日本語教育通信 海外日本語教育レポート 第17回

海外日本語教育レポート
このコーナーでは、海外の日本語教育について広く情報を交換したり、お互いの交流をはかるために、各地域の新しい試みやコース運営などについて、関係者の方々に具体的に紹介していただきます。

【第17回】スウェーデン王立工科大学(KTH)の国際プログラムの紹介
日本語教育と専門分野で日本の大学と連携

スウェーデン王立工科大学言語コミュニケーション学科
専任講師 高宇ドルビーン洋子

高宇ドルビーン洋子氏The Royal Institute of Technology
Section for Languages and Communication
Lecturer
 Yoko Takau-Drobin

1.はじめに

 王立工科大学(英語名、The Royal Institute of Technology, スウェーデン名、Kungliga Tekniska hogskolan, 以下KTHと省略)はスウェーデンの首都ストックホルムにある理工学系の大学である。130年の歴史があり、現在学生数は12,000名、教職員 3,100名である。

 KTHでは、職業教育としての5年制の理工学学士修士の一貫教育(以下、理工学修士号プログラムと呼ぶ。)を主に行なっている。理工学修士号プログラムは従来4年半のプログラムだったが、2007年度から、ヨーロッパ共同体(EU)内での大学教育の交流を進めるボローニャ体制に沿って、学士3年修士2年の5年制となった。(注1参照)

 KTHは理工学専門の大学ではあるが、言語教育も盛んで、交換留学生のためのスウェーデン語を始め、英語、ドイツ語やフランス語などを選択科目として教えている。日本語も1980年代から選択科目の一つに加えられている。選択科目としての外国語は一学期14回(週一回×14週)の授業で一コースとなっている。

2.日本語教育の歴史と現状

 筆者が前任者から日本語コースを引き継いだ1997年には、日本語は一年に一コースだけだった。この「日本語および日本事情」という名称の初級日本語コースは、翌年からは一学期に一コース、年に二回に増えた。4年後の2001年から日本語学習の継続を望む学生の要望に応えて、初級日本語2のコースを開設した。

 その後、日本語学習のさらなる継続を望む声は徐々に大きくなっていったが、これは諸々の事情で実現されなかった。

 この状況は、2004年に化学工学部が化学工学修士号国際プログラムを立ち上げたことによって変わった。国際企業が化学工学技術者に求めている国際的な視野や異文化体験を卒業生に与えるという、キャリアデザインを目的として始められたこの国際プログラムは、5年制の理工学修士号プログラムに、言語文化学習を副専攻として織り込んだもので、化学工学ではスウェーデンで初めての試みである。修了時に、学生たちには化学工学修士号に加えて言語学習と異文化体験に関する修了書が授与される。2006年秋からはさらに情報工学とマイクロエレクトロニックの二つの国際プログラムができ、2008年秋にはコンピューター工学もこのプログラムに参加することになっている。

 日本語はフランス語、ドイツ語、スペイン語と中国語とともに、副専攻言語として選ばれ、国際プログラムのカリキュラムに沿って、レベルを二つ増やし、4つのレベルを持つこととなった。(表1参照)現在日本語は中国語とともに、最も人気のある副専攻言語となっている。

表1 化学工学国際プログラム 日本語副専攻コースデザイン
学年 秋学期(8月~12月) 春学期(1月~5月)
化学工学基礎 化学工学基礎
初級日本語1
化学工学基礎 化学工学基礎
化学工学基礎 化学工学基礎
初級日本語2
(修士レベルでの専攻選考)
化学工学専攻講座履修
初級日本語3
化学工学専攻講座履修
中級日本語
留学(日本語学習と修士論文研究) 留学(日本語学習と修士論文研究)

