米国若手日本語教員(J-LEAP) 9期生 総合報告書
アラスカと私のJ-LEAP

パーマー・ハイ・スクール
根岸 明穂

パーマー高校にある「日本」と世界

私のアシスタントティーチャー(以下、AT)としての業務は多岐にわたり、リードティーチャー(以下、LT)と共に、いかに生徒の興味を惹きつけることができるか、どうしたら楽しく日本語を学んでもらえるか、この社会を担っていく世代と一緒に学びたいことはなにか、と常に生徒を第一に考えて業務にあたっていました。ACTFL(全米外国語教育協会)が推奨するコアプラクティス(効果的な外国語教育のためのガイドライン)の一つである目標言語を90%以上使う授業を心がけ、生徒の前では日本語だけで話す意識をしていた結果、生徒たちが先生の口癖を覚えたり、自然と日本語らしい相槌が出てきたりと、「よく聞いているなあ」と少し照れつつも感心したと同時に、クラスに日本語の先生が2人いることのアドバンテージを感じました。
学習目標を「日本語を使ってコミュニケーションをすること」とし、日々授業をしていく中で、ATとしては派遣終了後も使える教材づくりを心がけました。特に、私が赴任した年から派遣校では日本語クラスでも国際バカロレアのディプロマ取得テストを実施することになり、テストで問われる日本文化や社会問題についてSDGs(持続可能な開発目標)を取り入れながら日本語で学べるように工夫しました。また、Comprehesible Input(理解可能なインプット)を念頭に視覚的に分かりやすい教材を多く作成し、使用語彙や文法を工夫することで、全てのレベルで利用できる環境を整えることができました。これも、経験豊富なLTが「あきほ先生、やってみて!」とチャレンジする機会をくださったからこそできたことです。また、授業を進めつつ自然な流れでお互いにアドリブで学習項目を取り入れてみたりと、教師自身も日々新しい学びが得られることを楽しむ姿勢が生徒たちにもプラスの影響を与えたのではないかと感じています。生徒たちが興味津々な顔つきで先生の話を聞いたり、積極的に日本語で話したりする様子は忘れることのできない光景です。

日本から来た日本人教師だからできること

日本語の授業外では、Alaska World Language Declamation Contest(アラスカ外国語大会)の生徒の放課後練習や、地域予選での審査員、州大会での引率をしました。ステージに立ち、日本語で健闘する生徒たちの勇気に力をもらいました。また、日本語クラスに加え、Educators Rising(次世代の教育者を目指す高校生向けの授業)もLTが教えていたため、私も「日本から来た日本語の先生」として授業に参加しました。日本語学習者以外を対象に教育の授業を行い、私自身もアメリカの教育を学んだ貴重な経験でしたが、日本語に関わらず教育に携わることを志す生徒にとっても、日本の教育と自国の教育を比べ、異文化理解が深まる経験になったのではないかと思います。アラスカ大学フェアバンクス校で開催された大会では、スピーチや授業のデモンストレーション、絵本制作などの分野で15人の生徒が賞を獲得することができました。
2020年、パーマー市は北海道の佐呂間町との姉妹都市交流40周年を迎えました。新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、惜しくも交流訪問団の派遣は延期となってしまいましたが、パーマー市長をはじめとした市の成人訪問団や、中学生と高校生で構成された留学生のメンバーに日本語レッスンを行いました。また、地域の小学校の先生やALTJETプログラム外国語指導助手)と協力し、佐呂間町の小学校と月1回のテレビ通話を用いた交流をはじめました。テレビ通話前に短い日本語レッスンをし、実践で日本人とコミュニケーションが取れた時の小学生の嬉しそうな顔がとても印象的でした。日々の派遣校の業務に加えて外部で活動をすることは体力的に厳しい時もありましたが、「やったー!あきほ先生が来た!」という声や、将来日本語を勉強したい、日本に行きたいという声がエネルギーに繋がりました。

