日本語教育レポート 第48回 日本語教育での「枠組み」との付き合い方
- 日本語教育レポート
- このコーナーでは、国内外の日本語教育について広く情報を交換したり、お互いの交流をはかるために、各地域の新しい試みやコース運営などについて、関係者の方々に具体的に紹介していただきます。
帝京大学外国語学部国際日本学科
教授 古川 嘉子
1.はじめに:「枠組み」、参照枠
最近の日本語教育についての話題で、文化庁が公開している「日本語教育の参照枠」や、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)注1など、「枠組み」、参照枠ということばを目や耳にする機会が増えたのではないでしょうか。それらに接すると、日本語教師から「自分のやっている日本語教育を枠組みに合わせないといけないのか」「その枠組みにあることをそのまま教えることが求められていくのか」など不安に思う声を聞くことがあります。
なぜこのように、「枠組み」、参照枠が話題になるのでしょうか。その背景には、日本語教育の範囲が日本国内での留学生などに限定されるのではなく、世界のどこでも、地域を選ばす、年齢や(所属や職業などの)属性、目的の異なる人たちに対して広く展開されているという事実があります。そのように多様な状況で行われる日本語教育において、共通に持てる教育の基盤を示すのが「枠組み」と言われるものです。「枠組み」は英語でframeworkです。「建物を立てる時の構造」が原義ですが、比喩的に「組織や計画の構造をなす考え、情報、原則」(Cambridge Dictionary: framework、筆者訳)という意味が示されています。そこから言語教育を語るときの「枠組み」は、考えや情報、理念・原則などの概念から成り立っていることがわかります。概念の枠組みなどというと益々それが実際の授業とどうつながるのかわからなくなります。実際に、そのわかりにくさを論じた文献や論考も見られます(西山 2021など)。しかし、「枠組み」が今の時代に大きな影響力を持ち、現場にいる私たち日本語教師にも、それらの理解や実際の教育への活用が求められるようになっていることは確かなようです。
それでは、この「枠組み」にはどのような利点があって教育に導入されているのでしょうか。日本語教師として、どのように付き合っていったらいいのでしょうか。ここでは、これまで筆者がJFの派遣専門家として関わってきた日本語教育現場での実践で、いくつかの「枠組み」と出合い、葛藤した経験や「JF日本語教育スタンダード」を利用した経験で見えてきた、「枠組み」との付き合い方について述べます。
2.「枠組み」は何を示し、どのように使われるのか
まず、私が日本語教育で最初の概念的な「枠組み」と出合った経験を書きます。私は1990年代の半ばに、派遣専門家としてオーストラリアの国際交流基金シドニー日本語センター(当時)に赴任しました。そこで、現地の教育のあり方を把握するために、当時の初等中等教育(K-12)注2の言語教育の指針となる『ALL Guidelines』注3という文書を理解することから始めました。
そこでは、その当時までの教育学、応用言語学(第二言語習得研究、社会言語学、語用論などを含む)の知見や、コミュニカティブ・アプローチの理念を学校教育の実践につなげるために、教師がどのように言語コースのカリキュラムを作り、実施し、評価していくかのモデルが挙げられていました。
『ALL Guidelines』では、学習者中心、積極的な参加、イマージョンなどの言語教育上の8つの原則注4を挙げた上で、様々な概念的なツールを提供しています。そのとき私が特に驚いたのは以下のゴールの図です。
ゴールの統合(The Integration of Goals), Vale et al. 1991, p.33, Diagram 5より
この図は、言語学習の到達目標を、コミュニケーションを核とし、社会文化、学習法の学び、一般知識、言語と文化の意識化によって構成されるものとして、統合的に示したものでした。言語教育の授業では、コミュニケーション課題の達成を目指す中で、5つのゴールの達成も同時に求められていました。
80年代に日本語を教え始めた私がそれまで見てきた日本語教育の目標は、試験対策のための文型や文字(かな・漢字)・語彙のリストや、会話場面、読解や聴解のスキルのリストなどでしたので、この図を見て非常におもしろいと感じたことを覚えています。確かに言語を用いたコミュニケーション活動というのは、いろいろな人と話したり、買い物したりなど社会的な活動であり、そこには、自身の社会や文化に対する知識・態度、個々の生徒のアイデンティティとも深く関係し、相手や社会的な場面による言語の違いへの気づきなども重要となると考えました。さらに、初等中等教育段階の生徒でも、それまでの人生で培った一般的な知識は持っています。言語の授業は、それらを統合的に駆使し、さらに新たな知識や行動のレパートリーを増やし、学習方法も学んでいく場となっているのだとも思いました。