初級日本語1の自作教材の写真
初級日本語1の自作教材

3.日本語のコースデザインとカリキュラム

 現在KTHでの日本語コースは4段階のレベルを有する(表2参照)。この日本語コースのコースデザインの特徴は、レベル1とレベル4のコースにある。

 レベル1のコースでは表1にあるように日本語は50%の割合しか占めていない。1997年にこのコースの新しいコースデザインを考える際に指針としたのは、このコースでしか日本語を学習しない学生に、終了後何が長く残るかということであった。結論として、始めに日本語の構造をスウェーデン語と比較しながら教えることを日本語部分の中心とした。このコースデザインはその後続きのコースができたことと、学生の日本語を話せるようになりたいという希望によって、自己紹介を中心とした運用練習を含むようになった。しかし、この基本文法の授業は、日本留学中の学生にしたインタービューで、留学中の日本語学習の支えになっていると聞き、その必要性を再確認した。このコースの日本事情の部分では、表2にあるように、日本に関する基礎知識を歴史、宗教などの項目に分けて教えている。

表2 KTHにおける日本語講座
レベル 講座名、ポイント数 内容
初級日本語1
日本語及び日本事情
Japankunskap
6ポイント
50%日本事情
歴史、宗教、政治、経済等
50%日本語
音声、表記、基本文法と挨拶、自己紹介
初級日本語2
Fortsättningskurs1
6ポイント
「げんき」5-10課
スウェーデン語日本語間の翻訳、聴解
初級日本語3
Fortsättningskurs2
9ポイント
「げんき」11-18課
スウェーデン語日本語間の翻訳、聴解
中級日本語
Teknisk japanska, mellannivå
9ポイント
初級文法まとめ
スウェーデン語日本語間の翻訳、聴解、理工学用語の習得、研究室での会話練習

使用教科書
坂野永理他『げんきⅠ、Ⅱ』ジャパンタイムズ
ここでのポイント数はECTSEuropean Credit transfer and Accumulation System)と同じで、通常一年で60ポイントに相当するコースを取得する。詳しくは下記のホームページ参照。
http://ec.europa.eu./education/programmes/socrates/ects/index_en.html

 レベル4の「中級日本語」はこの春学期に初めて開講される。ここでは、日本での中級レベルの学習の橋渡しとなる文法事項の提示と、修士論文研究中に必要となる生活面での場面シラバスの運用練習を行う予定である。

 筆者は2007年夏、日本語コースのコースデザインとカリキュラムを再検討するために、国際交流基金日本語国際センターの海外日本語教師上級研修に参加する機会をえた。センターの専任講師の方々や日本の協定校の日本語教師の方々の助言や協力によって、各コースと国際プログラム日本語副専攻の修了時の日本語能力の目標を定め、それに沿って新しいコースデザインを構成することができた。

 ここでは、コース4「中級日本語」(日本留学開始時)とプログラム修了時の目標を、例としてあげる。なお下記に掲げられているA2、B1という記号は先に述べた、ボローニャ体制の一部として提唱されている「外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠(CEFRと省略される)」の中からとられている。(注2参照)

コース4「中級日本語」の目標

  • 日常会話でのはっきりしたメッセージやアナウンスを理解できる。(聞く、A2)
  • 自分の専門分野の言葉で書かれた短い文章から事実を引き出し、それをスウェーデン語で伝達できる。また感情、希望が表現されている私信を理解できる。(読む、B1)
  • 身近な話題や活動について話し合いができる。また短い社交的なやり取りができる。(会話、A2)
  • 簡単な方法で語句をつなぎ、自分の経験や出来事、夢や希望を語ることができる。また自分の意見や計画の理由を説明できる。(話す、B1半分)
  • 私信で経験や印象を書くことができる。また関心のある話題に関して、簡単な文を書くことができる。(書く、B1)

