日本語教育通信 日本語からことばを考えよう 第8回

日本語からことばを考えよう
このコーナーでは、日本語に特徴的な要素をいくつか取り上げ、日本語を通してことばをとらえなおす視点を提供します。

【第8回】時間とことば(3)テンス・アスペクトと日本語

「筆者のイクタンです」の吹き出し付きの筆者イクタンのアイコン画像

 みなさん、こんにちは。

 このコーナーでは、ことば―言語―というものはどんなものなのか、どうやってとらえたらいいのかを、日本語ということばを通じて考えていきたいと思います。


 明日、何かいいこと(それともちょっと不安なこと)がありますか。
「明日」は、今日の次の日ですが、「明日の社会を考える」というように、明日に限らない未来のことも意味しますね。「明日への希望」、「明日は我が身」、「明日のことを思いわずらうな」などの表現も未来のことを表していると思われます。
明日という語や未来という感覚は、人間にとって社会や文化を超えたユニバーサルなものではないでしょうか。また、このような観念があるからこそ、将来への希望とか不安といったものも私たちにはあるのでしょう。
うちにはネコが3匹いますが、明日のエサのことなど将来の不安について考えている様子は見えません(違ったらごめんなさい)。
ことばがあるから観念や概念(アイデア)が生じるので、ことばを持つ人間だけが将来のこと(例えば「死」)について考えることができるのですね。

1. 日本語のテンス・アスペクトとは

 前回、テンス・アスペクトとは何かについてお話ししました。
テンスとは現在・過去・未来のことで、時間的な位置において行われた出来事を動詞の形(conjugation)でどのようにあらわすのかがテンスということでした。これは、文法の用語であって、人間ならばみんなが持っている時間の感覚とは別に考えるものです。
日本語のテンスと言われているものがスルとシタで、おおまかに現在と過去を表すとされています。しかし、そんなに簡単にはいかないというお話をしました。
実は、今回お話しする日本語のアスペクトについても、同じような問題があるようです。「…ている」という動詞句がありまして、ふつうはこれがアスペクトの形式と考えられているようですが、本当にそうなのでしょうか。今回はそのような問題についても考えていきましょう。

2. 日本語のテンス

2.1 未来テンスと日本語

 日本語には未来形という特別な形はありません。つまり未来テンスはないということになります。これはもちろん、日本語を母語とする人たちに未来というアイデアというか感覚がない、ということではありません。

旅行に行く筆者イクタンのイラストと「明日 or 毎年12月」の文字の画像

 「明日、旅行に行きます」と言えばたしかに未来のことですが、「毎年12月に旅行に行きます」(習慣)と言うと、動詞の形は同じですが、意味は未来ではないですね。つまり、「明日」か「毎年」かという時を表すことばによって、意味が変わってくるということです。
また、「旅行に行くつもり/予定です」という言い方で未来を表しますが、これは動詞そのものが変化するのではなく、「つもり」「予定」などの予定を表す表現を使っているにすぎません。
「旅行に行くでしょう」はどうでしょうか。
「でしょう(だろう)」は動詞の変化形の一部ではなく「不確かなこと」を表す語(助動詞)が付いた形で、テンスではありません。
このようにみてくると、日本語に未来テンスというものはなさそうですね。

2.2 スル形が示すのは現在?未来?

 「走る」、「食べる」のような日本語の動詞の基本的な形(スル形(あるいはル形)と言ったりしますが)は多くの場合まだ起きていないこれからのこと(つまり未来)や習慣を表すというお話をしました。
「習慣」とは目の前で起きている現実のことではなく、「そういうことになっている」ことを表しています。
以下の例を考えてみましょう。

  • 毎日、10キロ走ります。
  • ふつうは12時に寝ます。

「走る」「寝る」という出来事が、今日のことなのか、昨日のことなのか、明日のことなのか特定することはできません。また、目の前で起きていることでもありません。「毎日」や「ふつう」は実際のことというより、予定というか「いつもはそうしているし、今後もそうだ」というような意味合いで使われていますね。つまり、くり返す出来事として「いま・ここ」ではないこととして語られているわけです。習慣というのは、だから、現実の領域とは違うところ(非現実領域)、つまり現在のことを表しているとはいえない、と考えられています。

 発話している時が現在だとすれば、はっきりと現在を表しているといえるのは、以下のような、知覚や状態を表す動詞でしょう。

  • きれいな景色が見えます。
  • 鳥の声が聞こえます。
  • よくわかります。
  • たなのうえに本があります。

 では、スル形はどんな時に使うのでしょうか。以下の例を考えてみてください。

  • オータニは、投げる・打つ、ともにすごい!
  • 雨には打たれる、ケータイはなくす…散々な旅行でした
  • ゲームばかりしてないで、さっさと宿題やる!