このような概念的な記述である『ALL Guidelines』が、オーストラリアの日本語教育に与えた影響の大きさを端的に示す例は教科書です。1988年ごろの日本語学習者の急激な増加に呼応するように、1990年代には本当に多岐にわたる教科書が現地の教師によって作成されました。日本から見るとやや奇異に思えるようなKimono、Obentoなどのタイトルも見られました。これらの教材を見ると、基本的にトピックに基づく課構成になっており、イラストやマンガ、写真が豊富で、聞く、話す、読む、書くアクティビティが配置され、文化について考えたり、文法などの言語について分析する部分があるなど、コミュニケーションを中心に社会や文化、言語の学び方など様々な側面から言語学習ができるようになっていました。『ALL Guidelines』に基づく教師養成課程、教師研修、そしてこれらの教科書が具体例となり、多くの教師が「枠組み」を踏まえた実際の授業につなげられたと考えます。「枠組み」に基づき、理念が共有された日本語教育が、何十万の規模で行われる様子を目の当たりにして、私は「枠組み」の威力を理解しました。
3.CEFRの示すものと、海外の教育での応用例
次に、2000年代以降、現在まで世界中で最も影響が大きい「枠組み」として、CEFRを挙げて自身の経験を述べたいと思います。
CEFRについては、多くの文献がありますし、このような限られた紙幅の中では何も表せないとは思いますが、誤解を恐れずにその特徴を述べます。
CEFRは、「人権」「民主主義」「法の支配」を組織の基本理念とし、教育や文化の面でのヨーロッパ統合に資する取り組みを行っているCouncil of Europe(欧州評議会)により、1991年から現在まで30年をかけて作り上げられてきた「枠組み」です。ヨーロッパの文脈で、個人の中にいくつかの異なる文化・言語が存在し、時に統合され、アイデンティティを作っているとする複文化・複言語主義を提唱しています。言語を学び、使う人を社会的主体(social agent)として見て、行動中心主義に基づく考え方から、コミュニケーション活動をCan-doで記述し、A1からC2までの熟練度の6レベルを例示的に示しています。さらに、個人が人生の中で様々な言語を学びながら、使用していく様を継続的に把握・記録・可視化・共有できるようヨーロッパ言語ポートフォリオを提案しています。
欧州評議会は、CEFRをヨーロッパ以外の言語教育で利用する文脈化を認めています。上記の通り理念の塊であるCEFRを日本語教育の授業で利用する際には、どのようにしたらいいでしょう。その際、CEFRを日本語教育の現場に文脈化するために開発された「JF日本語教育スタンダード」が利用できます。特に、CEFRの日本語・英語の例示文(CEFR Can-do)の他、日本語学習者が具体的なコミュニケーション活動を記述した例示文(JF Can-do)が有効なツールとなります。
授業の設計を例に挙げると、まず、CEFRの背景や理念をある程度自分なりに理解した後、CEFRと今目の前にいる学習者の背景や目的との共通点を探ります。どのようなコミュニケーションをなぜ、できるようになりたいと望んでいるか考えます。その上で「みんなのCan-doサイト」を利用して、学習目的や学習者の文脈に合ったCan-doを選んで目標設定やシラバスを設計し、それらのコミュニケーション活動に基づいて評価を設計したりしていきます。後で実践を振り返る際にもう一度CEFRに戻って、自身の運用の妥当性を考えることもできます。CEFRの現場での利用については、奥村他(2016)が理念の説明や実践例を示しています。
「みんなのCan-doサイト」
CEFRは国を越えたグローバルな「枠組み」です。次に、そのグローバルであることを活かした利用法の例を述べます。私は2022年3月まで、マニラ日本文化センター(JFM)の派遣専門家として現地の日本語教育支援に携わっていました。2020年、長く待たれていた学校教育用の新カリキュラムが発表されました。ただし、当時はコロナ禍だったことから、平常の対面授業は行われておらず、代替としてオンライン授業やワークシートによる教育でも可能なように、ある程度簡易化したMost Essential Learning Competencies(MELCs)という、学年・学期ごとの到達目標をCompetency(能力)の形で示した一覧表が各科目で示されました。日本語に関連する英語以外の外国語科目のMELCsでは、異文化の学びも含む、聞く、話す、読む、書く言語活動とともに、「交通に関連する語彙を理解する」などの形で言語知識の種類を示しています。背景にはCEFRの能力記述文が意識されていることは、事前に教育省関係者からも示されていました。