新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて

一体何が起きているのか。頭では分かっているようで理解が追いつかないまま、学区全体で春休み明けにオンライン授業に移行が決まり、「やるしかない!」とLTと試行錯誤の毎日でした。基本的に週に1~2回のZoomを使用した30分間の対面授業と、週に1回の課題提出を行いましたが、オンライン授業の実施前から、情報社会を生きていく生徒のためにテクノロジーを取り入れており、既にGoogle Classroomというプラットフォームを活用していたことが役に立ちました。とはいえ、未知の感染症や、先行きの見えない自宅待機生活、また友人との交流を断たれた生徒たちの精神面のケアに焦点を置くことが不可欠でした。
オンライン授業への移行は教師も大変でしたが、生徒は更に大変だったと思います。LTと話し合い、生徒にアンケートを行った結果、他授業でもスクリーンを見る時間が増えていることが負担だということがわかったので、手先や体を使い、また生徒が受動的にならないアクティビティーを積極的に行いました。また、オンライン授業で人と人との交流が少なくなっている中、具体的でスピーディーなフィードバックや、生徒同士の交流を促すことで、オンライン学習において生徒がモチベーションを保てるように心がけました。国際バカロレア日本語試験も急遽オンラインでの実施となりましたが、一対一のZoomの練習を行うよう生徒を後押しし、受験者全員がディプロマを取得することができました。

つながるアメリカと日本

自分自身も高校生の時に姉妹都市交流の短期留学生として10日間オレゴン州で過ごした経験や反省を活かし、短期・長期留学生のサポートも積極的に行いました。オレゴン州での経験は自分の世界が広がり、国際交流や日本語教育を目指す大きなきっかけだったので、派遣中、縁があった留学生とパーマーの人々が積極的にコミュニケーションを取れるようファシリテーションすることを心がけました。また、留学生に加え、J-LEAP同期生が派遣校を訪問してくれた際は、日本語クラスの生徒がインタビューできる機会をセッティングし、アメリカ各地で活動するJ-LEAPATについても深く知ってもらうことができました。私自身が同期の派遣校を訪れ授業に参加した際も、違う環境で学習する生徒と交流する中で、たくさんの新しい発見がありました。
また、自分自身が業務内外で交友の輪を広げていくことも大切な日米交流だと思います。ホストファミリーや同僚の友人の輪が広がり、アラスカならではのアウトドアなどを楽しみながら様々な世代やバックグラウンドの人々と交流を深めました。AFLAAlaskans for Language Acquisition)主催の学習会にも積極的に参加し、知り合った他学区の外国語ディレクターから引き続きアラスカで日本語教師として働かないか、とありがたいお言葉をいただいたりと、自分から外へ出て人と繋がることの大切さを身をもって感じました。派遣終了後も、希望する派遣校と日本人の生徒同士を引き合わせ、手紙や電話を通じた交流を促しています。派遣中に広がった人の輪を通して、世代にかかわらず、さらに日米間の交流を広げるサポートをしていきたいと思っています。

若手日本語教員として

私はアラスカで活動を始めてから、好奇心が強いと言われる機会が増えました。「知りたい」という気持ちは、リスクを恐れず何事にも挑戦できる勇気や、文化の違いに気づきオープンマインドでいること、積極的にコミュニケーションを取ることに繋がると感じています。新しい場所で外国人として活動し、生活をするということは、期待が膨らむと同時に、常に勇気がいることでした。私自身、初の海外長期滞在ということで、悩んだこともありました。しかし、行動しなければゼロのままです。日々のATとしての業務はもちろん、プライベートで人々との交流やアクティビティーを積極的に楽しむこともまた、自分に自信をつけ、日本とアメリカの交流を深めることに繋がります。自分から質問や疑問を投げかけて、ぜひたくさんの人から知識や経験という人生の財産を獲得していってください。
また、今の時代、テクノロジーやインターネットを使って日本の情報を知ることは簡単です。しかし、今の日本を伝えることができるのが私たちであり、みなさんです。日々の業務や多忙さに飲まれそうになる瞬間もありますが、ぜひ派遣を志した時に立ち返る時間を作り、限られた時間の中で自分が周囲に与え吸収できることを探し続けてください。自分自身も一人の人間として、日本語教師として、まだまだ駆け出し者です。今後も何にでも興味を持ち、国際交流を志す人間として向上心を忘れずに、学び続けていきたいと思っています。

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