日本語教育通信 日本語からことばを考えよう 第1回

日本語からことばを考えよう
このコーナーでは、日本語に特徴的な要素をいくつか取り上げ、日本語を通してことばをとらえなおす視点を提供します。

【第1回】ことばと文法

筆者(イクタン)アイコン画像

 みなさん、こんにちは。

 このコーナーでは、ことば―言語―というものはどんなものなのか、どうやってとらえたらいいのかを考えていきたいと思います。これを読んでいる方は日本語を教えたり学んだりしている人が多いと思いますので、日本語ということばを通じてお話しします。

 特に日本語が母語である人にとっては、日本語を外から見る―相対化する―ことができるように、また日本語が外国語である人にとっては、日本語を母語とくらべる―対照する―ことによって、自分の母語の理解も深まるように、お話を進めていきたいと思います。

 日本語が世界の言語の中でどんな特徴を持っているのか、(少し)わかっていただければうれしいです。


 さて、今回は「ことばと文法」について考えます。
「文法」とは何かと考える前に、そもそも「文法」って本当にあるのでしょうか?
 変な質問でしょうね。「それはあるでしょ、あるに決まっている」と言う前に、少しだけ考えてみましょう。

1. ことばには、そもそも「文法」なんてあるのだろうか

 わたしたちがことばを使う時、「文法」というものを使っているのかどうか、ちょっと次の例を見てみましょう。

1.1 「大盛り料」と「洗米」

 日本の食堂(ラーメン屋さんや牛丼屋さんやファミレス)の看板やメニューに、「大盛り(分)無料」と書いてあるのを見たことがありますか。無料の「無」は「ない」ということです。「香料無添加」といえば香料を加えてい「ない」、「無賃乗車」といえば運賃を払わ「ない」で乗る、その他にも、「無煙」、「無反省」、「無知」、「無口」などいろいろな熟語がありますが、「無」とそれに続く語との関係は「[ ]がない」と言うことができるようですね。

「無」とそれに続く語との関係画像。無+[]イコール[]がない。

 ただ、「無」はどんな語とも結びつくわけではなく、*無働(=働かない)、*無金(=金がない)、*無家(=家がない)ということばは、今のところ存在しません。(*は“実際には存在しないことば”であることを意味します)

 ところで、「無洗米」ということばがあるのをご存じでしょうか。今述べたルールに従えば、「無洗」は「洗っていない」ということになりますよね。わたしはこのことばが最初に現れたときにそう思ってしまいました。つまり「洗っていない米」だと思ったのです。普通、米は洗っていないので、なんで?と思ってしまいました。

 「無」と「洗」の関係はどうなっているのでしょう。

無洗米について考えるイクタン画像

 答えは、「洗わなくてもいい」ということでした。

1.2 “free”という語

 英語の場合はどうでしょうか。この意味での「無」に当たることばとしては、charge freesugar freeduty freeのように名詞の後について、それが「無い」ことを意味する“free”という語があります。また、freeは、free wayのように、車が「自由に」走れる道(しかも、ところによっては「無」料で走れる)ということを意味したりもします。

 では、”rust free”ということばは、どんな意味でしょう。
「売ります/買います」のコーナーで、rust freeのモーターサイクルを買ったら、すぐにさびてしまった。文句を言ったら、「さびはただ(無料)」という意味だと言われた・・・。
という、本当かうそかわからない小話がありますが、rust(さび)から「自由」、つまり、さびがつか「ない」(訳すと「さび知らず/さびません」)という意味です。

 このように、「無」も“free”も一緒に使われることばによって、意味が変わってきます。ことばの結びつき方は自由度が高くて、ルールにすると複雑になりますよね。

2. 「文法」とは何なのか

2.1 ことばのルール

 では、その「文法」というのは何でしょうか。事典で、いやネットで調べる前に、まず自分のことばで考えてみましょう(これが大切です)。

 いろいろな言い方があるかもしれませんが、共通して言えるのは、「文法」とは、「ことばのルール」であるということではないでしょうか。
 しかし、このルールはサッカーのルールとはちょっと違いますね。サッカーの1チームは11人です。ボールをけって相手のゴールに入れます。手を使ってはいけません。決まった時間内に、たくさんゴールにボールを入れた方が勝ちです。その他にも「ボールがフィールドの外に出てはいけない」、「自分より前の人にパスしてはいけない」など細かいルールもありますね。
 これらのルールは、サッカーをしていたらいつの間にかこのようなルールになった・・・というわけではなく、このような複数のルールを前提としてサッカーの試合が行われるわけです。このようなルールは「演繹的(deductive)規則」といわれ、数学の法則も、音楽の規則も、法律も、同じように「このようにしましょう」とあらかじめ決めておくルールです。