MELCs発表からしばらくして、フィリピンの現場の先生たちからJFMに、「教育省からMELCsの配列の順番通り教えなければならないと言われて困っている」という連絡が複数入りました。従来から、中等教育の日本語教育では、『enTree: Halina! Be a NIHONGOJIN!』(以下、『enTree』)という教案集を用いています注5。『enTree』は、異文化である日本語の学びを通じて自身の文化や自分自身を知ることを重視するトピックベースの教案集で、言語活動のゴールをCan-doで技能別に示しています。しかし、MELCsの能力記述の配列は『enTree』のそれと異なっていて、MELCsの順番で教えることを求められたら、これまでの教え方を改変する必要が生じますが、急には不可能な話です。
幸いなことに、『enTree』のCan-doは、設計の段階でCEFRを土台としている「JF日本語教育スタンダード」のCan-doに基づいて作られていました。そこで、『enTree』の制作に携わった現地の大学教員と私とで、MELCsの能力記述と『enTree』の各トピックの目標の記述文の内容的なすり合わせを行い、MELCsのリストと『enTree』で扱われている内容は、順番が違っているものの齟齬はないことを示す文書を作成しました。それを、フィリピン教育省に示し、認証を得ることで、日本語については『enTree』を従来通り使っても、MELCsの達成を実現していることを示すことができました。フィリピンの先生たちはコロナ禍のたいへんな中でも、従来の教え方を維持しつつ、MELCsというフィリピンの中等教育のローカルな「枠組み」に基づく日本語教育が続けられることになったわけです。
現在は、CEFRなどのグローバルな「枠組み」が示す言語活動やコミュニケーション、言語教育に関する理念が共有されていることで、教師が、それらの理念を踏まえて、現場の授業やシラバスなどを作成したり、検討したりする際に参考にできるようになりました。また、各国のカリキュラムなどのローカルな「枠組み」も、グローバルな教育の潮流を取り入れていることから、「枠組み」同士の関連付けがしやすくなっていると考えられます。
『enTree: Halina! Be a NIHONGOJIN!』 1, 2, 3
4.「枠組み」と日本語教師の成長
以上のように、「枠組み」との付き合いを通して、そのまま容易に教育実践に取り入れることはできないけれど、注意して利用すれば、様々な威力を発揮してくれることがわかりました。利用する際に心がけたらよいと思うのは、主に以下の3点です。
(1)その「枠組み」の関係する社会や背景を含めて理念を理解しようとすること、そして、その理念が自分の目の前の学ぶ人とどう関係するかを考えていくこと
例えば、日本在住の生活者として日本語を学ぶ人であれば、その人が経験するであろう生活を思い描いて、参照する「枠組み」にある言語活動とすり合わせ、共通するものを授業に取り入れることができると思います。教師が一人で想像するだけでなく、学ぶ人といっしょにその人の言語生活を振り返り、目標を設定していくこともできるかもしれません。
(2)その「枠組み」に基づく先行事例となる教材や評価手法(テストなど)を見て、自分の授業にどう活用できるか考えてみること
既存の「枠組み」の多くには、実践をサポートするためのサンプル教材や教科書、マニュアル、関連するテスト、ポートフォリオなどが提供されているはずです。それらを見て、なじみのない方法であった場合も、チャレンジすることで自身の教師としてのレパートリーを増やしていくことができると考えます。
(3)「枠組み」を利用した経験をほかの人と共有すること
「枠組み」という共通基盤があることで、個別の実践ではなく、「枠組み」の中で共有された意味が生れます。例えば、実践報告をする、同様な経験を持つ人と共に振り返り会を持つなどできるでしょう。
私個人の日本語教育の経験を思い返すと、(1)(2)を繰り返してきたと感じます。そしてその後に必ず振り返ってみて、どんな点では成果があったか、どんな課題があったかを考えることが非常に重要だと思いました。(3)はその振り返りにとっての重要なステップです。「枠組み」と付き合うことで、それ以前の日本語教育に対する自身の考え方を組み替える必要があるような経験もしました。そこまでいかなくても自身の言語教育観を拡張してくれたことは確かです。そして、その理念も含めて「枠組み」と対峙することで、自身の日本語教育に対する姿勢を見直す機会を持つことができます。このような意味で「枠組み」は、日本語教師としての私を鍛えてくれる対話相手であると考えています。
