日本語・日本語教育を研究する 第32回 談話から見た文法 Grammar in Discourse
日本語・日本語教育を研究する
このコーナーでは、これから研究を目指す海外の日本語の先生方のために、日本語学・日本語教育の研究について情報をおとどけしています。
筑波大学人文社会科学研究科教授
砂川有里子
1.文法と談話の相互依存
ここでは「談話」を「コミュニケーションのために言葉を使うこと」という意味で使います。そこで、以下では話し言葉だけでなく書き言葉も含めて「談話」とします。
私たちが何かを伝えようとコミュニケーションを行うとき、文法を正しく使わなければ、相手にうまく伝わりません。コミュニケーションにとって文法は重要な役割を果たしているのです。しかしその一方で、コミュニケーションも文法にとって重要な役割を果たします。なぜなら、私たちがコミュニケーションを行うときのさまざまな必要性が文法を作り変えていく圧力になりうるからです。
つまり、文法と談話との関係は、談話からの圧力によって文法が作り変えられていく一方で、そのようにして成り立つ文法が談話を支えているという相互依存の関係として理解する必要があるわけです。
2.文レベルか談話レベルか
コミュニケーションのための運用という観点から文法を捉え直してみると、文レベルの問題だけを見ていたのでは気づかなかった文法の姿が見えてきます。例えば次の文をご覧ください。
- (1)人里に熊が現れたのは山に食料が不足しているからだ。
この文は「山に食料が不足しているから人里に熊が現れたのだ」という文と同じ意味を表しています。(1)の述語「~だ」の位置に「~から」という従属節が用いられている例です。この文の下線部を「が」に変えると、次のように、据わりの悪いおかしな文となってしまいます。
- (2)人里に熊が現れたのが山に食料が不足しているからだ。
(2)の文は「~のが~だ」という形をしていますが、このタイプの文は(1)のような「~のは~だ」タイプの文と違って、「~だ」の部分に従属節を用いることができません。もう一つ例を挙げましょう。以下の(3)を(4)のように言い換えるとかなり不自然な文となり、「~のが~だ」の文に従属節が使えないことがわかります。
- (3)ポルシェに乗りたいと思ったのは、昔、ボーイフレンドに、
「女には乗れない車だ」って言われたからで……。(『家庭画報』1997年7月号) - (4)ポルシェに乗りたいと思ったのが、昔、ボーイフレンドに、
「女には乗れない車だ」って言われたからで……。
この制約は従来文レベルの制約だと言われていました。しかし、この種の文が談話の中でどのような使われ方をしているのかを観察してみると、必ずしも文レベルの制約ではなく、談話の中で運用される文の機能に起因した制約であることがわかります。そこで、以下では「~のが~だ」タイプの文が実際の談話でどのように使われているのかを観察してみることにしましょう。
3.談話の中での文の機能
次の例の下線部は「~のが~だ」という形をしています。
- (5)それでは、日本はどうだろうか。/冷戦後の世界への対応に最も出遅れたのが日本である。
(「/」は段落の切れ目)(『文藝春秋』1993年1月号)
この文は、主語と述語を入れ替えて、「日本は冷戦後の世界への対応に最も出遅れたのである」とすることも可能です。これは、「~のが~だ」の述語にある「日本」が、「それでは、日本はどうだろうか。」という先行文脈ですでに言及された古い主題を表しているからです。
「~のが~だ」にはこの他にもう一つのタイプがあります。
- (6)そして吉野へ入って一泊して,おすすめなのが早朝6時頃に始まる蔵王堂の勤行。
法螺貝と太鼓とお経とそれはすばらしいです。(『家庭画報』1991年7月号)
「蔵王堂の勤行」は、この談話に初めて現れる新しい情報です。したがって、この場合は「早朝6時頃に始まる蔵王堂の勤行はおすすめです」と言い換えると不自然になります。この種の文の特徴は、述語で表された内容がそれ以降の談話の重要な主題になるということです。(6)の文では「蔵王堂の勤行」がそれ以降の主題となり、長く語り継がれていきます。この例に典型的に見られるように、この種の「~のが~だ」は談話に主題を導入する機能を果たしており、「~だ」の部分は導入された新しい主題なのです。
「~のが~だ」には以上に示した二つのタイプがあります。「~だ」の部分が表すのは、古いか新しいかの違いはありますが、どちらも談話の主題です。
ところで、談話の中で主題になりやすいのは、ヒトやモノのような具体的な概念です。一方、従属節が表すのは、事象や属性であり、それが主節の表す意味とのあいだで取り結ぶ関係性です。このような抽象的な概念は、談話の中で語り継がれにくく、談話の主題には適しません。
「~のは~だ」は、「~のは何か」「~のはなぜか」「~のはいつからか」など、さまざまな問を立て、その問に答えを与える文です。この文の場合、「~だ」がそれ以降の談話の主題になるとは限らず、主題導入以外のいろいろな用途としても用いられます。一方、「~のが~だ」では「~だ」の部分が常に談話の主題を表します。従属節が「~のは~だ」のタイプには用いられるのに「~のが~だ」のタイプには用いられないというのは、文レベルの文法規則なのではなく、談話の中でこれら二つのタイプが果たす機能の違いに起因することだったのです。
