日本語教育通信 日本語・日本語教育を研究する 第44回

日本語・日本語教育を研究する
このコーナーでは、これから研究を目指す海外の日本語の先生方のために、日本語学・日本語教育の研究について情報をおとどけしています。

大阪大学国際教育交流センター特任准教授 金 孝卿
麗澤大学外国語学部教授 近藤 彩

人材育成を目指すビジネスコミュニケーション教育

1.はじめに

 ビジネス日本語教育を取り巻く環境は2010年以降大きく変わり、2016年には日本で働く外国人数は100万人を超えました。日本語を使って働くビジネスパーソン(日本語非母語話者)の職業や働き方が多様化しています。少子高齢化による労働力の減少から、「定住型ビジネスパーソン」も増えてきました。留学生は、卒業後帰国せずに日本に残り、そのまま就職することも珍しくなくなりました。日本で雇用される人の2%弱が外国人となり、徐々にその存在感が増しています。
 ビジネス日本語教育においては、このような外国人ビジネスパーソンの職種や働き方、そしてビジネスの現場で必要となる能力に注目する必要があります。しかしながら、従来型の日本語教育の考え方では実現が難しく、仕事の現場で起こっていることと教育現場で起こっていることの乖離が、ビジネス日本語教育では問題点として指摘されています。本稿では、「日本語を教える」という考え方ではなく、「日本語を使って活躍できる人を育てる」「日本人と協働することができる」という観点から、ビジネスコミュニケーション教育の方法論や展望を述べていきます。

2.ビジネス現場の問題を探る

 実際のビジネス現場ではどのような問題が起こっているのでしょうか。外国人ビジネス関係者にインタビューをすると、さまざまな問題があることが分かります。例えば、IT企業の取締役であるインド人へのインタビューで、彼女は14年間の日本滞在を振り返って、断り方は特に難しいと語っています。

 必ずお客さんのいうことに対して、「はい、わかりました」と言わなきゃならない。私は「だめだ、それはできない」とすぐ結論を出してしまったり、「そんなことは仕様書には書いていないでしょう」と抗議してしまったことが原因で、日本人が感情的になってしまい、仕事を進められなくなったことがある。

(インド人へのインタビューから*1

 これは、日本語の断り方や丁寧さの示し方といった言語知識の問題だけではなく、ビジネス上で交わされる「仕様書」に対する考え方の違いも関係しています。インタビューでは、当事者間で協議をして決めたことを伝えたのに、なぜお客さんに怒られたのかわからないと思ったと語っていました。仕様書に書かれていることはいわば契約であり、通常変更はできないという考え方がインド企業や米国企業では一般的ですが、日本企業では仕様書の後に変更を求めてくる場合があります。これは一例にすぎませんが、ビジネス文化の違いや当事者間の期待や認識のずれが問題になっていることは意外に多いのです。

 こうした両者間に生じている諸問題を解決するには、言語知識だけでなく、当事者双方の規範のずれを認識し両者が歩み寄ることが重要です。この例で言えば、仕事をする主体は、顧客からの要望に対応するといった仕事上の課題(タスク)を達成していくこと(課題達成能力)、そのために必要な情報を整理すること(情報整理力)、相手と交渉し説得すること(交渉力・説得力)、そして顧客や社内外の関係者との関係性をつくること(人間関係能力)などが仕事をする上で必要となります。さらに、顧客との間で起こった問題に対して、何が問題なのかを考え(分析力)、問題が起こったときにどうやって解決していくのか(問題解決能力)、また相手が外国人の場合は異文化に適応すること(異文化適応能力)の必要性を、当事者自身が認識していることが重要です。このように、ビジネスの現場では、広範にわたる多様な要素を現場で実践できる能力によって、仕事ができるかどうかが測られるのです。

 これらを踏まえ、本稿では、「ビジネス日本語」という用語は、企業関係者には敬語やメールの書き方のように狭義に捉えられるため、「ビジネスコミュニケーション」という用語を使用します。そして、上記のことを加味した「人材育成を目指すビジネス日本語教育」は、ビジネスの実際をできる限り反映した教育内容を扱うべきであると考えます。

