楽しんでいました。
また、ATとしての役割のひとつに、LTと日本語で話し続けるという事もあったように感じています。アメリカで生活しているLTにとって日本語で話す機会は主に授業中、学生と話す時しかありません。ですから、ネイティブとして私がLTと毎日日本語で話す事がLTの日本語能力向上に少しでも役に立ったのではないかと感じています。

みんなで作り上げた文化祭

派遣されている学校ではLTと共に、日本語クラブを担当していました。クランフォード・ハイ・スクール(以下、CHS)で2年目に開催した文化祭は、とても思い出深い出来事になりました。
1年間をかけてCHS日本語クラブの学生と教師陣が中心となって企画しました。LTは学生に日本の高校の文化祭がどの様なものか紹介し学生をリードする一方、学生たちが主導となってこの企画を作り上げるようにサポートしていました。日本のアニメや漫画に興味がある学生たちが多かったので、その中で見たことがあるものを実際に出来る事にとても興奮し、準備期間も協力し合い楽しんでいました。
外部の方にも来てもらえるよう学校内にポスターを貼ったり、中学校でも声掛けをしたりと周知活動をしました。その甲斐があって、当日は約200人の方が来場してくれました。メイドカフェやお化け屋敷、お箸競争、着物フォトブースなど日本での文化祭さながらの体験に学生も来場者も目を輝かせ楽しんでいました。
来場者の中には日本語クラスの学生の兄弟や保護者の方がいたり、CHSの学校長、外国語学科の上司も参加してくださり、日本語プログラムの良い宣伝機会となりました。

ATという立場だからこそ出来た事

アメリカの教壇に立つようになって、思い出した事が一つあります。それは私が中学校の時に居たアメリカ人の先生の事でした。彼はいつも英語を「勉強」というより「コミュニケーションツール」として教えてくれました。その先生のお陰で、私は英語を勉強しなければならないものというより、先生と楽しく話をするためのものと感じるようになりました。また海外への関心も高まっていきました。
ある時、私はATとしてその先生と同じ立場にいることに気づきました。アメリカに来た当初は学生たちに「日本語を勉強してほしい」という思いのほうが強かったのですが、それ以降「日本語、そして日本文化を楽しんでほしい」という思いに変わっていきました。折り紙や日本のCM、動画など出来るだけ沢山のものを紹介できるよう努めました。また学年末等にクラスで開くパーティーには日本の食べ物を手作りして持って行きました。 そのうち学生も彼らの興味のあるものを色々と見せてくれるようになりました。アメリカの物はもちろん、私が知らない日本の物を教えてくれたりもしました。その会話の中で彼らの日本語の発話がどんどん増えていったように感じます。始めはATという立場に戸惑う事もありましたが、今はATという立場だからこそ築けた学生との関係があったように思います。私がこの2年で出来たことは微力かもしれませんが、私の英語の先生のように、少しでも学生の心の中にこの2年が残っていたら嬉しく思います。

一人の日本人として関係を築く

これから海外で日本語を教えたいと思っている方に出来るアドバイスの一つとしては、日本語を教える事もとても大事ですが、学生との信頼関係を大切に、日本語や日本文化を楽しんでもらえるよう活動してほしいと思っています。学生にとって、もしかしたら日本人と触れ合う初めての機会になるかもしれないのです。日本語を勉強したい、日本の事を知りたいと少しでも日本に興味を持ってくれた学生に、これからも日本への好奇心を持ち続けてほしいとの思いで2年間活動してきました。
派遣された当初は日本とアメリカの文化の違いに悩み、日本の常識を押し付けそうになったこともありました。しかし、それが学生との壁になることもあるのだ、と気づきました。こちらが心を開き、学生の事を受け入れる事で、学生も私の事を受け入れてくれるようになったと思います。その少しの努力が国際交流に繋がっていくのだと実感しました。
私は日本へ帰国しても日本語教師を続けていこうと思っています。アメリカでの2年間の経験は、これから様々なバックグラウンドを持った人と関わっていく上でとても貴重なものとなりました。この経験を糧に、今後も精進していきます。

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