日本語教育通信 日本語からことばを考えよう 第5回
- 日本語からことばを考えよう
- このコーナーでは、日本語に特徴的な要素をいくつか取り上げ、日本語を通してことばをとらえなおす視点を提供します。
【第5回】「ていねい」じゃなくてもだいじょうぶ…?
みなさん、こんにちは。
このコーナーでは、ことば―言語―というものはどんなものなのか、どうやってとらえたらいいのかを、日本語ということばを通じて考えていきたいと思います。
携帯電話ショップに行ったときのことです。「電話会社を変えたいのですけど、前の会社が『安くしますよ。』とかしつこく言って来ないですかね?」と店員さんに聞いたら、「そうですねぇ…でも、『そういうのはだいじょうぶですから。』って言って断っちゃえばいいんじゃないですか。」とアドバイスしてくれました。なんだか「だいじょうぶ」の新たな使い方を教えてもらった気分になりました。
「だいじょうぶ(大丈夫)」はもともと「堂々とした立派な男子」という意味ですが、普通は「もう痛くないですか?」に対し「だいじょうぶです。」というように「問題ない」という意味で使われますね。それが、コーヒーをすすめられて「だいじょうぶです。」というように、断りの表現として使われるようになったのは知っていましたが、実際にこんなふうに面倒なことを断るときにも便利に使えるんだなと感心してしまいました。
ところで、みなさんは『サイコだけど大丈夫(It’s Okay to Not Be Okay)』という韓国ドラマを見たことがありますか?今回は、「『ていねい』じゃなくてもだいじょうぶ…? (It’s Okay to Not Be Polite...?)」というタイトルで、ことばがていねいであるというのはどういうことなのか、について考えてみたいと思います。
今回のタイトルにある「だいじょうぶ」の意味は「問題ない、かまわない」という普通の意味ですが、私たちがことばを使うときは「ていねいじゃなくてもだいじょうぶ」なのでしょうか?あるいは「だいじょうぶじゃない」のでしょうか?
1. 二つのていねいさ(ポライトネス)
ポライトネス(politeness)は「目上の人や親しくない人と話す時、改まった場面で話す時に使われるていねいな表現、相手を思いやる表現、親しみをあらわす表現」で敬語も一種のポライトネスであると「第4回 日本語の社会=文化的特徴」でお話ししました。ポライトネスはまた、(日本語の敬語と異なって)あらゆる文化=社会にわたって言語使用に見られる原理とされています。
このポライトネスには、ネガティブ(negative)とポジティブ(positive)の二つの種類があるといいます。「ネガティブ/ポジティブ」という用語は「否定/肯定」ではなく、「距離を隔てたいか縮めたいか」という意味で使われています。ブラウン&レヴィンソン先生(読書案内(1) 参照)の説明に沿ってみていきましょう。
1.1 ネガティブ・ポライトネス(negative politeness)
YouTubeを見ていたら、「路上喫煙者のポイ捨てを注意するとどうなるか」という動画がありました。プロの格闘家が弱そうな格好をして、タバコを吸っているケンカが強そうな人に注意を試みるのですが、注意された人はすごく怒って彼を殴ろうとします(注意した人はずっと強いので大丈夫ですが)。注意された人はなぜ怒ったのでしょうか。
人間にはメンツ(面子)というものがありますね。「そんなこと言われたくない、失礼だ」とか「なんであなたに言われなければならないの」とか、プライドが傷つけられるようなときにメンツがつぶされたような気分になります(顔をつぶすという表現もあります)。自分が悪いとわかっていても注意されるとおもしろくない。注意する人も相手の顔(メンツ)をつぶさないようによほど気を付けて言わないといけない。こんな時、相手に「自分の行動を邪魔された、否定された」と思わせないように相手との距離をとるストラテジー(strategy)がネガティブ・ポライトネスです。
動いてほしい相手に「どいてください」と言うのでなく、
[1]「申し訳ありませんが、ちょっとそこをよけていただけませんか。」
と謝るようにていねいにお願いすると、言われた方も素直になって、メンツをつぶされず(悪い気分にならず)に従うことができますよね。
そうすることによって、自分の空間・領域を邪魔されたくないという欲求、つまり独立性(メンツ)を大切にすることになるので、ネガティブ・ポライトネスは「独立のていねいさ」とも言います。
ただ、ポイ捨てを注意された人たちは、注意した人の表現がどうだったかということより、注意されたということ自体が、メンツをつぶされたようで面白くなかったのかもしれませんね。
1.2 ポジティブ・ポライトネス(positive politeness)
ネガティブ・ポライトネスは相手との距離を隔てるものですが、それと反対に、ポジティブ・ポライトネスは相手との距離を縮めることによって、コミュニケーションをうまく行うための方法です。
サンドイッチ(おにぎりでもいいのですが)が一つだけ残っていて、相手がまだ食べたいようなときには、
[2]「もしよかったらめしあがりませんか。」
と言うより、
[3]「これ、食べて。」
と言って、にこりと笑った方が、相手は食べやすいかもしれません。
敬語を使うべき場面もありますが、(相手との関係次第では)「食べて」と積極的に頼まれることによって、自分が食べることが相手(すすめる人)にとっても好ましいことになるので、相手のメンツを立てることができますね。このようにポジティブ・ポライトネスは、相手との連帯を強める言い方をするので、「連帯のていねいさ」とも言います。
1.3 ポライトネスと日本語の敬語
第4回で述べたように「日本語の敬語はポライトネスの一部…親しみを表すものではなく、相手との適切な距離をとるもの」で、その意味では、日本語の敬語はネガティブ・ポライトネスに含まれると考えていいでしょう。
