米国若手日本語教員(J-LEAP) 8期生 総合報告書
「私のJ-LEAP」2年間を終えて

グレンブルック・サウス・ハイ・スクール
渡部 逸平

私のJ-LEAPでの成長

私のアシスタントティーチャー(以下、AT)としての業務は多岐にわたり、新しいテクノロジーで教材作成をすることがその一つでした。また、クラスマネジメントの場面では、私の小学校教員の経験から色々なアイデアを出し、より良いクラス運営をリードティーチャー(以下、LT)と協力して行っていきました。その多種多様な業務の中で私が最も有益だったと思う経験は、AT全ての活動に関わることでもありますが、「2年間、どんな時も常にLTと一緒に働く」という経験でした。これは何よりこの2年間で悩み、壁にぶつかったことであると共に、最も有益で自分自身が成長できたと思う経験です。LTと私は当初考え方も授業スタイルも異なることもあり、正直難しい時期もありました。しかし、2人がお互いを理解し、一歩ずつ着実に歩み寄ったことで、2年目には1年目の最初が嘘のようにLTと私は職員室でいつも笑って、信頼し合い仕事ができるようになりました。2人とも日本語教師という仕事に熱い情熱を持っていたので考え方の違いから摩擦があるのはある意味必然的なことだったと思います。
私はこの経験から、相手を深く知り、また自分と相手の異なる立場や役割を理解し、どうすればより良いものを一緒に作りあげられるかという過程、方法を学びました。時にやり方が異なっていても、生徒のためという熱い思いは同じであり、一緒により良いものを作り出すプロセスがこの経験で身に染みて学べたことは何よりも私にとって大きな成長だったと思っています。この経験はきっとこれから様々な人とより良い仕事をしていく上で何よりも大切なものであり、今後自分の長所になり、大きな力になると考えています。

日本語授業外での活動~学校の垣根を超えた交流~

J-LEAPの2年間では日本語授業外にも毎週の日本語クラブのアドバイザーや日本語スピーチコンテストのための指導、近隣小学校や派遣校で行われる世界の文化イベントでの日本ブース担当、シカゴに住むビジネスマンへの日本語ボランティアレッスンなど、日本語授業外でも様々な活動をしていました。その中でも最も印象深かったのは日本語を学ぶシカゴ周辺校が集まるイベントで、学校の垣根を超えた交流の責任者を務めたことです。以前から私の派遣校と近隣校で毎年学校別日本語対抗のイベントが行われていました。しかし学校交流の機会を作るのは私の着任1年目が初めてで、私が0から考えることになりました。日本語のレベルが異なる中で日本語と日本文化を中心に楽しく交流できる活動を作るのはかなり大変でしたが、実際のイベントでは、生徒たちは学校が混ざったグループごとにいろいろなゲームを一緒に力を合わせて行い、とても楽しそうに交流をしていました。
イベントから半年以上経った後も、そこでできた他校の友人と連絡を取っているという話が耳に入り、私も非常に嬉しく、イリノイ州での日本語ネットワーク作りに貢献できたと思いました。また、この交流はとても盛況であり、他校の先生方からもぜひ2年目もやって欲しいというお話があり、2年目もさらにパワーアップさせて実施しました。

