日本語教育通信 日本語からことばを考えよう 第9回

日本語からことばを考えよう
このコーナーでは、日本語に特徴的な要素をいくつか取り上げ、日本語を通してことばをとらえなおす視点を提供します。

【第9回】時間とことば(4)文章のなかの時間表現-ル/タ形-

みなさん、こんにちは。

このコーナーでは、ことば―言語―というものはどんなものなのか、どうやってとらえたらいいのかを、日本語ということばを通じて考えていきたいと思います。

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スラムダンクの映画(THE FIRST SLAM DUNK)を観てきました。原作のマンガを読んだこともないし、バスケにも全く興味がなかったのですが、とてもいい映画で楽しむことができました。ボールのはずむ音やプレーヤーの息づかいなどがリアルで、まるでゲームの中に入ったかのようでした。また、ポイントガードの宮城リョータの物語を織りまぜてストーリーを深めていたと思います。

みなさんは映画が好きですか?マンガは?物語は?小説は?

前回までは、テンス・アスペクトについて考えてきましたが、それは主に文の中でル・タ・テイルがどのように使われているかについてでした。つまり、文レベルにおける時間表現についてでした。

今回はもう少し視野を広げて、文章の中での時間表現について考えてみたいと思います。
むずかしい漢字が多いときは、「ひらひらのひらがなめがね」をご利用ください。

1. 文章(text)の中の-ル /タ形-

文章には様々なジャンル(genre)がありますが、今回はストーリー、つまり出来事が次々に語られるタイプの文章について考えます。このタイプ(text type)には物語や小説があります。

さて、うちにはどんな本があったっけ…
というわけで、『塩狩峠 (しおかりとうげ)』(三浦綾子 (みうらあやこ)、新潮文庫 (しんちょうぶんこ))という小説などを例に考えてみます。

2. ナラティブ(narrative)というテクストタイプ

物語や小説では、ある人物が経験した出来事が次々に述べられていきます。作者が作中の人物に起きる出来事を述べる部分と作中人物の会話の部分に大きく分けられます。作中の出来事は、すでに起きた出来事を述べるので、過去を表す表現が使われます。そして、日本語では過去を表す表現はタ形を使いますね。では、例文をみて確認してみましょう。

――そのうちに、白雪姫は、大きくなるにつれて、だんだんうつくしくなってきました。お姫さまが、ちょうど七つになられたときには、青々と晴れた日のように、うつくしくなって、女王さまよりも、ずっとうつくしくなりました。ある日、女王さまは、鏡の前にいって、おたずねになりました。
「鏡や、鏡、壁にかかっている鏡よ。国じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」

(出典:『グリム 白雪姫』菊池寛訳

出来事が次々に語られる部分(主にタ形;そのうちに、白雪姫は、~おたずねになりました。)と、会話の部分(「鏡や、鏡、壁に~いっておくれ。」)からできているのがわかりましたか。このようなタイプの文章がナラティブの典型的なものとなります。

3. -ル形- がまざる文章

ところが、すでに起きた出来事を、タ形を使って、次々と語っていくなかで、ル形が入ってくることがあります。ル形は現在、習慣、まだ起きていないことを表しますね。なので、過去の出来事を言うのにはふさわしくない表現のように思えます。このような表現は歴史的現在(historical present)とも呼ばれたりします。ではいったいどんな時にこの用法が使われるのでしょうか。また、なぜこのような表現が使われるのでしょうか。

それでは、『塩狩峠』から次の文章を読んでみましょう。

――雪原に影を落として汽車は走っていた。汽車の煙の影も流れるように映っている
信夫は白く凍てついた窓に息を吹きかけた。窓が滲んだ。二度三度息を吹きかけると、窓は小さく丸く解けた。トドマツやエゾマツの樹氷が朝の陽に輝いている

(出典:『塩狩峠』三浦綾子、新潮文庫、p.410)

「走っていた」はテイル+タですから、過去における不完結相imperfectiveでしたね。ここでは、過去において「今、走っているところ」ですね。そして次の「映っている」はなぜタ形ではなくル形なのでしょうか。

「吹きかけた」「滲んだ」「溶けた」は「信夫」が起こした出来事が時間の順番に従って、タ形によって語られています。次の「輝いている」はなぜル形なのでしょうか。

これは文レベルにはなかった文章レベル(text level)での問題です。

「映っている」は走っている汽車の煙の様子についての文ですね。また、「輝いている」は汽車の窓の外の様子です。これは出来事が起きていく中で、その背景を表しているように思いませんか?

あるいは、作中人物が体験している出来事を読者も自分の目の前で見ているような感じがしませんか?