 文法―ことばのルール―は、これとは違います。ことばの場合は、観察から構築された記述的なルールで、文法は「帰納的(inductive)規則」といわれます。つまり、まず先にことばがあって、あとからその仕組みや使われ方(語の形や並べかた)のルールを見つけたものです。「こうしなければならない(規範的)」ルールというより「こうなっている(記述的)」というルールです。

 ですから文法には、複雑な規則や例外が多いのです。先ほどの「無」や“free”と他の語との結びつきもそうですし、他にも、複合語が連濁(れんだく)するかどうか(する:てまきし・かぶしきいしゃ、しない:めいよいいん・にほんごいわ)や自他動詞のペア(deru:dasu, kawaru:kaeru)のルールも(作ろうとしたら)かなり複雑になります。「ト・バ・タラ・ナラ」の使い分けも複雑で例外が多く、学習者も教師も苦労していますね。

 「文法」は“法則”(ぜったいこうである)というより”傾向”(だいたいこうなる)のようなものなので、例外をなくそうとするとすごく複雑なルールになってしまうのです。

2.2 語彙と文法と…

 文は語からできています。語を並べて文ができます。どうやって語を並べるかのルールが文法という理解が一般的です。たとえば、

 [名詞]ガ[動詞]バ、[名詞]ガ[動詞]。

という文型の例文としては、

  • 天気がよくなれば、富士山が見える。
  • 宝くじが当たれば、家が買える。
例文を指し示すイクタン画像

というのがありますね。

 [ ]の中には名詞や動詞に分類される語彙(語のグループ)が入ります。どんな語彙をどのように並べて文を作るのかというのが「文法」(ルール)です。つまり、ヨコ(並べ方 syntax)とタテ(語彙 paradigm)の組み合わせで文ができているという考え方が一般的です。

 もちろん、[ ]の中に入る語彙(名詞、動詞等)は何でもよいわけではありません。例えば、上の例文の場合、「見えた」、「買えた」のようなタ形にはなりませんし、「天気」と「よくなる」や「宝くじ」と「当たる」の組み合わせも自由に換えられるわけではありません。

 「犬も歩けば棒に当たる」ということわざがあります。いつ幸運/不運なことがおこるかわからないという意味の文です。「犬が歩く」が「棒に当たる」の条件である場合、「ト・バ・タラ・ナラ」のどれでもよさそうですが、実際には、「歩けば」と言うしかありません。これはことわざで、言い方が決まっていて、音の調子も大切だからです。

 このように、ことばは「決まり慣習」と言うしかない面も持っています。慣用句というものがありますが、それに限らず、わたしたちが使っていることばそのものが、多かれ少なかれ慣用的だということが言えるでしょう。
 このような点から、「文法」というものは本当にあるのだろうか、という問いかけが意味あるものになってくるのです。
 わたしにもはっきりした答えはわかりませんが、みんなで考えてみませんか。

3. 文法書と文法練習

 「ト・バ・タラ・ナラ」や「ハ・ガ」の使い分けについて、使い方に迷ったとき、あるいは詳しい説明がほしい時、文法書はある程度役に立ちます。“ある程度”です。

 文法は観察されたルールです。文法書には意味や用法の詳しい説明が載っていますが、これはそのルールを観察して調べた人の観点によるものです。つまり、他の人が調べて解釈したことですから、それを読んで理解して覚えるのはやさしいことではありません。

 また、文法は練習すれば上達するという考えもありますが、これも“ある程度”です。文法の練習問題として出されるものは、答えが決まっているものなので、はっきりひとつの答えに決められない日ごろの疑問には答えられないこともあります。

 ですから、何か文法的な問題に出会ったときに、自分で考えるクセをつけておいた方がよいと思うのです。「ト・バ・タラ・ナラ」や「ハ・ガ」の使い分けのルールは何かと考えるより、なぜその使い分けが日本語では問題になるのか、他の言語ではどのようにあらわしているのかを考えると、より広い視野からことばが見えてくるのではないかと思います。

 そんなことを考えるヒントとして、このコーナーが役に立てればと願います。

読書案内

  1. (1)『メンタルコーパス―母語話者の頭の中には何があるのか』J.タイラー(2017)(西村義樹編訳、くろしお出版)
    文法書(統語)と辞書(語彙)から言語を習得するという見方に反し、母語話者の言語の知識はコーパス(言語資料体)のように頭に蓄えられていると論じた書です。
  2. (2)『日本語文法ハンドブック』スリーエーネットワーク
    「初級を教える人のための」と「中上級を教える人のための」の2冊あります。日本語教育上問題になる文法事項についてわかりやすくまとめられています。文法の知識を整理するために役立つと思います。

(生田 守/日本語国際センター専任講師)

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