アメリカ・ピッツバーグでの日本語教育

シェラー・エリア・ハイ・スクール
岩﨑 俊二

アメリカの歴史的な州、ペンシルベニア

ペンシルベニア州はアメリカ合衆国東部に位置し、ニューヨーク州や五大湖の一つであるエリー湖が隣接している自然の豊かな州です。人口もアメリカ第六位で、歴史的にもアメリカ合衆国発祥の地と言われるほど重要な州であり、州東部には北米有数の世界都市フィラデルフィア市があり、私が派遣されているピッツバーグ市もアメリカ有数の経済都市の一つで、この二つがペンシルベニア州の主要都市と言われています。しかし州全体の人種は圧倒的に白人が多く、アジア系は人口の3%程しかいません。人種差別もあまりないように感じられ、特にピッツバーグは過去にフォーブス誌などの住みやすい街ランキング首位に輝いたこともあるので、平和で住みやすいと感じました。フィラデルフィアではSAKURA祭りというイベントもあり、多民族大都市ニューヨーク市も近いことから日本文化に触れる機会が多いように思われますが、ピッツバーグでは大々的に日本文化に触れる機会はあまりないように感じました。

この州にはペンシルベニア大学、ピッツバーグ大学やカーネギーメロン大学などの有名大学も多数あり、アメリカで上位の教育水準を維持しています。州内には500の公立校の学区があり、多くの私立校もあります。やはりフィラデルフィアやピッツバーグ近郊には日本語教育の行われている教育機関は比較的多いようですが、その他の都市では公立の中等高等教育で日本語を教えているところは少ないようです。

シェラーでの日本語教育、そしてATとして

ピッツバーグ近郊では都市部のピッツバーグパブリック学区、ピッツバーグ郊外南部のアッパーセイントクレア学区、ピッツバーグ郊外北部のシェラーエリア学区にて日本語教育が行われています。シェラーエリア高校(以下、SAHS)の生徒数は約1500人、そして教師は100人ほどいます。教師は99%が白人系、そして生徒もほとんどが白人系です。ピッツバーグ都市部の学区に比べると格差は少なく、大体の生徒が中流家庭であることが見受けられました。SAHSでは日本語のほかにスペイン語、フランス語、ラテン語を履修することができ、日本語を履修した生徒は100人ほどでした。日本語の教師はリードティーチャー(以下、LT)のみで、1日6コマ、レベル1から5を教えています。SAHSはペンシルベニア西部、左隣のオハイオ東部を含めてもレベル5にあたるAP(Advanced Placement)日本語を教えている唯一の高校です。

アシスタントティーチャー(以下、AT)として、LTと話し合いながらシラバス、レッスンプラン、アクティビティ等を見直し、そして新たに作り、派遣当初からチームティーチングをベースに授業をしてきました。特に会話やリスニングレッスンなどは積極的に担当し、テストや宿題の採点も分担し、LTをサポートしてきました。

授業外での活動

SAHSにはJapanese National Honor Society(以下JNHS)があり、約30人ほどの生徒が在籍していました。JNHSの生徒役員、LTとともに定期的に何をしたいかなどを話し合い、様々なイベントをしてきました。ホームカミングでは地域に向けて寿司やたこ焼き、おにぎりを販売し、度々学校内でもファンドレイジングとして日本の食べ物を販売しました。月に1,2回授業後にカレーライスや東京バナナ風デザートを作るフードレッスンや、映画鑑賞会、書道レッスンなどをしてきました。その他にもペンシルバニア西部の日本語を教えている高校が集まるスピーチコンテストに参加したり、JNHSの生徒数人と共に、まだ設立されて間もないピッツバーグ桜プロジェクトという、ピッツバーグ在住の日本人による桜の木の植樹プロジェクトに参加しました。そのプロジェクトはシェラーエリア学区からさらに北の大きな公園で行われています。未だその木々は小さく、今年の春に観察に行った時もまばらに咲いているだけでしたが、そのプロジェクトを続けていくことにより、その木々と一緒にピッツバーグでの日本文化も大きくなると強く感じました。フィラデルフィア市で開催されていたSAKURAフェスティバルを見に行った際に、桜の木にたくさんの人が集まり、そしてたくさんの日本に関わる催しをしているのを見て、きっとピッツバーグの桜にも同じようにたくさんの人が集まり、日本文化を広めることが数年後には出来ると思いました。

1年目を終え、感じたこと

この一年、いろいろなアメリカ国内の都市に行く機会がありましたが、州によって、そして都市によって文化背景は全く違うものでした。日本にわりと近い西海岸側や大都市ニューヨークは日本人や日本文化に触れる機会があるかもしれませんが、SAHSの多くの生徒たちにとって私が初めて間近で見る日本人でした。そのような状況で思ったのが、自分の行動一つでこのコミュニティでの日本に対するイメージが変わるのでは、ということでした。自分がとる行動の大事さを改めて実感しました。一国際人として、日本語教師として、責任をもって行動しなければと思いました。この一年、どれだけ自分がJ-LEAPの使命を果たせているかはわかりませんが、少なくともSAHSでは充実した一年を過ごせたと感じています。J-LEAP1期生、3期生の方から続いてる図書館でのボランティアにも参加していますが、自分の学区でも何か新しいことをしたいと、LTと話し合っています。まだうまく実現していませんので2年目はより形付けていき、今後ずっと続くものを作り上げたいと思います。というのも詳しい理由は分かりませんが、SAHSの運営側がAP日本語クラスを排除するという決定を下しました。保護者に助けていただき食い止めることができましたが、来年も同じことが起きるかもしれません。そうならないためにもLT、在校生、保護者や地域の方と協力して、昨年度以上にいろいろな活動をしていきたいと思います。

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