米国若手日本語教員(J-LEAP) 7期生 年間報告書
ニューヨークでさまざまな日本語教育に関わる

P.S.147 アイザック・レムゼン・エレメンタリー・スクール
堀野 善康

ニューヨーク:「我が子に自分のことばを受け継いでほしい」

ニューヨーク州の面積は、約14万平方キロメートルで、人口は、約1900万人をほこります。また、ニューヨーク市のみで、約800万人もの人が居住しています。ニューヨーク市の教育制度の特色は、Dual Language Program(以下、DLP)という、英語を母語とする子どもに加え、英語非母語話者の子どもも対象にした、英語と外国語の二重言語での、「教科学習」を導入している公立小学校の多さです。私の派遣されている学校、P.S.147アイザック・レムゼン・エレメンタリー・スクール(以下、P.S.147)は、そのうちで、唯一の日本語DLPの導入校です。
ニューヨーク市では、日本語は、高校や、大学で教えられているのに加え、一般人を対象とした日本語クラスも、国際交流基金によって提供されています。また、駐在員の子ども向けの国語教育や、「日本につながる子ども」(主に、“ハーフ”と呼ばれる子どもたち)を対象にした、継承語としての日本語教育も盛んです。特に、この継承語教育は、ニューヨーク市における日本語教育のキーワードとなっています。それほど、日本につながる子どもに対して、アイデンティティの一部である「日本」を忘れさせないために、親が子どもに日本語を教えるという「慣習」が根付いているのがとても印象的です。

日本語DLP:「JHLJFLも、ともに同じ教室で日本語を学ぶ」

受入機関である、P.S.147は、ニューヨーク市のブルックリンにあります。P.S.147の日本語DLPは、2015年に始まった新しいプログラムで、現在、私のリードティーチャー(以下、LT)が1人で教えています。学習者は、幼稚園生から2年生までで、計74人(うち、日本につながる子ども<以下、JHL*1>:18人、日本語が母語でない子ども<以下、JFL*2>:56人)です。DLPの特徴は、1つのクラス内に、JHLJFLが混じっており、社会、理科などの教科学習を日本語で行うことです。従って、それぞれの子どものレベルに応じた指導(Differentiated Instruction)が必要とされます。カリキュラムは、ニューヨーク市教育省の指導要領に従って、学習者のレベルに応じて日本語に修正し、教材は教師が自作しています。アシスタントティーチャー(以下、AT)としての私の主な業務は、LTと共に、カリキュラムデザインをしたり、教材を作ったりすることでした。宿題作成も主に担当し、特にJHL向けの宿題を作成する際は、国語教育の要素も入れることを意識し、大変勉強になりました。また、今年は初めて日本語劇を導入し、台本をいかに言語教育につなげるか考え、書くのは、とても貴重な経験でした。

*1 JHL:Japanese as Heritage Language, 日本語を継承語として学ぶ学習者
*2 JFL:Japanese as Foreign Language, 日本語を外国語として学ぶ学習者

日本文化イベント:「日本食は初めて食べます」

私の派遣されている地域(ブルックリン)では、日本語のプレスクールや、土曜日補習校などもあり、P.S.147とも関係が深く、LTと運動会イベントのボランティアをしました。運動会では、日本語プレスクールや、土曜日補習校に通う子どもたちだけでなく、P.S.147の学習者も参加できるほどの、規模の大きいものでした。また、この運動会は、全てが日本式で、玉入れや、障害物競走、綱引き、リレーといった、日本の学校がやっていることを、そっくりそのままやっていて、とても懐かしい気分になりました。私は、補習校の先生方とダンスの有志としても参加させていただき、大変貴重な経験となりました。 また、ニューヨークには、国連のインターナショナルスクールがあり、そこの春祭りのボランティアもさせていただきました。この春祭りは、アメリカ北東部日本語教師会が主催しています。この春祭りでは、日本料理や、お菓子が食べられるだけでなく、餅つき体験や、着物の着付けもできます。P.S.147の子ども達も参加させていただき、日本食を初めて食べるという子どももいて、とても有意義なイベントでした。
ニューヨーク市には、こういった日本文化に触れるイベントが充実していて、日本文化への関心の高さを実感できました。

1年目から2年目へ:「自分が抜けたあとのことも考えて」

1年目を終えて、様々なことを経験できました。特に、成人学習者しか教えたことがない私にとって、小学校に派遣されたことは、チャレンジングな経験になりました。小学校で教えることは、子どもの心の成長にも関わるので、自分が教師としてどう振る舞い、子どもと接するべきか、問いに問うた1年でした。初めのうちは、子どもの行動が理解できず、頭ごなしに怒ってしまっていました。しかし、学期終了1ヶ月前ぐらいから、ようやく、どのように子どもたちを考えさせ、行動させるかがわかるようになりました。2年目は、この1年目で学んだ「小学校教師としての教師観」を、さらに自分にとって納得のいくものにしていきたいです。
また、日本語DLPで1年間教えて、日本語で教科学習をしても、JFLの子どもが基本的な日本語での日常会話に不自由するという課題が見られました。そこで2年目は、JFLの子どもも体系的に日本語が学習できるよう、外国語としての日本語教育のカリキュラムを作ることを目標にしたいと思っています。この作業は、言わば教科書を1冊作るような大がかりな作業ですが、一旦作れば、私の派遣が終わった後も引き続き使えるので、持続可能性のあるものとして残していければと考えています。

  • 派遣先での写真1
  • 派遣先での写真2
  • 派遣先での写真3
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