もしもですが、「映っていた」「輝いていた」としたらどうなるでしょうか。「文法的に」おかしな文章にはなりません。でも少し違った感じになりませんか?どちらでもよさそうですけど、作者は一字一句にこだわりますから、ここはあえてタ形ではなく、ル形を使ったはずです。どうしてでしょうか?どんな表現効果があるのでしょうか?これからその効果を一つずつみていきましょう。

3.1 迫りくる描写

この小説では、作者が作中人物に起こることを外から見ているように描いていきます。同時にわたしたち読者も、作中人物や出来事を外から見る感じですね。そして時間に沿って次々に出来事を見ていくことになります。この時にタ形が使われています。その中にル形が混ざる次の例文をちょっと見てみましょう。

――信夫は渾身の力をふるってハンドルを回した。だが、なんとしてもそれ以上客車の速度は落ちなかった。みるみるカーブが信夫に迫ってくる。再び暴走すれば、転覆は必至だ。次々に急勾配カーブがいくつも待っている

(出典:『塩狩峠』三浦綾子、新潮文庫、p.420)

主人公の信夫が、坂を転げ落ちようとする客車を必死で止めようとするクライマックスシーンです。
ブレーキのハンドルを「回した」けれど、スピードは「落ちなかった」。そして、信夫の視界には線路のカーブが「迫ってくる」、さらに急な坂のカーブが「待っている」。

「迫ってくる」「待っている」というところで、作者は主人公信夫の視点に身を置きます。わたしたちも同様に信夫と同じ場面や状況に入って、同じ体験をするような感覚を味わうことができますね。

このようにナラティブの中にル形/現在形を使うことによって、生き生きとした描写が生まれます。

3.2 背景描写

脚本(劇の台本)を読んだことがありますか?

主にセリフ(科白、台詞)が書いてありますが、台本には場面や状況を説明するためのト書きという部分もありますね。例えば;

――時は秋、場所は森。アリスがある木の根本で眠っていると、妖精が現れ、アリスの周りをひらひらと踊り出す。

(出典:『不思議の国のアリス ミュージカル版/ALICE IN WONDERLAND: DREAM-PLAY』Lewis Carroll & Henry Savile Clarke、大久保ゆう訳

ここでは、主にル形が使われています。まだ何も出来事が起きていない状況ですね。この時のル形は現在というより、時間から切り離された感じの表現効果を生み出します。

この小説にも、このような用法が見られます。いくつか例を見ていきましょう。

(1)部屋の様子

ここはさきほどのト書きのような箇所です。

――吉川の家は部屋の隅々まで、なめたように掃除がしてある。玄関の下駄も飾ってあるように、きちんとぬいであって、決して乱れていることはない

(出典:『塩狩峠』三浦綾子、新潮文庫、p.93)

(2)人物描写

信夫の母である菊の様子です。ル形が使われていますね。

――菊の呼ぶ声がした。澄んだ声である。いちょうの木の上に登っている信夫と吉川修には、縁側に立っている菊のすらりとした姿が見える。菊は方角ちがいの方を見て呼んでいる

(出典:『塩狩峠』三浦綾子、新潮文庫、p.86)

菊は美人という設定ですが、どんな美人なのかについては詳しく書かれていません。ここでは菊の声や容姿について背景的に描かれています。

(3)作中人物の心中

作中の人物が思ったり考えたり感じたりしていることは、ふつう、会話文の一部となります。次の例文は会話文ではありません。つまり、作者が述べている部分です。

――おもゆをだれかに食べさせてもらったような気がする。医者がきて何か言っていたような気もする。寝まきを取りかえてもらったような記憶もかすかにあった。のどがひどく痛んだのだけはおぼえている

(出典:『塩狩峠』三浦綾子、新潮文庫、p.141)

信夫が風邪でたおれた時の心の中の出来事ですが、ル形が使われていますね。ここは信夫のひとりごとではありませんが、作者が作中人物とかさなって、人物の内側から書いているようなかっこうになりますね。

(4)景色の描写

景色もストーリー中の背景として、ル形で描かれます。

――犬の顔にみえていた雲が、秋の風に見る間に形を変えて流れる。少しの間も雲は同じ形ではなかった。たしかにそこに流れていた雲が、いつの間にか消えて跡形もなくなったりする

(出典:『塩狩峠』三浦綾子、新潮文庫、p.262)

「流れている」(あるいは「流れていた」)と言わないで「流れる」と言ったのはどうしてでしょうか。また、2番目の文で「なかった」とタ形になるのはなぜでしょうか。こうしたことを考えながら読んでみるのもおもしろいと思いませんか。


どうでしたか?

自分が汽車の下敷きになって、汽車を止めて、乗客の命を助けた人をモデルにした『塩狩峠』という小説から、ル/タ形がどのように使われているかについて考えてみました。

文章の中では、かんたんに[ル形=現在/タ形=過去]というわけにはいかないことがおわかりいただけたと思います。文レベルで考えていたル/タ形の意味用法だけではとらえられないものが、文章レベルになると出てくるようです。
また、これは文法だけではなく、作品を味わうためにもとても大切な問題ではないでしょうか。ふだんから何気なく小説や物語を読んでいますが、「ここはタ形ではなくル形を使っている。作者の意図は何だろう?」と考えると作品の味わいも深まりますよね。

今回は身近にある小説や物語から、文章レベルの時間表現について考えてみました。次回は、少し言語学的な観点からお話ししてみようと思います。

それでは、また!

考えよう

  1. (1)文章にはいろいろな種類のものがあります。物語や小説のほかにどんな種類の文章がありますか。
  2. (2)それぞれの文章はどんな特徴を持っているでしょうか。例えば、文法・文型・表現などにどんな特徴がありますか。
  3. (3)みなさんの知っている言語ではどうですか。日本語と似たところ/違うところは何ですか。
考えるイクタンのイラストの画像

(生田 守/日本語国際センター専任講師)

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