 スル形は何を伝えているのでしょうか。
発話現在のことを伝えたいときはどうすればいいのでしょうか?
この問題に答えるために、もう少しアスペクトについて考えてみましょう。

3. アスペクトと日本語のテイル形

 アスペクトは出来事内部の時間的な性質(姿)をあらわしていることについては前回触れました。
私たちは日常生活の中でいろいろなこと(仕事・タスク・活動)をします。
会話の中では、あるタスクが終わったか(完成性)、いつもそのタスクをするのか(反復性)、今そのタスクをしているか(継続性)などが問題になってきます。

家族に聞かれて急いで風呂掃除をする人のイラストの画像

  • 「お風呂の掃除してくれた?」
  • 「あ、ごめん。まだやっていないんだ。」
  • 「もう、いつも忘れるんだから。」
  • 「今やっているよ。(いつもは、やっているんだけどな)」

 「いつする(した)か」というテンスとはまた異なった時間的意味を持っているというお話でしたね。

3.1 日本語のテイル形

 アスペクトが動詞の形に表れている言語では完了形が現在・過去・未来に表れるようです(現在完了、未来完了等)。そういう言語では、出来事が完了しているか、まだ完了していないのか、というのが動詞の形に表されているのですね。
またこれは、出来事が継続しているか(未完了)、不継続(完了)なのか、ということでもあります。例えば、英語には、

  • She is dancing in the moonlight.

というように、動作の継続を表す形(進行形)があって、これも未完了のアスペクトを表しているといってよいでしょう。
アスペクトでたいせつなのは、未完了/完了あるいは継続/不継続の対立です。 ちょっと難しいことばを使いますが、不完結相imperfective/完結相perfectiveという語でまとめておきますね。
日本語には、テイルという動詞の形がありますね。

  • 雨が降っている。
  • 今お昼を食べています。
  • おもてでだれかがさけんでいる。

以上の文は、上の英語の例文同様、動作が継続(進行)している様子を表しています。アスペクトとしては…そうですね、不完結相imperfectiveにあたります。
「そうか、日本語のテイル形は英語の進行形(V-ing)みたいなもんだ」と英語を習いたての頃思ったものでした。
では、次の例はどうでしょう。

  • 木が倒れています。
  • 犬が死んでいます。

 どんな意味でしょうか。「あ、大変だ。風で木が倒れそうだ、逃げないとやばい!ほらもう木がこっちに向かって…」、「かわいそうにこの犬苦しそう。もう死んじゃうよね…」という感じでしょうか?違いますね。木はすでに倒れているし、犬はすでに死んでいますよね。それを今見ているわけで。
これらはすでに完了していて、動作が継続しているわけでもない、つまり完結相perfectiveにあたるというわけです。
つまり、同じテイル形が(動詞の種類によって)正反対のアスペクトを持つということでしょうか?
アスペクトというものが動詞の変化をともなうものだとすれば、不完結相imperfective完結相perfectiveは別の形でなければなりませんね。ところが日本語ではアスペクトとして対立している二つの意味に同じ形が使われているのです。完了には完了形、未完了には未完了形のようになっていなければ、アスペクト形式としてはどうなのでしょう。
このように完了性perfectivity(完了かどうか、完結かどうか)において正反対の意味を持つテイル形がアスペクト形式といえないのではないか、ということは、国語学者の尾上圭介氏によって論じられています。

3.2 日本語テイル形と日本語のテイル形

 日本語国際センターには世界中から日本語の先生たちがやってきますので、私もいろいろ教えていただきます。
日本語のテイル形と似た形を持つ言語があることも教わりました。私の知る範囲では、モンゴル語、キルギス語、韓国語(いずれもアルタイ系)などがそうです。
日本語教師のジャナルクルさん注1によると、「生徒が走っている」はキルギス語では、

  • Okuuchu churka-p jat-a-t.
    生徒 走る‐語幹 JAT‐現在

というそうで、JATの部分が「進行」を表します。「雨が降っています。」「お昼を食べています。」のような文にもJATが使われます。
ところが「電気がついています。」と言いたいとき、