3.ビジネスコミュニケーション教育のための方法論:どのように教育実践を行うか

 筆者らは、2008年から2012年までに行った日系企業に対する調査を踏まえ、二つの教育的アプローチとそれを具現化したテキストの開発をしました。ここでは、それぞれの概要と学習活動の例を紹介します。

(1) 課題達成のプロセスで学ぶ

 第一のアプローチは、仕事上の課題を日本語と切り離さずに、仕事で求められる「課題(タスク)」を達成するプロセスの中で日本語力をつけることです。仕事上必要な視点が提示され、学習者自らが日本語の語彙や表現、知識や情報を手掛かりに、その課題を達成するような活動デザインが有効であると考えます。筆者らは、製造業(化粧品会社)の営業とマーケティングを取り上げ、そこで必要となる言語行動目標(Can-do statements、以下、Cds)とタスクを作成しました。この過程では、CEFR (Common European Framework of Reference for Languages)のCdsとの照合や、日本人ビジネスパーソンへのヒアリング、経営コンサルタントによるSWOT分析*2研修受講などを行い、筆者らが作成したCdsとの照合を行いました。これらのCdsに沿ってタスクを作成、さらに自己評価などを入れたテキストを開発しました(本テキストの内容は、近藤・品田・金・内海2012を参照)。下記にテキスト全体の内容と学習目標の一覧と、Lesson1のタスク例を示します。

学習活動の例

 ここでは、SWOT分析を用いたLesson4を例に、課題達成のプロセスで学ぶための学習活動を紹介します。まず、当該レッスンでは、次のような現実社会での言語活動(学習目標、outcomes)を設定しています。
 「収集した情報をもとに、立場や課の異なるメンバーと社内会議で、SWOT分析などを用いて状況を分析・議論し、企画を具体化することができる。」
 学習活動の中には、

  1. SWOT分析についての記事を読んで要点を整理する
  2. A社のSWOT分析の結果を読んで(聞いて)理解する
  3. 商品を位置づけ、マーケティング戦略について議論する
  4. 関連分野の語彙や表現
  5. 状況分析や企画の具体化におけるディスコース(例えば、支持・同意する/反論する、推論など)

 といった必要となる概念や言語知識、トピック、タスクが含まれています。①、②、③のタスクを通して、「SWOT分析」「マーケティング戦略」などのビジネスに必要な概念、日本語での分析や議論に必要な言語知識やディスコースなどを学びます。テキストの各タスクを使って、次のようなステップで学習活動を実践することができます。いずれも日本語で実践可能なタスクを増やしていくことを目指したものです。

<ステップ1> SWOT分析とは何かを理解し、A社を例にその理解を確認する。

ステップ1 「SWOT分析とは」「A社を例に」の画像

<ステップ2> 社内会議に出てくる語彙や表現をセルフチェックする。

ステップ2 「SWOT分析を行う時によく使われる語彙」「知らない単語にチェック」の画像

<ステップ3> SWOT分析を用いた社内会議を聞いて理解する。

ステップ3 「企画会議でSWOT分析をしている。この会議の目的は?」「この会社の弱み、強みは何?(主な語彙)」の画像

<ステップ4> 会議の内容を確認する。さらに、関心のある企業や商品を実例に分析する。

ステップ4 「グループで調べて発表する、分析結果を話し合う(再構築)」の画像

<ステップ5> さらにSWOT分析の例を読んで、統合的に分析結果を読み取る。

ステップ5 「さらに読んで、統合的に分析結果を読み取る」の画像

<ステップ6> 学習活動を自己評価する。

ステップ6 「学習活動を自己評価する」の画像

(2) ケース学習

 第二のアプローチは、課題を遂行していく際に生じる様々な問題点を解決するという観点から、「ケース教材」を使ってビジネスコミュニケーションを学ぶためのものです。ケース学習とは、「事実に基づくケース(仕事上のコンフリクト)を題材に、設問に沿って参加者(学習者)が協働でそれを整理・討論し、時には疑似体験しながら考え、解決方法を導き出し最後に一連の過程について内省を行うまでの学習」です。書かれた事実をもとに、自身の知識や経験から状況を把握し、多様な視点で分析し各自の「結論」や「解決策」を導き出すことを目的としています。ケース学習で使用されるケース教材は、実際の企業で生じた出来事をエピソードにしたもので、ビジネス関係者へのインタビューをもとに書かれています(ケース教材の事例は、近藤・金・ヤルディ・福永・池田2013を参照)。なお、ケース学習は、経営学のケースメソッドを援用したものです。

