日本語教育通信 日本語・日本語教育を研究する 第51回
- 日本語・日本語教育を研究する
- このコーナーでは、これから研究を目指す海外の日本語の先生方のために、日本語学・日本語教育の研究について情報をおとどけしています。
慶應義塾大学 言語文化研究所 教授 川原 繁人
音声学者が答える日本語の「なぜなぜ? どうして?」
音声学を勉強したことがあるかもしれませんが、音声学では「私たち人間がどのように音を発音し、その背後にはどのような法則が隠れているのか」を探究します。日本語に限りませんが、言語における音声の仕組みというものは、母語話者にとっては当たり前のことで疑問にすら思わないことが普通です。しかし、日本語学習者にとっては「なぜ?」という疑問が尽きないことも多いでしょう。音声学を知っていると、日本語学習者から音声に関する疑問を突きつけられた時に、より明確な回答を示すことができます。本記事では、実際に寄せられた日本語に関する疑問に音声学の見地から答えていこうと思います。
カ行とガ行、サ行とザ行が対応しているのはわかります。どうしてハ行とバ行が対応しているんですか?
濁点というのは「有声性の違い」を表します。有声性というのは、「声帯が振動するか、しないか」です。濁点がつかない音は、声帯が振動しない「無声音」で、濁点がつく音は、声帯が振動する「有声音」です。基本的に、濁点のあるなしで区別される音は、声帯以外の器官の動かし方がほぼ一緒です。例えば、「カ行」も「ガ行」も口の奥が完全に閉じる音で、「サ行」も「ザ行」も舌先で摩擦を作りだす音です。しかし、「ハ行」では口の奥のほうで摩擦が作りだされ、「バ行」では両唇が完全に閉じます。こう考えると、「ハ行」と「バ行」が対応するというのは確かに奇妙です。
この不自然な対応関係は、現在の「ハ行」が昔は「パ行」だったことに由来します(川原 2022b)。「パ行」でも、「バ行」と同じように両唇が完全に閉じますから、「パ行」が「バ行」に対応するというのは音声学的な観点から納得がいくことです。「ハ行」が昔「パ行」だったという証拠はいろいろありますが、例えば「ひよこ」が「ピヨピヨ」なくこと、「旗」が「パタパタ」揺れることなどが挙げられます。オノマトペでは、昔の「パ行」がそのまま残っているのです。
余談ですが、特に日本語では「濁音」=「大きい」という連想が働き、この連想は、ポケモンの名付けなどに応用されている可能性があります。ポケモンの名前に含まれる濁音の数から、それぞれのポケモンの大きさや強さがある程度予測できるのです。詳しくは川原(2022a, b)をご参照ください。
どうしてタ行のタ、チ、ツは子音が違うんですか?
ローマ字や音声記号で発音を書くと、完全に独立した音が並んでいるように見えます。例えば、「たまご」は [t]-[a]-[m]-[a]-[g]-[o] で、6個の独立した音が並んでいるように見えるでしょう。しかし、それぞれの音は周りの音に影響を与えあっていて、完全に独立してはいないのです。例えば、[tamago] の一番目の [a] は無声音である [t] の影響で始めが少し無声化し、二番目の [a] は前の [m] の影響で鼻から空気が抜けます。
これを踏まえて、「タ、チ、ツ」の子音が異なる理由を考えてみましょう。音声記号で書くと、「タ行」は、[ta]-[tɕi]-[tsu]-[te]-[to] となり、[t] が [i] と [u] の前で別の音に変化していることがわかります。[t] の音は、国際音声記号(IPA)では「破裂音」と分類されていますが、「閉鎖音」と呼ぶ音声学者もいます。なぜなら、[t] を発音するときに口の中が完全に「閉鎖」し、口の中の圧力が高まり、次の音を発音するために閉鎖が開いた瞬間、「破裂」もおきるからです。
ここで [a]-[i]-[u] を何回か、特に口の開き方に注意しながら発音してみてください。すると、[i] と [u] では口があまり開かないことに気づくでしょう。結果、[ti] や [tu] を発音した場合、[t] の発音のために閉じた口が、次の母音になっても、あまり大きく開かないのです。すると [t] の破裂が、狭まった口の中で増幅されて、摩擦に変化しやくなります。閉鎖した口が開いたあと「破裂」でなく「摩擦」が起こる音を「破擦音」と呼び、[tɕ] や [ts] は破擦音です。
次に [ta] と [tɕi] を繰り返し発音してみてください。[tɕ] の方が [t] よりも口の奥で発音されることに気づくと思います。[t] は舌先を上の歯の根元部分である「歯茎(しけい)」にあてて発音します。[i] の音は口のもう少し奥、硬口蓋(こうこうがい)付近で発音します。[t] の発音が [i] に引っ張られて、少し後ろ方で発音されるので、[tɕ] という「歯茎硬口蓋音」がうまれるのです。
私の母語では「声が低い」とは「声が小さい」ことを意味します。日本語で「声が高い・低い」「声が大きい・小さい」というのは、どういうことですか?