  • Jaryk küï-üp jat-a-t.
    電気 つく‐語幹 JAT‐現在

と言うと、「電気がつくところです、つこうとしています」のような意味になってしまうそうです。日本語の「電気がついています。」の意味で言うなら、

  • Jaryk küï-üp tur-a-t.
    電気 つく‐語幹 TUR‐現在

と言わなければならないそうです。
つまり、キルギス語では進行の表現JATと状態(結果残存)の表現TURは異なっているということですね。それならば、キルギス語には完結相と不完結相というアスペクト形式があるのだと言って差し支えないでしょう。

 例文は紹介しませんが、モンゴル語でもほぼ同様ですし、進行を表すテイルのような形式はアルタイ系の言語にも見られ日本語だけではないものですが、進行と結果残存(不完結相と完結相)が同じ形式なのは日本語だけ(かもしれません)です。

統語構造が似ている韓国語でも、進行と結果残存の表現は異なるようです。

4. ふたたび日本語のテンス・アスペクト

 意味的に正反対のアスペクトを持つ日本語のテイル形をアスペクト形式と言ってもいいのでしょうか。もしアスペクト形式でないとしたら、何なのでしょうか?
アスペクトというものさしが使えないなら、ほかの方法で考えてみましょう。

  1. A走っています/食べています[進行・未完了・継続・不完結相・imperfective
  2. B倒れています/死んでいます[結果残存・完了・完結相・perfective

AとBは、アスペクトでは正反対のカテゴリーにはいりますが、二つに共通する意味は何でしょうか。
共通するのはどちらも「いる」が入っていることです。「いる」は「いま」のことを表します。今の状態を伝えます。「ここにいます/ありますよ」ということを伝えます。進行であれ結果残存であれ、今ここでの出来事を目の前に見せています。浅利誠注2氏は「ほら、ごらんのように」という表現を見事に用いています。スル形ではうまく伝えられなかった発話時現在を伝えていますね。


 日本語のこれら(テイル、スル、シタ)の形式はテンス・アスペクトというより述べ方の種類(述定形式)であると尾上氏は述べています。
テンスやアスペクトがもともと印欧語を分析する手段だったということは前回の記事で少し触れました。今は日本語学ですっかり定番となったテンス・アスペクトですが、印欧語分析の手段をそのまま日本語に当てはめると、このようにおかしな部分も出てきてしまいますね。
しかし、ほかの言語と比べたりするときは、やはりテンスやアスペクトのような文法のことばは便利です。なので、おおよその意味で使って、日本語の特徴を見失わないようにしましょう。


 今回のお話はどうでしたでしょうか。少しわかりにくいことばが出てきたり、内容を理解したりするのが少し大変だったかもしれません。文法のことばは分析したり考えたりするのに便利なときに使えばよくて、無理やり当てはめる必要はない(当てはまらない場合もある)ということをお伝えしたかったのです。この機会に、みなさんの言語では時間をどう表現するか、テンスとアスペクトの枠組はどのようになっているのかなどについて考えてみたらおもしろいのではないかと思います。

考えよう

考えるイクタンの画像

  1. (1)「走っています/食べています」と「倒れています/死んでいます」に使われている「て」の意味用法は何でしょうか。
  2. (2)みなさんの言語では二つのアスペクト(完結相・不完結相)はどのように表現しますか。動詞は変化しますか。動詞に何かがくっつきますか。副詞などを使いますか。
  3. (3)2.2の最後にあるスル形の用法を考えてみましょう。

読書案内

  1. (1)尾上圭介(2001)『文法と意味Ⅰ』くろしお出版
    日本語の文法の特徴(テンスやアスペクト等)を国語学的に分析しています。
  2. (2)金田一春彦(編)(1976)『日本語のアスペクト』むぎ書房
    アスペクトに関する古典的論文「日本語動詞の一分類」が含まれています。
  3. (3)庵功雄・清水佳子(2003)『日本語文法演習 時間を表す表現-テンス・アスペクト-』スリーエーネットワーク
    日本語のテンス・アスペクトに関する学習者向けの道案内です。練習問題が豊富です。

注:

  1. 1.TALAIBEK kyzy Janarkul(2007)「日本語の「V-テイル」に対応するキルギス語の「V-jat」のアスペクト的な意味用法をめぐって」『日本言語文化研究会論集』第3号(pp.305-334)日本言語文化研究会
  2. 2.浅利誠(2020)「言文一致とテイル 将来の日本語文法のための序説」『季刊iichiko Autumn 2020』pp.18-28

(生田 守/日本語国際センター専任講師)

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