注:
- 1.Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment が正式名称です。2020年に増補版、Companion volumeが発表されています。
- 2.K-12とは、初等前教育Kindergarten(幼稚園)から初等教育・中等教育の12年を含む期間の学校教育を指します。英語圏(米国、英国、オーストラリアなど)を中心として学年度が同じ様々な国で用いられている用語です。
- 3.『Australian Language Levels (ALL) Guidelines』(1988)は、当時のオーストラリアの中等教育までの学校教育での、英語も含めた言語の教育の指針を提供するためのプロジェクトに基づいて発表されたものです。州の独自性の強い同国でも全州の教育で参照されました。
- 4.
- (1)学習者中心原則(the learner-centred principle)
- (2)積極的参加原則(the active involvement principle)
- (3)イマージョン原則(the immersion principle)
- (4)焦点化原則(the focusing principle)
- (5)社会文化原則(the sociocultural principle)
- (6)意識化原則(the awareness principle)
- (7)フィードバック原則(the assessment principle)
- (8)責任原則(the responsibility principle)
- 5.フィリピン中等日本語教育の教案集『enTree』について、「日本語教育通信」日本語教育レポート第30回と「をちこち」でも紹介しています。
参考文献:
- 奥村三菜子、櫻井直子、鈴木裕子(2016)『日本語教師のためのCEFR』くろしお出版
- 西山教行(2021)「CEFRはなぜわかりにくいか-CEFRの成立とその構造」『CEFRの理念と現実 理念編 言語政策からの考察』第2章(pp. 19-43)くろしお出版
- Cambridge University Press. framework. Cambridge Dictionary, 2022.
- Council of Europe. (2020) Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment - Companion volume. Strasbourg: Council of Europe Publishing.
- DepEd Philippines. DepEd Commons: MELC Most Essential Learning Competencies
- Vale, D., Scarino, A. and McKay, P. (1991) Pocket ALL - A Users’ Guide to the Teaching of Language and ESL. Carlton South: Curriculum Corporation.
日本語教科書:
- Espiritu, J. S., Hieida, B.S., Itchon, A. M. L., Ofune, C., Palma Gil, F. A. A., Ventura, F. M., & Waguri, N. (2014). enTree 2: Halina! Be a NIHONGOJIN! (revised). Makati, Philippines: The Japan Foundation, Manila.
- Kushimoto, K., Xouris, S., Williams, P., Lyons, A., Swinyard, J., Nishikawa, N., Brown J., and Fisher, A. (2018) Obento Delux and Supreme series, 5th edition. South Melbourne: Cengage Australia.
- McBride, H., Burnham, S., Saegusa, Y., Guthridge, B., Sedunary, M., Guarnuccio, E. (1990-1994) Kimono Book 1-3. Carlton: CIS Educational.