日本語教育通信 日本語・日本語教育を研究する 第29回

日本語・日本語教育を研究する
このコーナーでは、これから研究を目指す海外の日本語の先生方のために、日本語学・日本語教育の研究について情報をおとどけしています。

細川 英雄氏の写真 早稲田大学大学院日本語教育研究科教授
細川 英雄

日本語教育でことばと文化をどう考えるか

1.ことばと文化の関係

 言語を学ぶためには文化の理解が必要というのは、おそらくだれでもが持っている常識なのかもしれません。たとえば、日本語を学ぶためには、日本文化の知識が必要で、それが日本人の行動の仕方やものの考え方を理解することにつながる、という解釈は、それこそ多くの人たちに共通な現象だろうと思います。
しかし、本当にそれでいいのだろうか、という問いを、わたしは日本語を教えはじめてからずっと心に抱きつづけてきました。

 この問いは、日本語教育において日本文化をどう捉えるか、という問題であり、日本語と日本文化の結びつきを考えることでした。そして、それは、文化とは何か、という問いであるとともに、言語教育全体のことばと文化の関係を問い直すことでもあったのです。

2.「日本人らしさ」の日本語教育

 戦後から70年代ごろまでの日本語教育は、構造主義の影響を色濃く受けた「構造シラバス」と呼ばれる考え方が一般的で、文法を初級から積み上げていくという方法がとられてきました。これは、日本の英語教育が長く採用してきた方法で、ことばの運用よりも、知識を重視し、構造を学習することで、その言語を知るという方法だといってもいいと思います。

 文化の問題は、文学、歴史、建築、宗教など、主にそれぞれの分野の専門家に任されていました。言語教育論としてこのころ紹介されたのが、池田摩耶子『日本語再発見』(三省堂新書1977)という本で、当時まだ新しい分野であった外国人のための日本語教育への導入として注目を集め、人気を呼びました。

 池田は、日本語ネイティブ教師の立場から、日本語教師は言語学的知識とともに、日本文化に対する複眼的視野を持たなければならないと説き、母語話者としての内からの視点と同時に日本語学習者としての外からの視点を持つために、日本の文化を意識すること、学習者の文化を学ぶことが必要としています。そして、外国人に日本語を教える際、文法や音声、表記などと同等に、日本語の背景にある日本人の発想や観念などにも、十分な注意を払わなければならないと述べています。日本語が日本の文化として生まれて来た産物である以上、日本語の教育はすなわち日本の文化を外国人に教えること、すなわち「日本人らしさ」をどう教えるかであるとする考え方です。

3.予備知識としての「日本文化」

 80年代に入ると、コミュニケーション能力が問題にされるようになり、ことばを知識としてではなく、運用能力をつけようという考え方が一般的になってきました。

 これは、コミュニカティブ・アプローチという考え方によるものです。経済大国ニッポンの隆盛の影響もあり、学習者数が急増し、「文化」の問題も専門家だけに任せておくわけにはいかなくなったわけです。学習者のニーズとしても、伝統的な日本の歴史・文学よりも、もっと現代的な、また日常的な日本人の生活の実態を知りたいという要求が強くなりました。

 この考え方を明確に示したのが、ネウストプニー.J.V『外国人とのコミュニケーション』(岩波新書1982年)です。この考え方は、アメリカの社会学者ハイムズの理論を元にしたもので、コミュニケーションには対象の国の社会・文化を知るための「社会文化能力」が必要という考え方に基づいています。

 この立場では、「概念・機能シラバス」という考え方とも連動し、モデル・パターンを示すという方法がとられることがしばしばあります。たとえば、ロールプレイなどのタスクを利用し、そのタスクをこなすことが実際の場面に役立つとしています(これは現在でも最先端の実践のようにして紹介されることがありますが)。

 ここで問題なのは、日本語を理解するためには、日本人の行動様式やものの考え方を知り、それを実際のコミュニケーション場面の予備知識とする考え方です。たしかに、日本人の行動パターンは、統計的な調査等によって示すことはできても、日本人すべてがそのように行動するわけではありません。

 また、日本人の思考方法といっても、具体的に日本人すべてがどのように思考するのかというようなことはわかるはずはありません。あくまでも傾向や特徴という形で示すことはできても、それ以上のものにはなり得ないからです。ここに予備知識を用意するという発想そのものに問題があることになります。

4.「個の文化」への視点

 これまでは、社会という集団を1つの固定したまとまりの枠組みとした上で、ここに「文化」という営為およびそれに伴う事象があると捉えられてきました。たとえば、物質・行動・精神のような分類や「見える」「見えない」のような区別も、すべてこの枠組みの中で行われてきています。

