日本語教育通信 日本語・日本語教育を研究する 第35回

日本語・日本語教育を研究する
このコーナーでは、これから研究を目指す海外の日本語の先生方のために、日本語学・日本語教育の研究について情報をおとどけしています。

井上 優氏の写真国立国語研究所日本語教育基盤情報センター
井上 優

「学習者の母語の活用」を考える

1.はじめに

 私の専門は,母語である現代日本語の文法・意味の研究です。厳密な意味での母語は富山県南砺市井波地区の方言なので,井波方言についても研究します。また,外国語の研究者と共同で,日本語と外国語の対照研究をおこなうこともあります。

 私の場合,現代日本語について研究する場合と,井波方言について,あるいは日本語と外国語とを比較対照して研究する場合とでは,研究する際の感覚がかなり違います。

 まず,現代日本語について研究するときは,ネイティブどうしで自分たちの母語について議論しあうという感覚になります。その際にまず重要なのは,記述や説明が「ネイティブとして納得できるかどうか」であり,ノンネイティブにどう説明するかということは(実は)必ずしも優先されません。

 これに対し,井波方言について研究するとき,あるいは日本語と外国語の対照研究をするときは,そのようなわけにはいきません。この場合は,「自分の母語についてノンネイティブにどう説明するか」,あるいは「ノンネイティブなりに外国語をどう理解するか」が重要な問題になります。「どうすればノンネイティブが理解できるか」ということを目標にする点では,日本語教育と通じるところがあります。

2.相手の母語の感覚を利用する

 自分の母語についてノンネイティブに説明する際の方法の一つに,相手の母語の感覚を利用するということがあります。井波方言の研究から一つ例をあげましょう。

 井波方言でよく用いられる終助詞の一つに「ジャ」という終助詞があります。この「ジャ」が表すのは「認識を改めざるをえない」という気持ちです(井上 2002)。たとえば,寒くないと思って外に出たら,予想に反してけっこう寒く感じた,という場面では,「認識を改めざるをえない」という気持ちで,「あ,けっこう寒いジャ」のように言います。

 井波方言(あるいは富山県方言)のネイティブでない人は,このような説明では実感がわかないかもしれません。しかし,共通語にも井波方言の「ジャ」に近い意味を表す終助詞があります。それは「や」です。井波方言で「あ,けっこう寒いジャ」と言うのは,共通語で「あ,(予想に反して)けっこう寒いや」と言うのと同じ感覚です。「認識を改めざるをえない」という説明だけよりも,このような説明もあったほうが,「ジャ」の使い方は具体的にイメージできるのではないかと思います。

 もっとも,「ジャ」と「や」の意味は完全に同じというわけではありません。たとえば,共通語の「(妥協して)まあ,これでいいや」と同じ感覚で「??まあ,これでいいジャ」のように言うことはできません。「ジャ」はあくまで「認識を改めざるをえない」という気持ちで用いられますが,共通語の「や」は「考えを変えることにしよう」という軽い気持ちでも使えるわけです。その意味で,「共通語でこういう場面で『…や』と言うときの感覚」という説明は,「ジャ」に関する便宜的な説明の域を出ないと言えます。

 しかし,ネイティブでない人に表現の使い方を理解してもらう上では,このような便宜的な説明もあってよいと思います。他人に自分のことを理解してもらいたいと思ったときは,いろいろな手を使って説明するものです。自分の母語についてノンネイティブに説明する場合も,便宜的な説明も含め,いろいろな説明を用意しておくのがよいと思います。

3.自分の母語の感覚を利用する

 ノンネイティブなりに外国語について理解する際にも,自分の母語の感覚を利用することが有効なことがあります。実際,日本語と外国語の対照研究においては,外国語の現象を日本語と関連づけて考えるということをよくおこないます。

 たとえば,「そうです」に対応する中国語の応答表現“dui”と“対了duile”(中国語は日本漢字で表記)の使い分けは,日本語の「は」「が」の使い分けと似たところがあります(黄2002)。

  1. (1)(相手がよいアイディアを出したのを聞いて)
    対,対,就這麼辦吧。(そうだそうだ(君の言うことは正しい),そうしよう。)
  2. (2)(クイズ番組で。不正解が続いた後で,王さんが正解を述べたのを受けて,司会者が)
    対了,小王猜対了。(そうです(それが正解です)。王さんが正解です。)
  3. (3)(思い出せずにいたことを思い出して)
    対了,我還有一件事要跟你説。(そうだ(これが正解だ)。君に伝えたいことがあるんだった。)