国際プログラム修了時の目標

  • 仕事、大学等でなされる身近な話題について、明瞭な話し方の会話なら、要点を理解できる。また、話し方が比較的ゆっくり、はっきりしているなら、自分が関心のある話題に関してのラジオ、テレビ番組の要点を理解できる。(聞く、B1)
  • 自分の専門分野に関する文章を理解し、スウェーデン語に翻訳できる。時事問題に関する記事や報告の要旨(大意)が理解できる。(読む、B1+1、B2)
  • 日常生活に直接関係あることや個人的な関心事について、準備なしで会話に入ることができる。例えば旅行中などに起こりやすい状況に対処できる。(会話、B1)
  • 物語を語ったり、映画や本の粗筋を話し、それに対する自分の感想、考えを語ったりできる。(話す、B1)
  • 自分の専門分野内で、興味関心がある話題なら、明瞭で首尾一貫性のある文章を産出できる。(書く、B2)
  • 生涯学習である言語学習と異文化理解を行える自立した学習者を目指すための、重要なツールである、自己評価能力を持つ。

4.協定校との連携

 国際プログラムを立ち上げるに際して重要事項となったのは、日本の協定校に協力を依頼し、修士論文のための研究の場と日本語の継続学習の機会を確保することだった。KTHは以前から日本に6,7校の協定校を持ち、学生交換も盛んになってきていたが、国際プログラムの学生交換は従来の学生交換以上に、協定校の強い協力が必要となる。

 2007年6月まで4年間KTHの国際課で、日本との交流プロジェクトを担当していた関係で、筆者は国際プログラムの計画時から、日本の協定校との交渉連絡等に携わってきた。準備期間中多くの時間を費やしたのは、日本と北欧の高等教育のシステムの違いをお互いに認識しあうことだった。例えば、北欧の大学での修士論文は6ヶ月で完成されることが求められる。(実際は4ヶ月前後の実験実習に2ヶ月程度の執筆作業が加わり、延長されることは珍しくない)このような事情は、北欧からの学生を指導したことがない日本の大学教授達にはなかなか理解されにくい。この問題は、KTHの教授達が、同じ専門分野の日本の教授と直接会って、完成した論文を提示しながら修士論文のシステムを説明することで、解決しつつある。

 日本語学習に関しては、2005年から日本の協定校に国際プログラムの開設を知らせ、日本語学習の継続の可能性を検討してもらった。そのうち東京大学大学院工学系研究科国際交流室、東北大学工学部工学研究科国際交流室と東京工業大学留学生センターには、筆者が訪問し授業を参観されてもらったり、日本語担当教師の方々にコースデザインやカリキュラムの内容の比較検討をしてもらったりした。上級研修の際も、この三大学の日本語教師の方々に、国際プログラム修了時の日本語能力の到達目標の妥当性を検討してもらった。

5.今後の課題

 国際プログラムは2008年に5年目を迎え、化学工学の第一期生が日本留学を開始する。この学生たちは日本語学習と修士論文研究の両面で協力関係が最もよく確立している上記の三大学に留学させるよう準備中である。特に東京大学工学系研究科の日本語教室には、前出のCEFRを使って日本語運営能力を事前調査した当大学の学生が2007年現在数名留学中で、今後はこの学生たちの日本語学習の成果を追跡調査する予定である。この調査はさらに2008年に、国際プログラムの第一期生にも行うことにしている。

 さらに今後の課題としては、それぞれのコースの目標に沿って、カリキュラムとコースシラバスを再検討すること、また言語学習修了書の基となる日本語能力を判定する試験の制作や、国際プログラムの学生の実際の仕事の場となる国際企業や研究室での言語使用状況の調査などが考えられている。

 KTHの国際プログラムは誕生したばかりで、まだまだ解決しなければならない問題が多くあるが、日本の関係者の方々の協力と学生の熱意に支えられ、一歩一歩前進している。

KTHの中庭の写真
初夏のKTHの中庭は学生の憩いの場となる

注1 Vlaams Ministerie van Onderwijs en Vorming

注2 Council of Europe, Steering Committee for Education, Language Policy Division, Common European Framework of Reference for Languages, Teaching, Assessment, Cambridge University Press, 2001 参照
吉島茂・大橋理枝他訳・編(2004)『外国語教育Ⅱ—外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠』朝日出版社

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