 上記に、10のケースのうち、ケース1(「まだ9時半です!?」)を示しました。それぞれのケースには、設問があります。①登場人物はどんな気持ちか、②何が問題か、③似た経験があるか、④あなただったらどのように行動するか、⑤どのようなアドバイスをするか、これらをもとに徹底的にグループ討論、全体討論をします。

ケース学習の授業デザインの特徴

 ケース学習を実践するための授業デザインには、次のような特徴があります。第一に、ケース学習の実践は、討論を中心とした参加型の活動が多いです。そのため、教師は学生の授業参加を促す仕掛けや討論のための教室空間のデザインを行う必要があります。第二に、ピア・ラーニングにもとづく授業デザインです。ピア・ラーニングとは、仲間(ピア、peer)と学ぶことですが、対話を通して学習者同士が互いの力を発揮し協力して学ぶ学習方法です。第三に、ケース学習の実践では、学習者一人ひとりが対話を通しての学びの体験を内省し、その体験を意味づけることができるよう教師は支援を行います。なお、近藤他(2015)では、ケース学習を実践するための具体的な方法やヒントが書かれています。

4.今後の展望

 筆者らはこれまでビジネス日本語研究会や各種研修会*3などを通して、日本語教育の関係者、企業関係者との情報共有や人材育成を行ってきました。ここでは、国内外において多様化するビジネス日本語教育の現状を踏まえ、今後に向けて必要な視点を述べます。第一に、多様な学習者集団に対する実践と研究を進めることが必要です。冒頭で述べたように、国内外を問わず、働き方の多様化や社会のダイバーシティの推進により、多様なタイプのビジネスパーソンが増えてきています。本稿では、製造業(化粧品)、マーケティングやITサービスを例に、ビジネスコミュニケーション教育の方法論を提示しましたが、今後は、看護や介護、建設業など、他の分野における外国人労働者に対しても実践と研究を蓄積していくことが必要です。第二に、実践や研究を行う際には、言うまでもなく、日本語母語話者を含め、双方がコミュニケーションや起こっている問題点について検討する必要があると考えます。大学や教育機関で実践を行う場合や、企業内研修や企業横断的な研修を行う場合、目標言語や文化の学習に矮小化せずに、当事者間で起こりうる問題として捉え、自らの現場での問題解決やコミュニケーションのあり方を見直し、建設的な組織づくりや人間関係の構築に資する方向で考えるという視点が重要です。

  • SWOT分析活動の体験の様子の画像
    SWOT分析活動の体験の様子
  • 各国からの研修参加者の画像
    英国、オランダ、スイス、ドイツ、フィンランド、フランス、ポルトガルからの研修参加者

注記

  1. *1近藤・金(2015:75)のインド人へのインタビューの文字化資料から抜粋したものです。
  2. *2SWOT分析は経営やマーケティングでよく用いられる分析手法です。
  3. *32016年7月に行われた欧州日本語教師研修会(アルザス研修会)成果物のページです。
    欧州日本語教師研修会(アルザス研修会)

参考文献

  • 金孝卿(2008)『第二言語としての日本語教室における「ピア内省」活動の研究』ひつじ書房
  • 近藤彩(2007)『日本人と外国人のビジネス・コミュニケーションに関する実証研究』ひつじ書房
  • 近藤彩・金孝卿・池田玲子(2015)『ビジネスコミュニケーションのためのケース学習 職場のダイバーシティで学び合う【解説編】』ココ出版
  • 近藤彩・金孝卿・ムグダヤルディ・福永由佳・池田玲子(2013)『ビジネスコミュニケーションのためのケース学習 職場のダイバーシティで学び合う【教材編】』ココ出版
  • 近藤彩・品田潤子・金孝卿・内海美也子(2012)『課題達成のプロセスで学ぶビジネスコミュニケーション』アプリコット出版
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