 “”は「あなたの言うことは正しい」という意味の応答で,相手の発言を正しいと評価するときに使います。これに対し,“対了”は「その場に正解が現れた」という意味の応答です。日本語で言えば,「そう,それです(それが正解です)」「そうだ,これだ(これが正解だ)」という感じです。

 このような説明は,中国語のネイティブには便宜的な説明のように見えるかもしれません。しかし,ノンネイティブにとっては,ネイティブが納得できる説明よりも,疑似的であれ,ノンネイティブなりに実感をともなって理解できる説明のほうが,表現の使い方が具体的にイメージでき,理解に要する労力も少なくて済みます。

4.日本語教育の場合

 日本語教育においても,学習者の母語の感覚を利用して日本語について説明できるところは少なくないと思います。ここでは,学習者の母語が中国語の場合を考えてみます。

 「あなたはこの大学の学生さんですか?」という質問に対して学生が「そうですよ↑」と答えると,「それがなにか?(なぜそのようなことを聞くの?)」という含みが生じ,相手が年長の人の場合などは失礼な印象を与えます。中国語では,このような問いには“shi”(そうです)あるいは“是的shide”(そうです)のように答えます。“shi”に終助詞“ya”をつけた“是呀shiya”は,日本語の「そうですよ↑」に近い意味を表し,やはり失礼な印象を与えることがあります。「この場合『そうですよ↑』は失礼」と言って「なぜ?」と聞かれたら,「中国語でもこういう場合は“是呀shiya”は失礼でしょう」と言えば,実感をともなって理解してもらえます。

 文法や意味を直接目で見ることはできません。文法や意味に関する説明はどれも「このように説明できる可能性がある」という仮説であり,つまるところは便宜的なものです。それならば,日本語母語話者が日本語の感覚を利用して外国語について理解したり,日本語学習者が自分の母語の感覚を利用して日本語について理解したりすることもあってよいと思います。

 場合によっては,学習者の母語の感覚にあわせて日本語の文法や意味の説明を書き換えてもよいのではないかと思います(井上2002)。たとえば,「壊れる」のような瞬間的な変化を表す動詞のテイル形(壊れている)は通常「結果状態残存」を表すと説明されます。しかし,これは中国語の感覚と多少異なるところがあります。

 中国語では継続動詞のみが継続形を持ち,「壊れる」のような瞬間的な変化を表す動詞は,継続の局面がないので,継続形が成立しません。日本語では「壊れている」と言う場面でも,中国語では「実現済み」を表す“le”を用いて“壊了huaile”と言います。「壊れた状態が存在する」という状況は,日本語では「結果状態残存」というイメージでとらえられますが,中国語では「変化が実現済み」というイメージでとらえられるわけです。

 それならば,「壊れている」のようなテイル形は,中国語の感覚に合わせて「実現済み」と説明してもよいのではないかと思います。日本語のネイティブの感覚とは違うかもしれませんが,中国語母語話者にとっては,そのような説明のほうが,もしかしたら「壊れている」のようなテイル形を用いる場面を具体的にイメージできるかもしれません。

5.おわりに

 学習者の母語の感覚を利用するということは慎重におこなう必要があります。やり方によっては「母語の干渉」を誘発することにつながりかねないからです。しかし,学習者にとって実感をともなって理解できる説明を考える際に,学習者の母語の感覚を活用することが重要なポイントの一つであることは確かだと思います。

 私は日本語のネイティブなので,日本語母語話者の感覚を利用して外国語について理解することは経験できますが,外国語の感覚を利用して日本語について理解するということは経験できません。後者については,ノンネイティブの日本語教師の方のほうが,ご自身の経験をもとにいろいろな知見をお持ちのはずです。ネイティブとノンネイティブの日本語教師の間でそのような知見がうまく交換されることは,日本語教育において最も基本的なことがらの一つだと思います。また,言語の対照研究がその橋渡しの役割を果たせればと思います。

参考文献

  • 井上 優(2002) 『日本語文法のしくみ』研究社
  • 井上 優(2005) 「学習者の母語を考慮した日本語教育文法」,野田尚史編『コミュニケーションのための日本語教育文法』くろしお出版
  • 黄 麗華(2002) 「中国語の肯定応答表現—日本語と比較しながら—」,定延利之編『「うん」と「そう」の言語学』ひつじ書房
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