米国若手日本語教員(J-LEAP) 7期生 総合報告書
二年間の活動を終えて

カーニー・ハイ・スクール
美濃部 大樹

取り組みと成果、そして成長

カーニー・ハイ・スクールでは、新しいカリキュラム作り、ゴールを意識した授業作り、漢字の教え方の探求、言語クラスでのテクノロジーの利用など、さまざまなことに取り組みました。その結果、授業の質が向上し、受入機関における日本語学習者数が一年目終了時点で78人だったのが二年目終了時点で104人にまで増加し、日本語プログラムの拡大につながりました。私が取り組んできたことが無駄ではなかったということが明確な形で現れ、非常にうれしい限りです。
カーニー・ハイ・スクールで経験したことの多くが私にとって非常に有益なことでしたが、その中でも、推薦状の執筆は私を教師として大きく成長させてくれました。アメリカでは、大学等に出願する際に、高校の教師などによる推薦状を提出することが求められ、合否にも大きく影響すると言われています。私は三人の生徒から推薦状の執筆を依頼され、推薦状を準備したのですが、その際、生徒の性格、授業態度、モチベーション、学校外での活動、好奇心、異文化への対応力、コミュニケーション能力、リーダーシップなど、多角的な視点から生徒の評価をしなければなりませんでした。推薦状を執筆することによって、日本語のパフォーマンスだけを評価することの視野の狭さを感じ取ることができました。今後、幅広い観点から生徒を評価できるようになると思います。私が推薦状を書いた三人とも無事にそれぞれのプログラムに合格し、一人は日本の大学への入学が決定し、二人は奨学金を獲得し、夏の6週間、日本でホームステイしながら、日本の高校に通えることが決定しました。カーニー・ハイ・スクールには200人近くの素晴らしいスタッフがいるのですが、その中で推薦状を依頼されたことは非常に光栄なことであり、また教師として成長できる機会を与えてくれた生徒たちには感謝したいと思います。

授業以外での活動

カーニー・ハイ・スクールには課外活動である日本クラブがあり、私はその運営サポートを行いました。二年間で、おりがみや日本の映画鑑賞など、たくさんの活動を行いました。アメリカでは課外活動の活動費を集めるために、生徒が中心になって、クッキーなどを焼き、学校で売ることがあります。日本クラブでも、二年目は、クラブの運営資金を調達するためのベイクセールを行いました。事前に生徒たちと相談し、誰が何を準備し、作り、そして、何ドルで売るかなどを決めました。生徒たちは日本にちなんだ食べ物を作り、私はたこ焼きを作って売りました。うれしいことに、たこ焼きはリピーターが出るほど人気が出て、作ったたこ焼きは完売になりました。ベイクセールは大成功に終わり、生徒たちはとても喜んでいました。
また、アメリカにはNational Honors Society(全米優等生協会)というものがあり、成績の良い生徒だけが加入することが許されます。カーニー・ハイ・スクールのWorld Language Department National Honors Society Induction Ceremonyでは、10分間のスピーチを依頼され、外国語学習についての私の考えを述べ、出席者(生徒、保護者、教育長、校長先生、教頭先生、他の言語の先生方など)に高村光太郎の「道程」を紹介し、カーニー・ハイ・スクールで学んだ外国語スキルを用いて、長く険しい人生の困難を乗り越え、自分の道を切り拓き、明るい将来を勝ち取ってほしいというメッセージを伝えました。

日米相互理解のために

二年目は、地元住民向けの日本語クラスを開講し、その授業を一年間、担当しました。受講者数は合計8人で、8人のうち6人は20代の人でした。クラスでは日本語を教えるだけでなく、日本の最新ニュースや歌、テレビ番組などを紹介することで、参加者は幅広く日本の今に触れることができたと思います。また、お箸を使う練習をしたり、おりがみに挑戦したりもしました。受講者との交流はクラス内にとどまらず、休みの日には、一緒に日本のレストランで食事をしたり、日本関連のイベントに参加したりしました。また、受講者の家族や友達も一緒にイベントに参加してくれたので、日本語クラスという枠組みを越えた交流をすることができました。
また、私の母校である大阪府立千里高校に連絡をとり、リードティーチャー引率の元、カーニー・ハイ・スクールの生徒が日本に旅行に行った際に、一行を迎え入れてもらいました。校内見学や茶道体験、ディスカッションなどを通じて、日米の高校生が直接交流する機会を作ることができました。
さらに、東京大学の大学生一行がプリンストン大学を訪れた際に、東京大学の学生とニュージャージーに住む日本人との交流会にボランティアとして参加し、東京大学の学生とディスカッションをしました。私のアメリカでの生活やアメリカの高校事情、アメリカの若者について、私が仕事をする中で感じたことなどを日本の学生に伝え、日本の学生の対米理解を深めることにも貢献できたと思います。

日本語教師としてのこれから

日本の経済力は今後下降していくことが予想されています。また、私の派遣先であるニュージャージーでは日本語プログラムが減りつつあります。このような状況に鑑みて、これからの日本語教師には、日本語学や言語学の知識以上に、国際関係やアドボカシーに関する知識が求められると思います。日本語教師が働くために必要な安定した二国間関係や国際秩序を生み出すことに貢献したり、日本語プログラムを宣伝し拡大したりできるような人材になれるように、言語学という領域にとどまらず、幅広く勉強していかなければならないと思います。
また、学習者の学校から社会へのトランジションを促す日本語教育についても考えていかなければならないと思います。学習者が社会に出て活躍できるように、ICTリテラシーやコミュニケーション能力などの21世紀型スキルが身につく授業づくりが今後ますます求められるようになると思います。さらに、日本語学習者が日本語を勉強することで、社会で日本語を使っている将来の自分をイメージでき、そしてその理想の自分に向かって努力をする学習者を教師がどのように支援できるのか、どのような授業実践が行えるのかについても考えてみたいと思っています。
これらのテーマを意識しながら、研究と実践を行い、日本語教育の発展に貢献していきたいと思います。

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