4.最近の若者言葉
最近はインターネットや携帯メールで大人たちが眉をひそめるような若者言葉があっという間に広まります。そのような若者言葉の中にも、コミュニケーション上の動機に基づいた文法の変化とおぼしきものがみつかります。
以下の例は役場に住民票を取りに行った人に対する窓口係の言葉です。
- (7)ここにお名前とご住所を書いてもらっていいですか。
また次は、エレベーターに乗り合わせた人の言葉です。
- (8)すみませんが、3階押してもらっていいですか。
私の感覚では、このような場合、「ここにお名前とご住所を書いて下さい」「すみませんが、3階お願いします」などと言ってほしいところです。しかし、若い世代では(7)や(8)の表現に全く違和感がない人が多いようです。
これらの文に使われている「~ていいですか」という表現は、許可を求める表現です。同時に、イエスかノーかの答えを求める問いかけの表現だとも言えます。
- (9)これ、使っていいですか。
「~ていいですか」に「もらう」が加わって「~てもらっていいですか」となると、話し手が希望する行為を行う意向があるかどうか、聞き手に尋ねる表現になります。次の文はアルバイト仲間に遅番を代わってもらえるかどうか尋ねています。
- (10)あしたの遅番、代わってもらっていいですか。
こちらも聞き手に許諾を求める問いかけの表現です。
5.談話の中での文法の変化
しかし、役場の窓口係やエレベーターの乗客はイエスかノーかの答えを求めているわけではありません。彼らはその行為をしてもらうために言葉を発しているわけですから、その言葉は聞き手に行為を求める働きかけの表現として使われているわけです。私が(7)や(8)の例に不自然さを感じたのは、聞き手に行為を求めるべき場面で、イエスかノーかの答えを求める問いかけの表現が用いられているためだったのです。
一方、この表現を全く自然であるという人々にもその理由はあります。実は、問いかけの形式が指示や依頼の場面で用いられる例は少なくありません。「免許見せてもらえますか」「静かにしてくれませんか」のような表現は、イエスかノーかの答えを求めているわけではありません。相手に答えを委ねる気持ちを伝えることで語気の強さを和らげた指示をしているわけです。「~てもらっていいですか」という表現も、相手にイエスかノーかの決定を委ねているように装って、指示や依頼の押しつけがましさを軽減し、丁寧に働きかける表現として使われているのです。さらに言うなら、ここには自分の体面を傷つけられたくないという守りの気持ちが働いているようにも感じられます。つまり、自分はイエスかノーかの答えを聞いているだけなのだから、仮にノーと言われても傷つかないという、危険回避の自己防衛的姿勢が潜んでいるようにも思われます。
最近は、「くださる」「いただく」などの敬語を使う若者が減っています。「~てくださいますか」「~ていただけませんか」のような言い方があまりに丁寧すぎるため、相手を遠ざけ、かえって失礼な感じを与えてしまうというのが若者たちの言い分です。人にものを頼む時、「~てください」や「~てもらえますか」だと失礼だ。かといって「~てくださいませんか」や「~ていただけませんか」は丁寧すぎて使いにくい。親しみを込めながら丁寧さを表すには「~てもらっていいですか」がぴったりだ、というわけです。
6.変わろうとする圧力と守ろうとする圧力
「~てもらっていいですか」という表現は、互いの体面を傷つけることなく気楽に指示や依頼を行うことができる便利な表現として、若者を中心に広く使われるようになっています。この表現は、堅苦しくなく、しかし丁寧な言い方をしたいという若者たちの必要を満たしているのです。
しかし、その一方で、この表現を不愉快だと感じる人もまだまだ少なくありません。相手が「嫌だ」と言えない状況で、許諾の問いかけを装いながら指示や依頼をするのですから、かえって押しつけがましいと感じる人がいても不思議ではないでしょう。
文法というのは、談話の中で使われていくうちにいつしか変化してゆく体系です。「~てもらっていいですか」という表現が、本来は問いかけの用法であったのに、指示や依頼にまで拡張してきているのは、相手に委ねる言い方を好み、互いの体面を守ろうとする人々の求めに反応した結果だろうと思われます。
文法は確固たる不動の体系などではなく、社会の変化やコミュニケーション上の人々の必要を敏感に感じ取り、それに合わせて変わろうとするものなのです。その一方で、それを守ろうとする強い力が常に働いていることもまた確かなことで、変わろうとする圧力と守ろうとする圧力とのせめぎ合い中で、微妙なバランスを保ちつつ成立しているのが文法なのだと言えるのです。
談話から見た文法に関する参考文献
- 砂川有里子(2005)『文法と談話の接点—日本語の談話における主題展開機能の研究—』くろしお出版
- メイナード泉子・K(2005)『談話表現ハンドブック』くろしお出版