ただ、ポライトネスはストラテジー(strategy)なので相手に積極的に「働きかけ」をするものですが、敬語は文法的に決まっている部分も大きいし、場面・状況や相手によって「わきまえ」て使うものだと『わきまえの語用論』で井出先生はおっしゃっています(読書案内(3) 参照 )。
「わきまえ」というのは、このような場面ではこのようにしなければならないということ(社会的に共通して認識されていること)がわかっているということです。
別の言い方をすれば、ポライトネス・ストラテジーが「このように言える(選択的)」のに対して、敬語は「こう言わなければならない(義務的)」のです。
2. 配慮表現
ところで、みなさんは人にものを頼むときはどんな表現を使いますか。日本語学習の初級レベルで出てくる「依頼の文型」は「てください」でしょうか。たとえば、ある書類を読んでもらいたいときに
[1]「この書類を読んでください。」
と言ったらどうでしょうか。
たしかにこの文には依頼や命令の機能がありますが、依頼する相手や状況によっては、もっとていねいな(恐縮した)表現が必要になってくるのではないでしょうか。
たとえば、
[2]「あのう、お忙しいところ、申し訳ないんですが、お手すきのときでかまいませんので、こちらの書類にちょっと目を通していただけないでしょうか。」
これぐらいていねいに言う必要があるかもしれません。
また、友だちなど親しい間柄でも、ぶっきらぼうに「これ、読んでよ。」と言うのではなく、
[3]「わるいんだけど、ちょっと読んでみてくんない?」
と言えば、頼まれた方も嫌な気持ちがしませんね。
[2]には敬語もたくさん含まれていますが、[3]には敬語は使われていませんね。
このように実際の場面では、[1]のような文だけでは不十分で、もっとていねいに、相手に気遣いをしたり、失礼にならないようにしたり、談話レベルでいろいろな配慮が必要になってきます。こうした表現を配慮表現と言います。配慮表現には敬語も含まれますが、実はポライトネスと非常によく似ています。
[2]の例を詳しく見てみましょう。
まず、前置きがあります。「あのう」と呼びかけて、「お忙しいところ」と言って相手の状況を思いやって、「申し訳ないんですが」と依頼を謝罪します。さらに、「お手すきのときでかまいませんので」と相手の都合も配慮します。
そして本題の依頼に入るのですが、発言を和らげるために「ちょっと」という表現(言語学ではこれを「垣根表現/hedge」と言います)や、「目を通す」という間接的な表現や、「いただけないでしょうか」(恩恵表現+謙譲語+否定疑問)という婉曲的な表現が豊かに使われています。いつもこんなにていねいに言うわけではありませんが、相手や状況によってはこれだけていねいになってしまうこともあります。
「親しきなかにも礼儀あり」ということわざがありますが、親しい間柄でも配慮表現は使われます。
[3]の例でも、「わるいんだけど」と謝罪のような前置きがあって、「ちょっと」(少しでいいんだという気持ち)という垣根表現を使ったり、「くんない」(恩恵表現の「くれる」+否定疑問の「ない」)と言ったりして、断る余地を与えて配慮をしていますよね。
「どういうふうに言ったらいいか」というのはどの文型(機能)を使えばいいのかという問題なのではなく、いろいろな表現(機能)を使って相手に「どんなふうに働きかけたらいいのか」ということです。
円滑なコミュニケーションのためには配慮表現が活躍しているのです。
3.待遇表現:敬語・ポライトネス・配慮表現
待遇表現ということばがありますが、私はこれを敬語やポライトネスや配慮表現をまとめたものと考えています。
第4回からの内容をまとめます。敬語は日本語に特徴的なもの(日本語だけではありませんが)と言っていいと思います。それに対し、ポライトネスは普遍的であらゆる言語に見いだされると言っていいでしょう。そして、配慮表現は日本の社会=文化を背景とした日本語の特徴がよく表れているポライトネスの一種だと思います。
いずれにも共通しているのは、相手に敬意を表したり、気遣ったりして、ていねいであろうとすることですね。
さて、タイトルの「『ていねい』じゃなくてもだいじょうぶ…?」の答えは見つかりましたか。「ていねい」ということを敬語のようなものととらえると、親しい間柄ではかならずしも必要ではありませんが、配慮表現やポライトネスなどの考え方からは、親しい間柄でもていねいさは必要なことがわかります。なので、「ていねい」をどちらの意味でとらえるかによって、答えはおのずと変わって来るでしょう。
考えよう
- (1)「どちらへ?」「ちょっとそこまで」、「何かお探しですか?(店員)」「いいえ、ちょっと…」などの会話で使われている「ちょっと」はどのような意味か、ポライトネスの観点から考えてみてください。
- (2)誘われたときに、受けるのと断るのとどちらが大変ですか。どのような点が大変ですか。
- (3)翻訳の仕事を頼まれましたが、今はちょっと忙しくて大変そうだし、無理かなと思っています。親しい友達にことわるときと、お客さんやお世話になっている人にことわるときの言い方を、それぞれ考えてみましょう。
読書案内
- (1)ブラウン&レヴィンソン(2011)『ポライトネス 言語使用における、ある普遍現象』研究社
ポライトネスはあらゆる文化に見られることばのていねいさであることが示されています。英語だけではなく、言語のタイプも文化のタイプも異なるタミル語とツェルタル語の例を多く取り入れています。 - (2)山岡政紀他(2010)『コミュニケーションと配慮表現 日本語語用論入門』明治書院
配慮表現の参考書も最近多いですが、コミュニケーションの視点からわかりやすく説明しています。 - (3)井出祥子(2006)『わきまえの語用論』大修館書店
第4回でも紹介した参考書です。日本語の敬語とポライトネスが対照されています。
(生田 守/日本語国際センター専任講師)