 この考え方は、「文化」という、ある実体が存在し、それに対する共通の認識があるという解釈です。しかし、「文化」が動態的であるという立場に立つと、この実体は何なのかということが問題となるでしょう。流動的であるがその実体はあるのか、あるいは、実体がないからこそ流動的なのか。この答えはまだ出ていません。

 一方、人間の認識そのものが流動的であることは容易に判断できるでしょう。認識とは個人の中にあるものであり、一人一人の価値観とも連動するものですから、認識の仕方や方法あるいはその表出がそれぞれ異なるのは考えてみれば当たり前のことなのです。集団は、認識や判断の主体とはなり得ません。集団が、ある意思を持つかのように見えるのは、擬人化や象徴化のような現象だと考えることができます。つまり、個人の何らかの意図が自覚的あるいは無自覚的に反映しているわけです。

 個人は自らを取り囲む、さまざまな社会の影響を受けつつ成長し、それぞれの社会は個人の考え方や立場を映し出す鏡として成立します。もちろん、個人は環境としての社会の影響を受けつつ成長するわけですが、では、その環境としての社会が人間のすべてを決定してしまうかというと決してそうではありません。そこから抜け出して、違う自分を発見し、創造的な解決を目指すことができる可能性を個人としては十分に持っています。その役割を果たすのが、コミュニケーションという行為なのです。だからこそ、この個人の創造性を引き出す役割を担っているコミュニケーション能力育成ということが、言語教育の目的となり得るのではないでしょうか。

5.教育実践活動としての実現へ

 このような考え方に立った場合、具体的な教育実践活動が大きく変容することになります。 なぜなら、「個の文化」として個人の中にあるものを学習/教育の課題とすることは、固定化した集団社会に関する知識・情報の受容ではなく、まず個人の中に備わっている力をどのようにして引き出すかということが当面の課題になるからです。次に、そのインターアクションのプロセスにおいて他者の「文化」との協働をどのように創りあげていくか、ということが教育の理念として展開されるからです。

1.情報(対象)→2.「私」の認識・判断→3.他者への表現化←→4.他者からの反応→5.「私」の思考の更新

 この図は、対象としての「情報」を取り込んで、それに対しての自分の「考えていること」の把握がはじまり、その「把握したもの」をどのようにして相手に伝達するかというプロセスを示したものです。さらに、それに対する相手からの反応の確認があってはじめて、コミュニケーションが成立するという、個人の中の思考と表現の往還のための相互関係も表しています。  ここまで述べてきて、ようやく「日本語教育で日本文化を教える」という発想そのものに問い直しが必要となることにわたしたちは気づきます。

6.“言語学習の環境をつくる”ということ

 ことばの活動を生きたものとして考えようとするためには、その構造や体系を固定的なものとして原理追求的に分析するのではなく、むしろ人間一人一人がどのようにそれを身につけることができるのか、それにはどのような環境づくりが必要で、さらにそこで担当者はどのような支援ができるのか、といった視点が不可欠になります。

 わたしの主張は、人は一人一人違う文化を持っている、それを国籍や民族で簡単に境界を引いてしまうのは危険だ、だから、必要なことは、まず人が一人一人持っている「文化」を引き出し、それを相互に議論していくことだ、というものです。ですから、日本語教育は、そのような環境をどのようにつくるかということを考えなければならないと思います。

 複数の民族や複数の言語が混ざり合ったからといって、簡単に多文化主義だなどということはできません。言語教育がさまざまな制度や権力によって都合のよいように利用されてきたことは、日本語教育の戦前の歴史を見てもわかります。

 最も重要なことは、そうした制度や権力に負けない、強くて柔軟な個人をことばの教室でどのように育成していくことができるかという思想なのです。

くわしい文献その他の問い合わせは次のホームページへ
早稲田大学大学院日本語教育研究科言語文化教育研究室
早稲田大学大学院日本語教育研究科言語文化教育研究室

ことばと文化について考えるための参考文献

  • 日本語教育と日本事情の関係について、さらに詳しく知るためには:細川英雄『日本語教育と日本事情』明石書店1999
  • ことばと文化を統合する考え方の背景や歴史を体系的に知るためには:細川英雄『日本語教育は何をめざすか-言語文化活動の理論と実践』明石書店2002
  • ことばと文化を統合する具体的な教室実践を知るためには:細川英雄+NPOスタッフ『考えるための日本語-問題を発見・解決する総合活動型日本語教育のすすめ』明石書店2004
  • 母語と第二言語の別を越えた日本語教育の実践を知るには:牲川波都季+細川英雄『わたしを語ることばを求めて-表現することへの希望』三省堂2004
  • 日本語教育におけることばと文化の教育の現在の状況を知るためには:細川英雄編『ことばと文化を結ぶ日本語教育』凡人社2002
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