第14回 ヴェネチア・ビエンナーレ 国際建築展 (2014) コミッショナーステートメント

日本の近代化は西洋文明の輸入で始まり、猛烈な勢いで進んだ。第二次大戦で壊滅しつつも急激な回復を見せ、1968年にはGDP世界第2位にまで達した。建築もその近代化を支える存在であり、「人類の進歩と調和」というスローガンを掲げた1970年大阪万博がその一つの結晶となった。

だがこの万博とほぼ同時に公害問題やオイルショックを筆頭に、進歩志向の近代化は大きな行き詰まりを見せる。そしてこの危機的状態が、日本の建築界に徹底的な「近代」の見直しを迫り、主体的なリアクションを起こさせもした。

モダニストの後からやってきた若い建築家たちは、建築のあり方を一から考え直した。小住宅の中で実験し、都市のビジョンを提起した。一部はアジアや中東やアフリカに乗り込み、集落都市の発生の仕方に学んだ。歴史研究者や都市観察者が研究室を抜け出し、カメラと手帳を携えて街へと入り込むと、通説とはちがう現実の都市や、新たな日本近代建築史が姿を現した。その物語が、芸術性さえ持つ場合もあった。さらにこれらの活動を出版界が支え、建築メディアが活躍した。

これまで、個別に発生したかに見えたこれらの事象の相乗性こそが、日本の建築における近代化の見直しの真価だったと我々は考える。

この見直しは小規模で周縁的な実験にとどまるものではなかった。そのビジョンは産業界を動かし大都市のスカイラインに一石を投じることもできた。梅田スカイシティでは、世界の集落調査を経た建築家の発案のもと、高層建築群が空中のリングで連結され、いわば宇宙へ向けて形づくられた未来の集落となった。このような超越的構想が、建設会社やクライアントを鼓舞できたのである。

画一的に見える現代の建築も、実は数多くの試みの集大成である。どのような社会も、企図次第で独自の建築は必ず生み出しうる。日本館では70年代の日本建築が生み出し得た企図と方策を掘り起こすことで、建築の本質的な力を示す。そして70年代以来の日本建築が直面した課題と対応が、現代の世界に与えられる示唆を提起する。

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