生徒も先生も初めてのオンライン授業

本当に急に始まった教室ではない日本語のクラス。その期間、LTと私は今まで以上に知恵を出し合い授業を作っていきました。毎回のオンライン授業開始時には、LTと私が交代でGoogle Classroom(生徒や学習内容をクラスごとに管理するオンラインシステム)に生徒たちに向けての課題や先生からのメッセージ等を投稿しました。オンラインのみの授業はLTも私も初めてのうえ、短期間での準備が必要でしたが、J-LEAPの派遣前研修で学んだオンライン教材からいくつかのツールを私自身が実際に試し、派遣校の生徒に合うと考えた「『まるごと』オンラインコース」での課題も出しました。直接生徒のサポートができる教室での授業でも、パソコンでの作業をする時に手助けが必要な生徒が多かったため、このコースの登録や新しいものを導入する際には、誰が見てもわかりやすく、簡単にできるようにセットアップや課題の提出方法の説明スライドを工夫し作りました。オンライン教材に対して生徒からの反応は上々で、やる気のある生徒はこちらが設定する以上のタスクを行い、楽しく学習ができたというフィードバックも受けました。
私の派遣校では教育の平等性を重視しており、今学期はリアルタイムでの授業は禁止などの制約もありました。そのため、その制約の中で生徒にとって今何が必要なのかを深く考えました。新型コロナウイルス感染症がアメリカで騒がれ始めた初期には、まず生徒の精神面のケアが何よりも必要だと考え、LTと私からのメッセージビデオを生徒たちが笑顔になってくれるように少し面白くしながら編集して、オンライン授業初日に生徒たちに届けました。他には新しく学習する文法を今までの教室とは全く違う方法、時間内で教える必要もありました。指定時間内ででき、評価可能で、楽しく、最終課題に最短で繋がるようなオンライン授業用スライドを工夫して作ることは大変でしたが、オンライン授業の準備はいつも挑戦に満ち溢れていてとてもやりがいのある仕事でもありました。

日米が繋がるために私ができたこと

日米若者文化交流というJ-LEAPの目的のために私が貢献できたことの1つは、毎年派遣校でアメリカの生徒と日本の留学生が共に過ごす1週間の機会をさらにお互いが深く分かり合えるような交流に工夫したことです。お互いの言語と文化を遠くで学ぶ生徒たちが一緒に過ごす貴重な時間をさらに有意義なものにしたいと、生徒たちの繋がりをより深めるためにお互いの言語を使い協力しなければできない学校案内ゲームやクラス内での仕掛けをたくさん作りました。この交流の1週間が日本語プログラムで一番楽しい時間だったという派遣校の生徒も多く、これからの未来を創る日米の生徒たちが繋がっていく手助けをできたことはとても嬉しいことでした。
もう一つは私自身がアメリカで出会った人々との強い繋がりです。私自身、人を深く知ることは昔から大好きで、中西部JETプログラム帰国者歓迎会に参加し、日本で生活したアメリカの人々と交流を深めたり、私のアメリカ人の友人を総領事館主催のお花見などのイベントに誘い、私以外の日本人と交流し日本文化を経験してもらうなど、2年間で数多くの人と色々なかたちで交流することができました。たくさんの出会いの中には現地で初めて出会ったにも関わらず、親友になったアメリカ人の友人もいます。私が現地の人々との出会いによってアメリカを心から好きになり、そんな素敵な人々がいるアメリカから帰りたくないと思わせてくれたように、私が帰る際に涙を流してくれた多くの人々も私を通して日本を知りより興味を持ってくれたと思います。その小さな繋がりがこれからの国同士が繋がる力になると私は信じています。

多様性と繋がる力

私がこのJ-LEAPで必要だと感じた力、それはいろいろな人・物事を受け入れる力と柔軟性です。私が見たアメリカという国は多様性に溢れ、「自分の常識は他人の非常識」という言葉を身に染みて日々感じていました。特に私の学校には同じクラスの中に多様な文化、家庭環境、年齢、性格、学習レベルの生徒たちがいました。それ故に、教師が学習者一人一人を理解し受け入れること、そして様々な可能性を常に考えつつ、柔軟に対応していくことがとても重要でした。個々の違いを受け入れる心と姿勢を持ち、行動で示していくことが生徒からの信頼にも繋がるのであろうと私はこのJ-LEAPの経験を通して学びました。
私の報告書をご覧になっている方の中には今後J-LEAPへの応募をお考えの方もいらっしゃるかもしれません。これまで私の経験を書きましたが、私は一人一人が特別な存在であり、熱い思いがあればどんな人でも素晴らしい米国若手日本語教員になれると考えています。なぜなら本当に多様性に溢れるアメリカだからこそ、多様な日本語教師を生徒たちが必要としているからです。
この2年間で私は日本語教育を通じて様々な人々と繋がり、その日本語教育の力と素晴らしさを改めて実感しました。今後、文化や背景がどんなに異なっていても正面から向き合い、日本語教育を通じて私自身がさらに多くの人と繋がりたい、そして私の活動で人と人、世界を繋げていく存在になりたいと強く思っています。

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