日本語では、「声が高い」=「声の周波数が高い」ということです。声の周波数というのは、「声帯が一秒間に何回振動するか」を示します。ですから、「声が高い」というのは、「声帯振動数の値が高い」という意味なのです。身近な例でいうと、ガラス製のグラスを叩くと鳴る音が高い音で、冷蔵庫が出すような音が低い音です。また、一般的には女性の方が男性よりも、子どものほうが大人よりも高い声を出します。
「声が大きい」=「声の波の振れ幅が大きい」ということです。簡単に言うと、私たちが声を出すために声帯を振動させると、周りの空気が押されます。その空気の揺れが行ったり来たりを繰り返して聞き手に届くのです。その振れ幅が大きい音を、私たちは「大きい声」と感じます。
基本的に、声の「高さ」と「大きさ」は、別々にコントロールできますが、大きな声を出そうとして多くの空気を肺から口に流し込むと、自然と声の高さもあがります。ですから、実際の発話では、音の高さと大きさには比例関係が観察されることが珍しくありません。
アクセントとイントネーションって何が違うんですか?
音声学を知らない人は、このふたつの用語を混同することがあります。どちらも声の高さの変化を表すのですが、日本語の高低アクセント(ピッチアクセント)は単語レベルの変化、イントネーションは文レベルでの変化を指します。例えば、「箸」と「端」の違いですが、「箸」は声の高さが「高低(は↓し)」と変化し、「端」は「低高(はし○)」と変化します。これが「アクセントの違い」です。
一方、イントネーションは文レベルでの声の高さの変化を示し、疑問文は末尾で上昇することが多いなど、平叙文・疑問文・命令文は、独特のイントネーションで特徴づけられます。また、文レベルでの強調なども独特のイントネーションとして現れることがあります。
日本語はアクセントによって意味が変わると聞きました。しかし、歴史的にアクセントが変わった語もあります。アクセントによって意味が変わるのに、アクセントが変わったら困りませんか?
アクセントは、方言差・世代差・個人差が大きく、ご指摘の通り、歴史的にもよく変化します。例えば、私にとって「音楽」は「高低低低(お↓んがく)」ですが、若いラジオDJが、「低高高高(おんがく○)」と発音しているのをよく耳にします。後者の発音は、高から低に変化する部分がないので「無アクセント語」または「平板アクセント」と呼ばれます。平板化に関しては、「自分の身の周りでよく使う単語は平板化しやすい」という現象が報告されています(井上 1998)。例えば、「マイク」は「高低低(マ↓イク)」ですが、音楽家は「マイク」を「低高高(マイク○)」と発音することがあります。
この平板化に眉をひそめる人もいますが、アクセントが変化したからといって、実際のコミュニケーションで誤解が生じることは、あまりなさそうです。なぜなら、アクセントだけで意味が変わる単語のペアは多くないからです。柴田・柴田(1990)によると、同音異義語がアクセントで区別されるのはわずか14%で、残りの86%はアクセントも同じだそうです。また、上記の通り、もともとアクセントには個人差があります。これらに加えて、人間にはどんな単語が発せられたか周りの文脈から推測する力も備わっていますので、アクセントが変化しても困らないのです。
日本語は母音の長さが大切だと教えられましたが、実際には長くない音を伸ばして発音することがあります。例えば、実際の駅の名前は「新宿」なのに、車内放送で「シンジュクー」と言っていました。伸ばし方にはルールがありますか?
確かに「おばさん」と「おばあさん」のように母音の長短の区別が重要な場合もありますが、アクセントだけで区別されるペアが少ないように、母音の長短だけで区別される単語のペアもそこまで多くありません。ですから、長い音と短い音がしっかりと区別されて発音されなくても、誤解が生じる場面は少ないでしょう。特に、「シンジュクー」の例のように、語末や文末では音を伸ばして発音することがよくあります。
看板に「ほっくほくのサックサクのハラッハラ」と書かれていました。小さい「っ」が強調を表しているのだと思いますが、「っ」が入る位置にルールはありますか?「ほくっほく」、「ほくほっく」、「ハッラハラ」、「ハラハッラ」ではだめですか?
「っ」を入れて強調形を作る場合、「できるだけ語頭の近くに『っ』を入れる」というルールがあります。ですから、「ほっくほく」や「サックサク」が一番自然で、「ほくっほく」は許容範囲内、「ほくほっく」は完全にルール違反だと感じる人が多いと思います。
では、「ハラッハラ」はどうなのでしょう?日本語では「共鳴音」と呼ばれる音の前に「っ」を入れることができません。「共鳴音」とは「ナ行、マ行、ヤ行、ラ行、ワ行」を含み、「濁点をつけられない音」です。「ハッラハラ」という形は、共鳴音である「ラ行」の音に「っ」がついてしまっているため、不自然と感じられます。ただし、外来語においては「アッラー」のように、「ラ行」の音に「っ」がつくこともありますし、話し言葉では「ハッラハラ」という形が観察されることもなくはありません。
「あんまり」の「ん」は強調を表すと習いました。しかし、「ほくほく」を強調する場合「ほっくほく」で「ほんくほく」とは言えず、「すごい」は「すっごい」「すんごい」のどちらも言えます。どういうことですか?
「っ」が「く」の前につくとき、これは「く」の [k] の子音が長いことを表します。同じように、「ん」がマ行やナ行(鼻音と呼びます)の前につくと、その次の鼻音が長いことを表します。強調形を作るためには「子音を伸ばす」ことが大事なので、「ほくほく」の「く」の前では「っ」を、「あまり」の「ま」の前では「ん」を使います。
上で「『っ』は共鳴音の前に入れることができない」と言いましたが、濁音の前の「っ」もあまり好まれる形ではありません。詳細は紙面の都合で省きますが、空気力学的な問題から濁音を伸ばすことが難しいのです(川原 2018)。ですから、「すっごい」という形とともに「すんごい」という形がゆるされるのでしょう。「ん」では鼻から空気が流れるため、空気力学的な問題が解消されるのです。
音声学って何? 音韻論って何? 違いは大事?
結論から先に言うと、音声学者・音韻論者を目指すのでなければ、あまり違いを気にする必要はないと思います。というのも、音声学と音韻論の違いは必ずしもはっきりしたものではなく、研究者によって意見が異なるからです。例えば:
- 音声学=
- 「人間がどのように音を発するのか」や「音が空気中をどのように伝わるのか」など「現実世界の音のあり方」を研究する学問
- 音韻論=
- 「人間の頭が音をどのように操っているか」という「心理的・認知的な音のあり方」を研究する学問
とする研究者もいます。しかし、この考え方によると、「話者は、現実世界の音をどのように発音するかを心理的・認知的に考えていない」ということになり、これは誤りです。また、「音声学=具体的」「音韻論=抽象的」とする研究者もいますが、音声学も抽象的な側面を持ちますので、これも間違った分類法だと感じます。私自身、研究者として考えれば考えるほど、音声学と音韻論の違いがわからなくなってしまいます。最近の研究者の中には、「音声学と音韻論を明確に区別することは不可能である」と断言する人もいるほどです。ですから、音声学と音韻論の違いがわからなくても、悩む必要はないのではないでしょうか。
音声学についてもっと知りたかったら、何から始めればいいですか?
自著で恐縮ですが、川原(2022a)では、私の子育てエピソードを題材として、音声学や音韻論の基礎を楽しく、かつ、網羅的に紹介しています。「ハ行」の謎やイントネーションの話は、川原(2022b)で扱っています。この2冊は「音声学って難しそうだな」と感じている日本の大学生たちに、なんとか楽しく音声学を教えようとした私の努力の結晶で、プリキュアやポケモンの名前、日本語ラップの分析など身近な題材を使って、音声学の魅力を紐解いています。また、日本語学習者に紹介できるおもしろ話も、多く掲載しています。川原(2018)は、大学院で学ぶような音声学の基礎を網羅しています。書き方が少し堅めではありますが、しっかり理解すれば、自分の興味がある題材に関する音声学の論文にも挑戦できるようになるでしょう。
音声学を学ぶと、今まで日本語に関して不思議に思っていたことの仕組みが解明される喜びを得られます。外国語学習者に筋立てて説明できると、生徒さんたちも納得してくれるかもしれません。日本語と学習者の母語の音声を比較してみるのも面白いと思います。興味がある方は、是非、音声学の勉強にチャレンジしてみてください。
引用文献
- 井上史雄(1998)『日本語ウオッチング』. 岩波新書.
- 川原繁人(2018)『ビジュアル音声学』. 三省堂.
- 川原繁人(2022a)『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』. 朝日出版社.
- 川原繁人(2022b)『フリースタイル言語学』. 大和書房.
- 柴田武・柴田里程(1990)「アクセントは同音語をどの程度弁別しうるか―日本語・英語・中国語の場合―」.『計量国語学』17: 317-327.